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星々を迎える
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死者蘇生。なんらかで肉体から離れた魂を,強制的に肉体に引き戻し,再び生命活動を行わせる行為。人智を超え過ぎているゆえに,医者だけでなく世界そのものから禁忌として扱われている行為。
世間が聖誕祭と謳う日。緩やかに流れる川の上に木の橋がかかっていた。柵は身を乗り出せば簡単に落ちてしまいそうなほどに低い。そんな橋の上から,僕は煌めく水面を見つめていた。医者として働き詰めになってから,安らぐ時間というのはほとんどなくなった。それは僕にとっては苦ではない。だって人のためになることが僕のやりたいことなのだから。と思っていたが,やさぐれた患者の相手や毎日誰かを見送る日々を送っているうちに,心が荒んでしまったのだろう。この川でも,頭から飛び込めば死んでしまうのだろうか。川底が浅ければ浅いほど,きっと確実なんだろうな。ぼんやりと,けれども確実に,その水面に自身を近づけようと少し身を乗り出していた。
「すみません」
男の人の声がした。我に帰って慌てて乗り出した身を縮める。僕は声のした方へ視線を移した。
「すみません,驚かせるつもりはなかったのですが。」
話しかけてきた男の人は申し訳なさそうに眉を下げて苦笑いをしながら言った。後ろには,やけに荷物を沢山持った桃色の髪の,綺麗な女の人がいる。
「うちのバーを知らないで死のうだなんて。君,人生損してるよ」
女の人は,積み上がった荷物の横から顔を出して無邪気な笑顔で言った。それを聞いた男の人はやれやれと肩をすくめた。
「それほどではありせんが……。名も知れ渡っていない小さな店ですし。ですがどうでしょう,私で良ければ,貴女に最高の一杯を作って差し上げましょうか。」
微笑みかけた男の人を見て,僕は何も知らないその店がすごく魅力的に見えた。しかし僕は暇というわけではない。すぐにでも戻らないといけないのだ。
「すみません,誘っていただきありがとうございます。でも僕は生憎この後もやらなくちゃいけないことがあって。」
僕はやらないといけないことがたくさんある。僕を待ってくれている人をたくさんいる。だから我慢しなくちゃいけない。患者さんはみんな僕より何倍も,何十倍も苦しい思いをしているんだから。僕は背を向けて立ち去ろうとした。
しかし,男の人が僕の腕をそっと掴んだ。振り払おうと一瞬また男の人の方を見る。無理は良くない,言ってもいないのに,まるでそう言っているような表情をしていた。僕はその人の顔を見ると,自分で封じ込めていた想いが溢れてくるような,そんな気がした。
「ちょっとでいいから,ね。」
女の人がまた笑った。僕は,少しなら休んでもいいのかもしれないと,そう思った。
2人について行くと,森に差し掛かるところに本当に小さな建物があった。男の人が裏口に回ってから表扉を開けてくれた。扉の奥には,カウンターと高めの椅子。少し薄汚れたテーブルがいくつかあった。
「空いているお席…って,どこも空いていますね。お好きな席へどうぞ。」
男の人はそう言ってゴソゴソと作業を始めた。そう言われ僕がカウンターの隅の椅子に座ろうとすると,荷物の整理をしていた女の人が声を上げた。
「あ!ダメだよ!そこ僕の席だからね!!」
ズカズカと近づいてくると,よっこらせ,と言いながら椅子に座った。
「シャルル…!はぁ……すみません,ご無礼を……」
シャルルと呼ばれた女の人はしてやったり,と満足そうな顔をしていた。僕はこの人は手がかかるんだろうな,と思いながらシャルルさんが座った席の2つ隣に座った。
「えー隣座ってくれないのーー?!」
なんだ,なんなんだこの人は。さっきまでさも従業員のような顔をしていたのに,今はただのお客さんだ。でも,常連さんがこの店長っぽい人と仲良くなってただ作業を手伝っていた可能性もある。僕は意見する立場にはないのでなんとも言えない。シャルルさんがぶーぶーと横から野次を飛ばしてくるので,渋々隣の席に座った。面倒くさい人だな,と正直思った。店長っぽい人はきっともう言い咎めるのは諦めたんだろう。そうだろうそうに違いないと僕は納得した。すると先ほどの男の人がシェイカーと呼ばれる道具を振るのが見えた。バーらしいその姿に少しだけ感心した。そして小さなグラスに中身を注ぐと,カウンターの上を滑るように僕の前へと飲み物を差し出した。灯りに照らされた鮮やかな赤色。僕の瞳と,同じ色だ。
「お待たせいたしました。お口に合えば幸いです。」
男の人…店長さんはまた優しい笑みを浮かべた。僕は一言お礼を述べて飲み物をそっと持ち上げる。グラスが小さいので量自体はあまり多くはない。底を見つめるように上から覗く。先ほど覗いていた川の水面より綺麗だと思った。そして僕はその飲み物を口に運ぶ。桜桃のような,優しい甘みがした。
「……美味しいです。」
僕は呟きくらいの声をこぼした。それを聞いて店長さんはほっと胸を撫で下ろし,シャルルさんは誇らしげな顔をした。たった一杯の,それに一口で終わってしまうほど儚い飲み物だった。けれど,それだけで僕の心はどこか救われたような気がした。
それから僕は2人と色々話をした。僕が医者をやっていること。毎日たくさんの人を診ていること。そして,たくさんの人を看取っていること。
話していると自然と涙が溢れていた。辛いわけじゃない。いつも僕の前にいるのは僕以上に辛い人たちなんだと。僕だって,いつも助けてもらってばかりなんだと。シャルルさんはカウンターの上で腕を組みながら,店長さんも横に座って,満足のいくまで僕の話を聞いてくれた。
話し終えた時にはもうすっかり辺りの日は落ちていた。そろそろ帰らないと怒られてしまうから,2人を説得して帰ることにした。
「今日はその,ありがとうございました。」
僕は少し頭を下げて扉に手をかけた。
「またいつでもお越しください。私達はいつでも貴女を歓迎しますよ。」
「また絶対来てね!」
2人は僕に手を振っていた。僕も少しだけ笑って手を振りかえして店を後にした。
ちなみに店を出たあとすぐ蛇ちゃんに遭遇し,どこで油を売っていただの心配しただの半ばお説教されながら家に帰った。当然見慣れた場所だったけれど,その日は何故だか特別な場所のように思えた。
それから僕はあのバーによく足を運ぶようになった。次第に2人とも親しくなり,2人のこともたくさん知るようになった。シャルルさんは常連でもなんでもない従業員だってこと。そもそもシャルルさんは男の人だったってこと。僕はそれに一番驚いた。その話をした時,彼は涙が出るくらい笑っていた。そんなに笑わなくたっていいのに。ってシャルルさんの話ばっかりじゃないか。
そうして次第に僕たちはまるで家族のような存在になった。お父さんもお母さんも他界している僕にとっては,数少ない心の拠り所だった。
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あれから一体どのくらいの月日が流れただろう。生きづらいと思う毎日だった。街を歩けば罵声と石が飛んでくる。嫌がらせが絶えず家に帰ることもままならない。バーに被害が及ぶことを避け,もうほとんど足を運ばなくなった。しかし,僕の心はもう限界が近かった。死にたくても死ねない,償いたくても償いきれない苦しみを常に抱えながら生きることが,心の底から辛かった。
昔はよくこの道を走ってバーに飛び込むように入っていたっけ。その度に店長と,定位置の変わらないシャルルが出迎えてくれて,色んなジュースやカクテルを作ってくれて……。今では叶わない幻想のような思い出を一つ,また一つと思い出しながら歩いていると,すぐバー前まで辿り着いた。しかし,無性に嫌な予感がした。何故か。そこで働いていた従業員の2人が,しかくさんとリベルさんがそこで地べたに座り込んでいたのだ。普段僕を敵対視しているリベルさんだが,僕の顔を見るなり,焦ったように,顔を歪ませて言った。
「へ,蛇使い座さん…っ。シャルルさんが………店長が……っ!!!」
僕は全身から血の気が引いた。最悪の想像をした。まさか,そんなわけ,ない。
僕は恐る恐る扉に近づく。その先の光景を見るのが怖かった。しかし,息を整えると,僕は勢いよく扉を開けた。その瞬間,思わず鼻を覆うほどの血生臭さに襲われた。
「シャルル…!店長……っ!」
あまりの悪臭に吐きそうになりながら,僕は思わず2人の名を叫ぶ。本来であれば2人が驚いたようにこちらを振り返ることだろう。しかし,そんなことは起こらなかった。
2人は,カウンターにもたれかかっていた。あの時作ってくれたカクテルのような鮮やかな赤色の液体が,酸素を吸って黒ずんでいる。店長もシャルルも,痛みに苦しむ表情のまま,動かない。よく見ると,店長が自身とシャルルの腹に手を当てている。その下がどこよりも染まっている色が濃かった。信じられなかった。どうして2人がこんな目に遭っているのか,脳が理解を拒んでいた。そして次に僕は何をすべきなのだろうか。そう冷静になって考える前に,僕の体は2人の前に歩みを進めていた。呼吸音が聞こえない。僕は2人の前にしゃがみ込む。脈がない。僕は2人の顔を見る。安らかとは決して言えないほど,痛々しい表情のまま,息絶えていた。
次にどうすべきか考える余地なんてなかった。僕は2人に向けて両手をかざす。そして全身の力を指先に込め,足元に魔力で法陣を描く。
死者蘇生。なんらかで肉体から離れた魂を,強制的に肉体に引き戻し,再び生命活動を行わせる行為。人智を超え過ぎているゆえに,医者だけでなく世界そのものから禁忌として扱われている行為。僕はこの力を,この禁忌を,もう二度と使わないと誓った。誓ったはずだったが,この時の僕にとってはそんな誓いのことなど記憶になかった。ただ僕の頭に残っていたのは,2人をなんとしてでも助けたいと,その想いだけだった。僕は死者蘇生の呪文を,叫ぶように唱えた。
地割れが起きそうなほど大きな地響きがした。頭がかち割れるほどの耳鳴りがした。禁忌を世界が拒絶しようとしているのを全身で感じた。異変が治ると,僕も両腕を下ろした。荒れた息を整えながら,汗を拭う。
すると,2人はかすかに息をし始めた。先ほどまで決して動くことのなかった脈が再び動き始めた。恐る恐る様子を伺いに来たリベルさんとしかくさんがシャルルと店長に駆け寄った。2人が息をしているのを感じたのか泣いて喜んでいる。
僕もほんの一瞬安堵で胸が満たされた。しかしすぐに,誓いを破ったという大罪がのしかかった。2人を助けたくて咄嗟に死者蘇生を行なってしまった。12星座様と,被服師様と結んだ誓いを,白昼堂々破ったのだ。
店長かシャルルが咳き込むと,僕は我に帰って店を飛び出した。その時リベルさんが何かを言っていたが僕は聞きもしなかった。ただひたすら走った。足がもつれて転びそうになっても,息が苦しくても,ひたすら走った。前はほとんど見えていなかった。
そして,ある場所で足を止めた。息を荒げたまま,その場に崩れ落ちた。地面を見つめながら,肩で息をする。汗が一粒,また一粒と落ちるたびに,地面が濡れる。周囲の人々が僕の姿を見て足を止めている。
そこは,初めて店長とシャルルと出会った,あの橋と同じ場所だった。今は文明の発展で川が埋め立てられた影響で当時の面影はない。それでも僕はあの場所と同じ場所だと,断言できる。またあの時みたいに,2人が僕を呼び止めてくれるかもしれないなんて,あるわけがない希望を抱いていたのかもしれない。
すると,僕の元に2人の影が近づいてきた。僕は微かな希望を抱いたままゆっくりと顔を上げる。しかし,そこにいたのはあの時の2人ではなかった。
被服師様と蠍座様だ。
「………わかるだろう。どうして自分が君の元に来たか。」
優しさを含んだ,柔らかい声。しかしいつもより低音で,圧を感じた。それが,失望や少しの呆れの感情が混じっているように思えた。横に立つ蠍座様は何も言わず,しかし重圧をかけるように睨みつけている。その瞳に見えているのは蛇使い座ではない。仕留めきれなかった|敵《ゴミ》だ。
僕は何も言わず俯きながら立ち上がった。蠍座様が僕に武器を向ける。被服師様は蠍座様と目配せをすると前へ歩き出した。僕も続いて歩き出す。周囲の人々がひそひそと僕を見て何かを話している。
もう,何もかもどうでも良かった。