公開中
第6話:特待生の休日、演算外のノイズ
風鈴高校から電車で三十分。県内屈指の進学校、私立秀英高校。
そこに、風鈴での「軍師」の影を一切消し、完璧な「特待生」として机に向かう蒼がいた。
「……茉莉さん、この前の模試、また全国一桁だったんだって?」
「……別に。効率的に解いただけ」
クラスメイトからの羨望と敬遠の混じった視線を、蒼はいつもの無機質な顔で受け流す。ここでは彼女はただの「天才」であり、誰も彼女が放課後に不良たちの傷を縫い、屋根の上を跳ね回っているなどとは夢にも思わない。
(……非効率。……早く終わらせて、ポトスの新作メニューの成分解析でもしたい)
そんなことを考えていた土曜の午後。校門を出た蒼の目に、あり得ない色彩が飛び込んできた。
「……やあ、お疲れ様。特待生様」
街路樹に背を預け、ひらひらと手を振るのは蘇枋隼飛だった。私服姿の彼は、進学校の厳格な空気の中で、毒々しいほどに異質で、目を引いた。
「……蘇枋!? なんであんたがここに……演算外、想定外」
「おや、抜き打ちテストは苦手かな? ……せっかくの休日だ、僕と『非効率』な時間を過ごしてみない?」
そうして半ば強引に連れ出されたのは、賑やかなショッピングモールだった。蒼は、色とりどりの商品や人混みに、早くもキャパオーバーの兆しを見せる。
「……蘇枋、ここ、情報量が多すぎる。……視覚データの処理が追いつかない」
「大丈夫、僕だけ見てればいいよ」
蘇枋は事も無げに言うと、蒼の手首をそっと掴んだ。
その瞬間、蒼の脳内で警告音が鳴り響く。
「(……心拍数、急上昇。血圧、変動。……蘇枋の体温、摂氏36.5度。……私の指先から、思考が溶ける……!)」
「……っ、離して! 蘇枋、あんたの存在自体が、私のスキャン機能をバグらせる……!」
「ふふ、バグってる蒼も可愛いよ。……ほら、これ。君の瞳の色に似てると思って」
蘇枋が差し出したのは、薄ピンク色の小さなジャスミンの刺繍が入ったハンカチだった。
「……|茉莉花《ジャスミン》。……私の名前」
「平和、癒やし、……そして『私はあなたについていく』。……君にぴったりの花言葉だね」
蘇枋が耳元で囁く。蒼は顔を林檎のように赤く染め、ハンカチをひったくるように奪い取った。
「……っ、花言葉なんて非論理的。……でも、……このハンカチの吸水率は良さそう。……もらっておいてあげる」
「あはは、素直じゃないなぁ」
二人の影が、夕暮れの街に伸びる。
蒼は、蘇枋から贈られたハンカチをポケットの中で強く握りしめた。
演算では導き出せない、胸の奥の疼き。
けれど、その帰り道。蒼は街角に貼られた写真の前で、足を止めた。
そこに記された名前を見た瞬間、彼女の瞳から光が消え、深い闇が降りる。
「……師匠」
呟きは、雑踏の中にかき消された。
平和な休日を切り裂く、過去の足音がすぐそこまで来ていた。
🔚