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第3話:窓の向こうの、色褪せない春
白く、あまりにも無機質な天井。
鼻をつく消毒液の匂いと、規則的に鳴り続ける電子音。
|新《あらた》が次に目を開けた場所は、死後の世界ではなく、重苦しい空気が漂う病室だった。
「……また、生きちゃったのか」
掠れた声で呟く。傍らには、急報を受けて駆けつけたであろう両親が、疲れ果てた顔で眠っていた。
新は二人を起こさないよう、ゆっくりと視線を窓の外へ向けた。
そこには、新にとって忘れられない景色が広がっていた。
病院の中庭。そこにある古びたベンチの横に、一本の立派な金木犀の木が立っている。
「あそこ……」
二年前。|永莉《えり》が風邪をこじらせて短期間入院したとき、新は毎日そこへ通った。
『新くん! 見て、あそこの花、すごくいい匂いだよ。私、元気になったら新くんとあそこのベンチでお弁当食べたいな』
病衣姿で、少し青白い顔をしながらも、永莉は未来のことだけを語っていた。
あの日、彼女は「今」を懸命に生きようとしていた。
それに比べて、今の自分はどうだ。
死を願うように一年を過ごし、挙げ句の果てに、本当の病魔に身体を蝕まれている。
コンコン、と控えめなノックの音がして、白衣を着た医師が入ってきた。
両親が飛び起きる。新は、逃げるように窓の外の金木犀を見つめ続けた。
「新さん。検査の結果が出ました」
医師の言葉は、酷く静かだった。
告げられたのは、聞き慣れない病名。そして、現代の医学では完治が難しい「不治の病」であるということ。
「今後の治療ですが、まずは延命を第一に考え……」
母の嗚咽が部屋に響く。父が医師に縋り付くように質問を投げかけている。
けれど、新の耳にはそれらの音は届かなかった。
(長くは、生きられない)
その言葉だけが、頭の中でリフレフレインする。
不思議だった。あれほど死にたいと思っていたのに、いざ「終わり」を宣告されると、胸の奥が冷たく震える。
窓の向こう、金木犀の木の下で、一組の若いカップルが笑いながら歩いているのが見えた。
かつての自分たち。
明日があることを一ミリも疑わず、子供の名前を考え、未来の地図を描いていた、あの頃の僕たち。
「……永莉」
新は、点滴の管が繋がった右手を、窓の向こうへ伸ばした。
指先は冷たいガラスに触れるだけで、あの温かな日々を掴むことはできない。
一年前、永莉は「今」を奪われた。
そして今、新は「これから」を失おうとしている。
皮肉にも、命の灯火が消えかかっていることを知ったその時、新の鼻腔に、遠い記憶の中にある金木犀の甘い香りがかすかに漂った気がした。
それは、失われゆく「今」が、どれほど残酷で、そして輝かしいものかを告げる、最初の予兆だった。
🔚