公開中
君の笑顔が見たいから3
誰もいない夕暮れの教室で、僕が姫奈さんに勉強を教える「秘密の時間」。
冬になり、それぞれの進路が決まり始める頃、それは突然終わりを迎えた。
クラスの誰もが憧れるサッカー部のエース、瀬尾くん。
彼が東京のスポーツ推薦枠で有名大学に進学することが決まった翌日、姫奈さんもまた、東京の難関私立大学の推薦入試に合格したという噂が教室を駆け巡った。
「姫奈、瀬尾と同じ東京の大学なんだって?」
「すごーい! 離ればなれにならなくて良かったね!」
朝の教室、陽キャたちの輪の中心で、姫奈さんは顔を真っ赤にしながら、満開のひまわりみたいに嬉しそうに笑っていた。
その笑顔を見た瞬間、僕の足元がガラガラと崩れ落ちるような感覚がした。
あぁ、そうだったんだ。彼女が必死に数学のワークにしがみついていたのは、僕のためなんかじゃない。
瀬尾くんと同じ東京の大学に行くための、推薦の評定が足りなかったからだ。
僕が眼鏡の奥で必死に心臓を鳴らしていたあの時間は、彼女にとっては大好きな人の元へ羽ばたくための「手段」に過ぎなかったのだ。
すべてを理解した日の放課後。
僕は一人、静まり返った教室で荷物をまとめていた。
胸が張り裂けそうに痛むのに、涙すら出てこない。
「透理くん」
不意に、背後から声がした。振り返ると、コートを着込んだ姫奈さんが立っていた。
「……姫奈さん。合格、おめでとう」
感情を押し殺して言う僕に、彼女はいつものマドンナの笑顔…ではなく、どこか申し訳なさそうな、少し曇った顔を見せた。
「ありがとう。ねえ、透理くん。私、東京に行くんだ。」
「うん。瀬尾くんと同じところだね。良かったね」
あえてその名前を口にすると、彼女は息を呑み、それから観念したように小さく俯いた。「……気づいてたんだね。うん、そうなの。私、どうしても彼と同じ場所に行きたくて。でも、数学の成績がどうしても足りなくて……」彼女は一歩、僕に近づいた。かすかに香る甘い匂いが、あの秋の日の幻影を呼び覚ます。「みんなの前では『完璧な私』でいなきゃいけなかった。けど、透理くんが教えてくれたから、東京の大学にいけたから!」
それが、彼女の本音だった。
「……そっか。役に立てたなら、良かったよ」
気の利いたセリフなんて、言えなかった。ファッションセンスもなくて、運動もできなくて、最後までただのガリ勉陰キャの僕。彼女の隣に並ぶ資格なんて、最初から一ミリもなかった。
姫奈さんは僕の目をじっと見つめ、そして、これまでで一番綺麗な満開のひまわりを咲かせる。
「私、透理くんに出会えて本当によかった。…バイバイ、私の恩人さん」
彼女はそれだけ言うと、背を向けて、軽い足音を立てて教室を去っていった。
僕は、追いかけなかった。ただ、彼女が去ったあとの誰もいない廊下を窓越しに見つめ、眼鏡を外して、溢れそうになる涙をぐっとこらえる。
春になれば、彼女は僕のことなんて忘れて、華やかな大都会で、大好きな人と幸せに生きていくだろう。
僕はまた、大好きな人の幸せを祈りながら、ペンを握り直した。