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さよならの一杯
この世の終わりまであと3日。
今日のニュースで伝えられた。隕石が落ちるらしい。
空にあるのはいつも通りの青空ではなく、巨大な星だった。
その星はもちろん光っていない。ここに冷たい影を落としている。
誰かの叫び声、泣き声、怯えた声。
その中で僕はいつものようにコーヒーを淹れた。
そこへ扉のベルがなった。
ありえないはずの、来客だった。
--- さよならの一杯 ---
『速報です。』
『東京都のある区で謎の星が観測されたとの報告を受けて以来、JAXAが調査を進めたところ、3日後には隕石の衝突があるとの調査結果が出ました。』
『中継です。現場の宮田さん』
『はい…こちら、新潟県の山間部です。ここは一番隕石が大きく見える場所です。見上げると信じられないほどでかい隕石があります……今にも落ちてきそうな圧迫感ですね……』
『今、各地では犯罪や、殺人、自殺が勃発しており、警察は対応に追われてい、』
カチッ
「はあ」
朝、ニュースをつけると世界終了のお知らせをされた。
とても大きい星がゆっくりと近づいてきているらしい。
まあ僕達からはゆっくりに見えるだけで実は結構進んでいるんだとは思うけど。
どうしてこんなことになるまで気づかなかったのか、どうしてこうなったのかはまだ解明されていない。
と、ニュースキャスターは顔を強張らせて事実を告げている。
今はどの番組も隕石のことについてしかやっていない。
隕石のことについて議論したって、返ってくる答えは絶望だけ。
今更どうなるっていうんだ。
そう思いながらいつも通り、コーヒーを注いだ。
僕は街の外れで喫茶店をやっている。
こんな世界の終わりを告げられた後にいつも通り、という訳にはいかないらしい。
今日は誰もお客さんが来なかった。
3日後に世界終了だと言うのに呑気にコーヒーカップを磨くのはどうかと思うが他にやることはない。
なんなら別に怖くもないし、このままさっさと終わってくれないかなとも思っている。
カラン
唐突に、ドアのベルが鳴った。
こんな日にお客さんか。
「いらっしゃいまーー。」
「はるくん!!!!!!」
え、僕???
いらっしゃいませを遮って放たれた言葉は僕の名前だった。
いや、僕の名前は遥(はるか)ではるくんと呼ぶ人なんて思い浮かばない。
ドアの前に立っていたのは、白い髪はボサボサ、服は乱れて、はだしで、でも顔立ちはきれいな少年だった。
僕よりも年下っぽい。
「……何名様ですか。」
「見りゃわかるでしょー!!ひ!と!り!」
「…。こちらのお席へどうぞ。」
「いや遠すぎ!!カウンターにしてよ、あからさまに避けてるじゃん!!」
「……………」
謎の少年はなぜかカウンターの、一番僕と近い席に座ってきた。
そしてホットミルクを注文し、僕のことをにこにこしながら見ている。
知らない人が僕の名前を呼ぶとか、気持ちわり。
頼むからさっさと帰ってくれ。
「ふふーん、やっぱり変わらないねーはるくんは。」
「……。」
「うん。無視しないで??」
「失礼ですがお客様、なぜ僕の名前を知っているんですか」
「え!!もしかしてボクのこと覚えてないの!!!?」
「…。」
なんだこいつ、めんどくせえ……、
「君って結構無口なのに思ったことはすぐに顔に出るよね………顔にこいつめんどくせえって書いてあるよ………」
「どうも。」
「どうも。じゃなくて!!ホントに覚えてないの……?」
「はい。」
「飼い猫の名前はなに??」
なんでそんなこと聞くんだ??
「ハクです。死にましたけど。」
できるだけ真顔で答えた。僕だって飼い猫が死んだことはちょっとは悲しい。
するとさっきまで笑顔だった少年は急に真顔になった。
見透かすような目。
少し不気味に感じる声。
「なんだー覚えてるじゃーん。それボクだよ。」
いやそんなわけ無いだろ。
髪が白ってこと以外にハクと似てるとこは無いし、猫が人間になるとかありえん。
「……そうですか。」
「反応薄くない………?愛猫が会いに来てるんだよ……?」
めんどくせーーーーーー。
「…………はあ。」
「まためんどくさいって思ったでしょ。」
「冗談もその辺にしてくださいね、そもそも猫が人間になるなんてありえない話です。」
「それははるくんの時代の話。」
「何言ってるんですか。じゃあハクが好きな食べ物は??」
「煮干し。」
「好きなことは?」
「寝ること。」
「好きなおもちゃは?」
「鮫のぬいぐるみ。」
全部合っている。
こんなことがあるのか。
まぐれなのか。
それとも……………。
「…………。」
「いい加減に信じてよ。」
「………分かりました。」
「おー!!!!ありがとう!!だいすきはるくん!!」
「……」
きもちわり
「…引かないで???」
その日は何気ない会話をして終わった。
正直まだ信じきれていないが、ミルクを飲む姿や、こちらを見つめる目がどことなくハクに似ていた。
喋り方は猫というより犬みたいな感じだ。
ハクが夕日の差し込むドアの前で振り向いてこっちを見た。
「明日も来るからね!!たくさん話そう!」
「そうですか。」
「…もうボクにもはるくんにも時間はあまりないからね。有意義に過ごしてね。」
そういってハクは、夕焼け色の街へ溶け込んでいった
後ろ姿にはどこか、寂しさを感じたような気がした。
***
真っ赤な炎。焦げた匂い。焦った人の声。
どれも僕の恐怖心を掻き立てた。
怖くて動けなかった。
隣の家が焼けていた。
バラバラと崩れてゆく。
その壊れていく様を僕は静かに見ていた。
「猫の鳴き声が聞こえるぞ!!!中に猫が取り残されている!!!!!」
それを聞いたとき、僕はすでに走り出していた。
真っ赤な炎に向かって。
僕と同じように怖がっている猫に向かって。
策はなにもない。
猫はいないかもしれない。
助けれないかもしれない。
ぼくも死ぬかもしれない。
それでも足は止まらなかった。
家の中に進むと案外すぐに猫を見つけることができた。
煤が付いているが綺麗な白い毛並みが見えた。
暑い。焦げ臭い。怖い。
でもそれはこの猫も同じ。
「大丈夫。安心して。僕がいるからね。」
「にゃあ」
弱々しくそう返事をした猫を抱えて僕は、燃え盛る炎からなんとか脱出した。
***
あの隕石は昨日よりも心なしか近づいているような気がした。
カラン
ドアが開く音が聞こえる。
白い髪の毛の少年。
ハクだ。
また来たのか。
「いらっしゃいませ」
「ふふ、今日もはるくんはかわいいね。ボクのために店を開けててくれてたのかにゃ??」
うぜえ。
「………。」
「表情で語るのやめて……傷つく……。あ、ホットミルクで。」
「かしこまりました。」
しばらく沈黙が続いた。
ハクはなにかを考えているようだった。
笑顔ばかり見ていたから真剣な表情は余計に冷たく感じた。
「…おまたせしました。ホットミルクです。」
「はるくんはいつも何飲むの?」
「ブラックコーヒーですね」
「…………。」
眉間にシワを寄せて、変な顔をしている。
「君にはまだはやいですよ。大人の味なので。」
「うるさいなーあ、ボクだって飲めるよ。最後は一緒にブラックコーヒー飲むって決まってるからさ。」
「そうですか。」
沈黙。
昨日よりもハクが喋らない。
どこか変だ。
「……ねえ、はるくん。もうすぐ最後だけどさ、きみは逃げないの?」
隕石が最初に落ちるのは、日本。
最初に日本が潰される。
だからこの街の人は少しでも生きるためにブラジルへ向かっている。
「うーん、僕はそこまで死にたくないとは思わないので。」
ずっとそうだった。
自分はからっぽで。
ほとんど何も感じなくて。
全部全部、つまらなくて。
「逃げようよ、一緒に。」
「君だけ逃げたらいいじゃないですか。ブラジルに行っても生き延びる保証はないですし。」
「生き延びるよ。」
真剣にこっちを見ていた。
「ブラジルの、とある場所に行けば、生き残るよ。」
「………なんでそう言えるんですか。」
「知ってるからだよ」
そういってハクは笑った
どこか寂しそうだった。
「わかってるなら君だけ逃げればいいじゃないですか。」
「ボクは、助からないからサ」
笑っている。
でもなんか軽い感じがした。
心から笑ってない。
スカスカしている感じ。
「じゃあ一緒に死にましょうよ。」
そういうとハクは目を見開いた。
「だめだよ……ボクはきみを助けに来たんだ。」
「僕が望むのは、ハクとできるだけ長く一緒にいることです。ほんとに君がハクなら、僕は最後まで君といたい。」
本音だ。
いつもなら恥ずかしくて言えないけどさ、
本音だよ、ハク。
「んふ、変わらないなあ、ほんとに」
「なんでちょっと涙目になってるんですか。」
「泣いてないから。」
「………そうですか。」
「……ずっと、会いたかった。燃え盛る炎から助けてくれたあの時からずっと願ってた。神様がそれをかなえてくれたんだ。3日間だけだけどね」
「そんな事があるわけない。」
のに。
「ほんとだよ。はるくん。ボクを助けてくれてありがとう」
まっすぐこっちを見ていた。
あの日と同じ目。
「……それと同じくらい、僕はハクに助けられたんです。」
「んふ、よかった…」
ハクの頬に雫がひとつ、溢れた。
顔を伏せて泣くハクが、本当に猫に見えた。
思わず頭を撫でる。
「あったかいなあ、」
「会いに来てくれてありがとう、ハク。」
「もう!!!そんな事言われたら余計泣くでしょ!!!!ばか!!!!!」
世界の終わりの最後の朝。
青空だった。
でもその中心には隕石があった。
もうすぐ、終わる
なにもかもが。
また、扉が開く音がした。
「いらっしゃいませ。」
ハクが笑って立っていた。
相変わらず白い髪。少し幼い笑顔。まっすぐな目。
「おはよう、はるくん。ブラックコーヒー2人分ね。」
僕は頷き、最後の一杯を淹れた。
その間、2人とも何も喋らなかった。
ハクがにっこり笑ってこっちを見ている。
その笑顔があまりにも綺麗で、胸が痛くなる。
カップから立ち上る、暑くて苦い香り。
震える手でコーヒーを差し出した。
2人並んでそれを口にする。
「にがくないですか??」
「苦い。けど、嫌いじゃない。」
どこかで地響きがして、窓ガラスが微かに揺れた。
ハクが静かに僕の手を握る。
「ありがとう、はるくん。ボクは君に会えて……ほんとに良かった。」
涙が頬を伝っても、その綺麗な笑顔は崩れなかった。
「こっちのセリフです。」
もう、僕はからっぽじゃない。
ハクがいるから。
窓の外が白く光る。
怖くなかったはずなのに。
ハクといる時間が壊れて欲しくない。
ずっと一緒にいたい。
「大丈夫。安心して。ボクがいるからね。」
そう言って笑っている。
なんか懐かしい言葉。
それでいて安心する。
握られた手が少しずつ薄くなっていく。
嫌だ。
消えて欲しくなくて僕は急いでハクを抱きしめた。
「もー、泣かないでよ、はるくん」
「いやだ、いやだよハク。」
白い光が一層強くなる。
ハクがどんどん薄くなる。
--- ゴオオオオオォォォォ ---
ハクは消える直前に、僕を庇うように抱きしめてくれた。
「はるくん、またコーヒー飲もうね。今度は笑って飲もう。」
「うん………また、会えるよね。」
最期の会話を噛みしめるようにそう返事をした。
ハクは笑って頷いてくれた。
最初からさよならが決まっていたとしても、この一杯は温かかった。