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調律師の嘘と、冷たい雨
気まぐれさん
## 第二話:調律師の嘘と、冷たい雨
ルミエールの街の片隅、忘れ去られたような細い路地の奥に、その店はありました。
「感情の調律所」。
そこには、輝きを失った結晶を修復し、再び色を灯すと噂される**調律師・カイル**が住んでいます。
リリィは縋るような思いで、その古びた扉を叩きました。
「お願い……私の結晶を、みんなと同じように光らせて」
### 甘い処方箋
カイルは、琥珀色の瞳を細めてリリィを迎え入れました。彼の胸元の結晶は、感情を読み取らせないように黒い布で覆われていました。
「透明な結晶か。それは珍しい。でも、安心しなさい。**『偽りの雫』**を使えば、君の心に関係なく、結晶に色をつけることができる」
カイルが差し出したのは、小さな小瓶に入った銀色の液体でした。
これを結晶に垂らせば、一時的に偽りの喜びや、偽りの誇りを演じさせることができるといいます。
「これは、君の心を救う魔法じゃない。けれど、街に溶け込むための**『透明な仮面』**にはなる」
リリィは迷わず、その液体を受け取りました。たとえ偽りでもいい。あの、父親の悲しそうな「鈍色の翳り」や、テオの同情に満ちた「菫色」を見るよりは、ずっといいと思ったのです。
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### 偽りの春
翌日、リリィの胸元には、淡い**「桜色」**が灯っていました。
それは、かつて彼女が心から笑っていた時の色にそっくりでした。
「リリィ! 良かった、やっと色が戻ったんだね!」
テオは自分のことのように喜び、彼の結晶は歓喜の**「黄金色」**に激しく脈打ちました。学校の先生も、近所の人々も、「おめでとう、リリィ。やっと仲間入りだね」と彼女を祝福しました。
けれど、リリィの心は、凍りついた湖のように静かなままでした。
周囲が喜べば喜ぶほど、胸元の桜色が鮮やかになればなるほど、彼女の内側の「透明な空虚」は深く、暗く広がっていきました。
### 崩れ始めた均衡
そんなある日のこと、街に冷たい雨が降り出しました。
雨は、硝子の街の色彩を奪い、世界を灰色に染め上げます。
リリィはテオと一緒に雨宿りをしていました。テオは優しくリリィの手を握り、自分の温かな体温を分け与えようとします。
「ねえ、リリィ。君が笑ってくれると、僕の結晶もこんなに温かくなるんだ」
その瞬間、リリィの胸元の「桜色」が、ピリッと音を立てて**黒い斑点**を浮かべました。偽りの液体は、真実の体温に触れると変質してしまう——カイルが言わなかった副作用でした。
「あ……」
リリィは咄嗟に胸元を隠しましたが、テオの目は見逃しませんでした。
「リリィ……? その色、どうしたの? それは、君の本当の気持ちじゃないの……?」
テオの結晶から、喜びの黄金色が急速に失われ、不信と恐怖の**「濁った泥色」**がじわりと滲み出しました。
リリィは逃げ出しました。
降りしきる雨の中、偽りの桜色が泥のように溶け落ち、再び「透明」に戻っていく結晶を握りしめて。
自分には、本物の色を宿す資格なんてない。
偽りですら、誰かを傷つけてしまう。
硝子の街に響くのは、喜びの歌ではなく、誰にも聞こえないリリィの心からの悲鳴だけでした。
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