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謝罪と云う名の哀れ。
陽羅
人は何故謝罪をするのだろうか。其の者が犯した過ちを反省するためだろうか。いや、違う。活動休止と言い一時期姿を見せなくなるのは何故だろうか。反省して自分と向き合うためか。其れも違う。謝罪したように見せかけ、又転生して戻って来る。人間は結局、反省をしきれていない動物だ。嘘で塗れた世界というのは当に此の世界だ。私も一度はネット社会という場所で、問題を起こし、謝罪をした。確かに、反省した側からすれば、「私はちゃんと謝った」そういう感情が湧いてくるだろう。だが、私のような思考の人々は謝罪したものに対し、次々と見えないところから、正面から。石を投げつけてくる。投げつける石を見ながら毎度思うことは、石には色々な形があることだ。石は石でも、温かみの感じる丸い石や、鋭さを感じる鋭い石や、明らかにその件とは関係のないトゲなどがある石が見える。何時も何時も飛んでくる石は、温かみの感じる丸い石などは極稀にしか目にしたことがないのだった。人間は哀れだ。其の様な事でしか、自分を満たせない。外にもすることはあろうにも関わらず、私に構うばかりだ。変な形の石や五月蝿いくらいに綺麗な石を投げつけてくる者たちは、何がしたいのかすら分からなくなってくる。何時か其の石が、投げた人物其の者の不幸にならないことを願ってやろう。祖して、私の様に苦しみ続ける人物に手を取ってあげられるような人間が、少しでも増えることを願う。もうあの頃の私ではない。あの頃の、莫迦で阿呆な私ではない。手を差し伸べるのではなく、其の手を掴み共に、光のある世界で、あらゆる石の存在が分からなくなるような世界に。偽善事をほざく者等なぞ、気にしなくて良いのだ。幾ら自分のなりすまし被害を受け、なりすましている側が本物だという阿呆な思考を持った者等に気にする必要など無いのだから。-終-
今回は、多くの素晴らしい作品がある中、私の作品をお選びいただき誠に感謝です。(誤タップで閲覧頂いたのなら此処まで読み進めてくれたことに感謝です)
此の作品のモチーフは私の実体験やネッ友との関わりを基に執筆しました。此の作品に対する思いは、誹謗中傷をなくしたいということです。話が少し変わりますが、芸能界などで追い詰められた人がj殺する等の事件が多発していますよね。綺麗事にも聞こえてくるかも知れませんが、私は次々と居なくなってしまう、人物を一人でも減らしていきたいと思い、此の作品を書きました。此の様な実体験を感じている方に此の作品が少しでも届くことを願います。此の度は本当に閲覧感謝致しました!