公開中
20240519
四句。
「断崖は驟雨三分ノーカット」が、場面描写がえぐいなって思った。雨の必然性が出てる。
**春雨や祖父の先ゆくかえる寺**
福岡に「カエル寺」というお寺がある。カエルの由来は、一万体以上のカエルの置物が所蔵されているためである。
今日は雨の日だけど、だからこそ、そのカエルたちを見に行きたい。雨だけど雨脚は弱いし。
そうやって強引に祖父を連れだし、着いたとたん祖父を追い越してカエル寺に行く。カエルの置物好きな奇特な子供が、駆け込み寺のように、境内を走る。長靴を履いているから水たまりなんてへっちゃら。水音がばしゃんと弾ける音がしてきそう。
---
**夏雨のシーン子役の着替え手に**
夏の空より降る雨のシーン。
子役が演技をしているも、雨なのでびっしょり濡れている。
夏でもきっとつらいと思っているだろう。
近く、マネージャーがその子の着替えを手に持っている。
撮影中なので邪魔はできないが、それはきっとわが子を思うように、心配の目をしているのかもしれない。
---
**雨の森独り|空蝉《うつせみ》見る少女**
独りになりたいときに逃げ込む森がある。
理由はどうであれ、今日も一人になりたいときがやってきた。
いつの間にか家路の道から外れてしまって、そのまま雨の森へ。何十本の樹根と泥まみれになりながらも、雨に濡れてまで、独りになりたいがために森の奥へ行く。そこで出会う虫の抜け殻。
この樹皮に張り付く空蝉を見に、少女は独りになるのだ。
空蝉の不透明な光。雨の粒が反射する光。濡れた木々の匂い、泥のまとわりつく靴裏の感触。
ささやかに響きあい、それが主役級の少女の孤独ごと、ずぶぬれにさせている。おそらく空蝉は雨に濡れていない。
---
**断崖は|驟雨《しゅうう》三分ノーカット**
驟雨とは、急に降り出していきなり止む雨のこと。それが断崖の際にて現れた。
強烈な雨が降りそそぎ、しかし雲の流れからすぐに止んでしまうだろう。
失敗のできない撮影の現場。
鬼気迫る俳優の表情。
立て板に水のごとくセリフが流れ、相乗効果で強まる雨音。
今撮らなければならないシーン。
撮影の緊張感と真剣さ、臨場感。失敗の許さない一体感が「三分ノーカット」に伝わる。