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蝶よ花よと惚のうち
帰り道。
いつものパン屋。
いつもの5時半。
いつもの河川敷。
いつも、というのは安心する。
刺激なんていらない。このまま永遠にいつもの中に閉じ込められていたい。
だって俺のいつもの中にはあいつがいるから。
俺はいつもが好きだ。
あいつはいつもの顔で俺の隣を歩いていて、夕日があいつの顔を見えづらくしていて、それでも俺がはっきりあいつの横顔を見ることができるのは俺がすぐ傍にいるからで。
つまりは幸せというのだ。
夕日には無条件でノスタルジーを感じる。ノスタルジーの何たるかも俺には分からないのだけど、とにかくノスタルジーという感じがする。
あいつは自分の顔をじっと見ている俺を横目で見て、「なに」と尋ねた。
「なにも」
俺が答えると、あいつは椿が落ちたときのような笑顔になった。
椿。
太宰治の斜陽の、「お咲さんは、つばきを飲み込むようにしてうなずいて帰って行った。」という一節を、多分「唾」なのだろうけれど、「椿」の方が素敵だと解釈していたあの頃。
俺のいつもにあいつがいなかったあの頃。
それはそれで幸せだったのだけれど、今の俺には、あいつのいない幸せなど幸せとは呼べないのだ。
贅沢だ。とても。
贅沢になるのは怖い。
何を思ったか、あいつが突然道端の花を摘み出して、俺はそれを見ていた。あいつが顔を上げると、椿の笑顔に少しの意地悪があった。
あいつは手を掲げて、俺の頭上でぱっと離した。あいつの手の中に溜まっていた花がばらばらと俺の頭に落ちた。
花は優しくて柔らかいのに、鼻に頬に当たる感触は冷たくてちくちくした。
あいつはけらけら笑って、何がおかしいのか薔薇が咲くみたいな笑い方をして、俺の反応を見ていた。いつまで経ってもこんなことをするやつ。子供みたいなかわいいやつ。
俺はふるふると頭を振って花を落とした。ぽちぽちと残りの花が落ちて、乾いた地面を飾った。
きれいだな。
じっと花を見ていたら、あいつは詰まらなそうな、きまりの悪そうな顔をして、「そんな怒んなよ」と言った。俺は顔を上げた。
怒ってるように見えたのか。そうか。
それは愉快かもしれなくもないな。
地面の花をけとばして、あいつの手を掴んだ。掴んだままずるずる歩いた。あいつは「なぁおいって、機嫌悪いのかよ」とか何とか言いながら大人しく俺に引っ張られた。
幸せだ。とても。