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嫌いな彼と
雨が降り出したのは、図書館を出た直後だった。
傘を持っていなかった俺に、悠馬は当たり前のように自分の傘を差し出した。
「ほら、濡れるぞ。……駅まで、一緒に行こ?」
それが自然すぎて、なんでもないふりをして「ありがとな」と呟いた。
でも――
ほんの少し、肩と肩が触れる距離に、鼓動がうるさくなる。
「なあ、久我。あのときのこと……覚えてる?」
唐突だった。
歩きながら、足元を見つめたまま、悠馬が言った。
あのとき――
俺が、勇気を振り絞って「好きだ」と言った、あの夏の終わり。
「……忘れるわけないだろ」
雨音にまぎれて、小さな声で返す。
「俺、あのとき……お前に返事、できなかったの、ずっと気にしてた」
「気にしてた、だけか?」
思わず、少しだけ意地悪な言葉になった。
でも、本音だった。
悠馬は立ち止まった。俺も、傘の下で足を止めた。
しばらく、沈黙。
そして――
「……俺、好きだったよ。あのときも。今も、たぶん、ずっと」
その言葉に、心臓が殴られたように跳ねた。
「……だったら、なんで……あのとき、逃げた?」
「怖かったんだよ……。男に告白されたことも、好きになってしまった自分も。
でも、それよりも――お前の気持ちに応える“自信”がなかった」
雨が、傘の縁を叩く音だけが響いていた。
「……でも、今なら言える。お前がくれた言葉が、どれだけ俺を救ってたか。
……あの告白、ずっと胸にしまって生きてたんだ」
たまらなくなって、俺は手を伸ばした。
濡れたシャツ越しに、悠馬の手首をつかむ。
「……じゃあ、今は? 今の俺を……“好き”って言ってくれるのか?」
息を呑むほど、近い距離だった。
答えを聞くのが、怖くて、でもそれ以上に、欲しかった。
悠馬は、少し震えた声で言った。
「好きだよ。……抱きしめたいって、今も思ってる」
俺はもう、こらえきれなかった。
顔を近づけて、唇が触れるギリギリの距離で――
でも、そこから先へはいけなかった。
触れてしまえば、またあの頃みたいに、全部が壊れそうで。
だから、俺は彼の頬にそっと手を添えただけだった。
「……今度は、逃げんなよ。俺も、もう逃げないから」
悠馬は、小さく笑って頷いた。
「約束する。……ちゃんと、また始めよう。今度は“ふたりで”」