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四月馬鹿はリバース・パニックの夢を見るか
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
あさおん、という造語をご存じだろうか。TSF、所謂性転換ファンタジーにおける「朝起きたら女の子になってた件」を指し示す略語であり、如何なるジャンルにおいても適用することのできる超超ご都合展開である。
或いはボーイズなラブに対する一摘みのスパイスとして。或いは誰かにとってのド地雷として。そして或いは、《《今現在の僕を指し示す最適解》》として。あさおんという概念はそこにある。
現実逃避のための長ったらしい前置きは全て取っ払って。今この状況を飲み込むべく、僕はもう一度部屋に置かれた鏡を見る。そこに映っているのは、普段の僕より少し長い髪と、普段の僕と変わらない顔。そして……控えめに存在する、胸だ。
「夢……?悪夢……?」
視線を下ろせば、確かに胸部には僅かだが膨らみがある。触れれば感覚もあるし、僕は実物を触ったことが無いが……恐らく女性のものと同じく柔らかい。でも無感動だ、悲しいほどになにも感じない。
一応さっと下も確認した。その結果、どうやら僕は本当にあさおん……朝起きたら女の子になっていた件、を果たしたそうだ。僕はベッドの上でひっそりと崩れ落ちた。
「さいあく…さいあく…なに…?恨み…?恨みがあるのか…?僕に…なぜ…なぜよりにもよって、僕…?僕の女顔をイジるための手が巧妙すぎる……腹立つ……」
大きすぎるショックでもう布団から出たくなくなったところで、はたと気がつく。別にこれだけなら、僕だけが女の子になってると決まったわけじゃない。
そうだ!!シイさんやフーゾさんも女性になってるかもしれないんだ!!まだ僕だけと決まったわけじゃない、僕の女顔をこの期に及んでイジり倒そうとした誰かの策略ではないんだ!!!そう思うと、とても心がスッと軽くなるようだった。
被害者なんて多ければ多いほど良い。傷の舐め合い万歳。ついでに僕より若くなってたりもしろ。子供になってろ。今のショックにうちひしがれた僕には、僕と同等若しくはより哀れな被害者が必要だった。
急いで部屋を出て、階段を降りる。もしこれで僕だけ女の子になってたら、この先50年くらい擦られる気がするが、どうなんだ。女顔が女になった記念日アニバーサリーの命運は、彼らにかかっているのだ。
(頼む!シイさんフーゾさん、貴方たちに恨みは…まぁ少しありますけど、ほぼ無いものとします!お願いだから女性になっててください!)
リビングへと続くドアを、勢いよく開ける。そうして目に飛び込んできた光景に、僕は膝から崩れ落ちた。
「んあ?あ!零く~ん!!オレ朝起きたら女の子になってたよ~!!フーゾも一緒~!」
「おはよう零くん。こういうのって旧世界では良くあることだったりするの?」
(よっっっっっ………しゃぁぁぁぁぁぁ!!!)
胸の中でガッツポーズを取る。人の不幸は蜜の味とは言うが、今の僕は甘美な蜜の味が何よりも救いだった。ありがとう世界、ありがとうシイさんフーゾさん。それはそれとして早く戻してください。
「おはようございます……僕も女の子になってました。というか旧世界でこんなトンチキなことあるはずないでしょう。こっちの世界には、こういうの無いんですか?」
「ないない!ぜーんぜん無い!オレが言うんだから間違いないっ!」
「俺フーゾのお墨付きだよ~。とりあえず朝御飯食べよっか。今日はトーストと昨日のハヤシライス」
朝起きたら女性になっていたというのに、彼らは僕のように現実逃避したり、焦ることもなく淡々と日常をなぞっている。何なら二人とも可愛らしく髪の毛をアレンジしていて、年寄り故の余裕を感じた。
アレンジしたげる、とちょいちょいシイさんに招かれて、隣に座る。性転換モノ特有の良い香りが……なんてものは無く、彼…いや、彼女は殺し屋として100点満点なほど無臭だった。
「ねぇ今日の仕事どうする?ハニトラ向けが何件かあったけど、今のオレらだと洒落になんないよね」
「あー……じゃあ殺しましょう。即。ハニトラとかまどろっこしいことせずに」
「零くんホント手早いよね、せっかちさん」
普段のシイさんの声より幾分か高く、甘い声が至近距離で耳に届く。……正直、すごく、凄く困る。よかった全身女性になってて。もし変な反応をしようものならフーゾさんの包丁の餌食になっていた。
シイさんは男性のときからスレンダーだったが、女性になってもとてもスタイルが良い。すらりと伸びる手足は、男としての僕から見ても女としての僕から見ても魅力的だ。
(…って、女としての僕って何?もう既に適応してきている己が怖い……)
「じゃーん!シニヨンスタイル!わっかわい~♡フーゾみてみて!可愛い!オレ天才!」
「零くん顔変わってないのに違和感ないのウケるね、めっちゃ可愛いよ。はいトースト」
屈辱的にもほどがある褒めをいただいたところで、目の前に皿に乗ったトースト達とスープカップに入ったハヤシライスのライス抜きが出された。後からサラダも追加され、朝の食卓が完成する。とにかく今は食べて、食べてから考えろということだろう。
僕が来てからすっかり二人の習慣となった食前の感謝が食卓に響いた。焦げ目が綺麗なきつね色のトーストはまだ暖かさを保っている。少し千切ろうとすれば、軽快な音と共にちょうど良い大きさに分かれた。
ソースのような顔をしてそこにいるハヤシライスを、少し掬ってパンにのせる。パンのほんのりと甘くて香ばしい香りが、ハヤシライス特有の匂いが混ざって、とても美味しそうだ。
口に含めば、サクサクとした予想通りの食感と一緒にハヤシライスの旨味がやって来た。野菜や肉の旨味が溶け出して、デミグラスソースの酸味やコクと良く調和している。くどすぎず、でも濃厚で、凄く美味しい。
朝からこんな風に暖かい食事が食べられることに感謝せねば。スペシャルサンクスにはトーストを焼いてくれたフーゾさんと、買い出しに行ってくれたシイさんと、ハヤシライスを作った僕の名前を入れよう。
パンとハヤシライスを一緒に消費するからか、食べ終わる時間はいつもより短い。ハヤシライスの濃厚さをサラダの爽やかさで中和してると、あっという間に皿は空になった。
「ご馳走さまでした。着替えてきますね」
「はぁい。零くん、今日も美味しかった?」
「ええ、とても。ありがとうございます」
「お粗末様でした~」
ぽかぽかと良い気分で席を立ち、また2階へと戻る。ハヤシライスがご飯以外とも相性が良いなんて知らなかった。何でも作ってみるもんだな、と笑みが浮かぶ。
しかし、その笑顔は鏡を見たことで容易に打ち消されることとなった。せっかく忘れることのできていた不可解なこの状態を、まじまじと見ることになったのだから。
「……とりあえず、服…服を着よう…」
いつものシャツを手繰り寄せて、パジャマを脱ぐ。そういえば女性用の下着は着けなくても良いのだろうか?と疑問を抱いたが……まぁ、構わないだろう。どうせこの小ささでは揺れるものなど何もないのだから。
シャツを着て、ズボンを履き、ネクタイを締めてケープを羽織る。そうすれば、そこにいるのはいつもの僕だった。知らない人が見れば、女の子になっているだなんて分からない、強いていうなら髪の毛が少し長いくらいの、僕。
(…それはそれでなんか、複雑だ)
モヤモヤとした気持ちを抱えつつ、歯を磨くために下へと降りていく。とりあえず、今日の仕事をどうするかから考えないと。
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「ボスが男になってる~!!!!」
「ふむ、どうやら性転換は私とオルカ以外にも起きていたようだな」
「どうするんですかこれ。今攻め込まれたらちょっと大変ですよ。ねぇ、オルカ総統もそう思うでしょう?」
いつもより数段高く輪をかけて喧しい声が総統室に響き、頭痛もより一層強くなる。どうやらクリスさんも性転換をしていたようで、この空間唯一の男性になっていた。目鼻立ちは整っているが、あどけなさの残る顔に少し親近感を覚える。やはり身長は変化しないらしい。
そして、僕、シイさん、フーゾさん、クリスさんのお決まりの面子の中に、もう一人珍しい人物がいる。その人物は少し気まずそうに口をつぐんでいたが、フーゾさんからの問いかけに答えるためにおずおずと口を開いた。
「…その、一つ質問があるんだが……どうして君たちは、この状況を素直に受け入れているんだい…?私がいることに対してもこう、もっと警戒心を露にするとか……」
「えーでもアンタってそんな怖くないし。それにとりま受け入れてから対策練らないとじゃね?臨機応変にさ」
「シイお前バカッ敬称をつけろ!不敬!」
「臨機応変か……確かに、そうかもな…」
人物が多ければ多いほど、必然的に場は騒々しくなる。分かってはいたが、いざこうして集まってみるとなかなかクるものがあった。特に耳に。
失礼なシイさん、それを咎めるフーゾさん、自分の世界に入ったオルカさん、そしてただ楽しんでいるクリスさん。この空間でマトモなのは僕だけである。
そもそもの発端は、シイさんと僕の出勤前にクリスさんから呼び出しをくらったことだ。用件はもちろん「今朝からの性転換現象」について。
聞いたところによれば、現在確認されているのは僕、シイさん、フーゾさん、リンくん、クリスさん、オルカさんの6人。他にも市民から何人か性転換の報告が上がっているようで、軍は朝から大騒ぎ…ということらしい。
オルカさんだけ国外なことから、混乱的城市のみを狙った能力犯罪でないことは分かったが……メーラサルペ内では現状オルカさんのみ性転換、他国ではそもそも当現象は確認されていないそうだった。
それ故にオルカさんは旧友のクリスさんに助けを求めに来たそうで。クリスさんは笑いながらそれを伝えると、まださも愉快そうに微笑みながら宣った。
「そこでだ。原因解明は軍の科学部隊に任せておいて、とりあえずお前達には能力被害休暇を与える。治ったら連絡を寄越せ。仕事はするな。それだけだ」
「はーい、オレと零くんは軍の仕事だけナシ?」
「ああ。殺し屋の方はシイに判断を委ねる。好きに選ぶと良い」
「りょうか~い」
まぁこの感じを見るに、シイさんは仕事を休みにはしないだろう。依頼というのは期限が決まっているものだし、その日でなければいけない、というものなんてザラにある。
結局ファンタジーが起きたって、日常は続いていくのだ。それに、休みがないことに沈むより今は原因解明が待ち遠しい。
(……Rさんは、どうしてるだろう)
ふと、そんなことが頭の中に浮かぶ。別に今Rさんとこの事態には何の関連性も無いが、もし彼も僕と同じように女性になっていたのだとしたら………
「んじゃ零くん、とりあえず今日だけ休み!急ぎの仕事無いから!んでオレら三人でおうちデートしよ!」
「…すいません、ちょっと気になることがあるので先に帰っててください」
「お?りょーかい!じゃあフーゾ先帰ろ~」
「零くんあんま人通りの少ないとこ歩かないようにね~」
胸がざわざわする。Rさんは殺し屋だったとはいえ、今は現役じゃない。もしあの人が、何かされていたら……
(可能性は凄く低い、けど……)
シイさん達が居なくなった折に、僕も部屋を出る。嫌な予感が当たらないようにと祈ることしか、今はできなかった。
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「ふふ、可愛らしいですね。必死に僕のことを探しているようでしたから、何かと心配しましたが……」
「うう……いえその……分かってはいたんですが……最悪の想定をしてしまって……」
「どうやら貴方の中で僕は随分か弱くなっているようで。帯刀している不老不死が良いようにされるわけないでしょう」
「その通りです……」
にこりと綺麗な笑みを浮かべたRさんに見下ろされながら、顔が赤くなっていくのを感じる。言われてみればその通り、としか言いようがない正論ばかりをぶつけられ、いかに自分が冷静でなかったかを思い知らされてしまう。
あの後、僕はRさんを探しに路地裏を手当たり次第訪れた。そうして一番期待値が高いところで、逆に僕が男達に絡まれてRさんに助けて貰ったのだ。
正直もの凄く情けない。全然普通にびっくりして動けなかったし、Rさんは女性になっても強かったし、僕の心配は杞憂だったし。挙げ句の果てに、必死に探していたことですらバレているのだから救いようがなかった。
「この現象に心当たりはありますか?」
「いえ、僕は全く……Rさんは…?」
「僕はありますよ」
「えっ」
改めてRさんを見る。女性になってもやっぱり僕と同じで顔は変わらないし、細身だからパッと見変化はない。完全に僕と同じパターンだ。
それなのに、僕はどうしてこうも動揺しているのだろう?今飛び込んでくるどの感覚でさえも、Rさんが女性であることを表すものはない。これでは僕は「Rさんは女性」という情報だけでドキドキしている男…いや、女のようじゃないか。
「どうですか?女性になってみた気分は」
「え?ええ…と……あんまり、普段と変わらないかもしれません。朝起きた時は戸惑いましたが……」
そう言うと、Rさんは笑みをより深め、こちらへと近づいてくる。足音もせずすうっと近づいてくる様子は、少し幽霊にも似ていた。
「では、この辺りでおしまいにしてしまいましょう。時間に遅れても可哀相ですからね」
「…え?それは、どういう……」
Rさんが後ろに手を伸ばすと、何もないところに裂け目が現れる。唖然と眺める僕の目の前で、先ほどしまっていた刀が細くて少し荒れた彼の手に握られ、刀身を抜かれた。
気がついたときには、Rさんの刀が首に当たっている。待って、と言う暇もなく視界が宙に舞って。そこで初めて、僕は《《痛みが訪れない》》ことに気がついたのだった。
「おはようの時間です。では、良いエイプリルフールを」
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「……ねむい……」
半身を起こして、何とかカーテンを開ける。朝の日差しが僕の目を貫き体内時計を正常な時間へと戻していくのがわかった。
今日は《《4月1日》》。僕のいた世界ではエイプリルフールと呼ばれる日である。前の日にシイさんにそれを伝えたところ、彼は意気揚々と明日つく嘘を考えていたのを思い出した。
だが、エイプリルフールであるからと浮かれてはいれない。月始めには、軍総統への殺し屋業務の報告がある。僕もシイさんの付き添いとして訪れるのだから、しっかり気を引き締めなければ。
(…そういえば、何か変な夢を見たような……いやいや、今はそれどころじゃないんだから、夢のことは忘れよう)
ぱん、と両頬を軽く叩いて思考を切り替える。今日のタイムテーブルを頭の中に浮かべながら、僕は自室のドアを開いた。
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