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誰も知らない、二人だけの29日間。
この小説は「騙し合いの舞踏会」の主人公、琉麗の「騙し合いの舞踏会」より前の話です。
2024.9.28:一部変更・追加
「りゅー兄、最近疲れてる?」
フォークに巻かれたパスタを口に入れようとしたとき、ふと|雅《みやび》は言った。
眉をハの字にさせて心配そうにこちらを見ている。
まだ小学生なのに、もう人に気遣える年になったのか。
6歳も離れた俺と雅は、俺が中学の時に両親が離婚した。離婚した両親はどちらも俺らを預かることなく、家と大抵減のお金だけを置いて出て行った。
親がいなくなっても俺は雅が不自由なく学校生活を過ごせるように、高校に行きながらもあるバイトをしながらちょくちょくとお金を稼いでいた。自分の学校にはお金をできるだけ使わないよう、賢くあり、優等生として過ごした。
だけど、それはもう慣れたこと。
雅の言う、《《疲れたように見える俺》》は、優等生として、いつもの自分を掻き消す事や、バイトとかで疲れたんじゃなく、いつもの日常に戻っただけなのに寂しくて、恋しくて、今日明日、奇跡が起きてあいつにまた会えないかと《《喪失感と寂寞感に溢れかえる俺》》だ。
もしかしたら、雅の言う通りでこれまでの1年間あいつに振り回されっぱなしだったから、最近ドッと疲れが溜まっているのかもしれない。
でもそれじゃあ、|和遥《わよう》との日々で生まれたこの感情と矛盾している。
あいつが地球に来なけりゃ、この感情や広い世界の何かを知らないままで、寂しいと思ってしまう程好きになってしまったあいつが偶々俺のところへ最初に来てくれたおかげで、きっとあいつも多くの何かを知った。だからこの感情があった限り、疲れはあっても、楽しいくて幸せの方がずっと大きい気がする。
とりあえずフォークを皿に戻して返事をする。
「確かに、疲れてるのかもしれないな。」
雅がパスタを飲み込むと、「あの仕事ってそんなに大変なの?」と少し恐ろしそうにする。
「いや、仕事には逆に感謝してる。疲れてるのは……まぁ変わった日常に少しストレスが溜まってるのかもな」
「そんなに変わってる?まぁ、半年ぐらい前の元のりゅー兄に戻ったって感じではあるけど。」
半年前…和遥に出会った日は、延長したバイトの帰りだったな。
---
8月後半はまだ暑い夜中の一時。
雅はもう寝て、クラスメイトたちはもう寝ているはずの時間に俺はバイトの帰りで公園に居た。
バイトの相手は相当抵抗していて、やる前に付けられた傷を包帯で巻いていた。
家にはまだ遠い中、帰っている途中に止血していたと思っていた傷から血が溢れ出したものだから、仕方なく目の前にあった公園のベンチに座っている。
少し包帯に血が滲むも、なんとか処置して袖を下ろした。
久しぶりにこんな夜中まで仕事して、正直疲れている。明日は学校ないし、寝坊でもしようか。
そう考えながら、ふと気づけば公園を照らしていた月を見た。
…どうやら今日は満月だったらしい。綺麗な丸の形をした月が星々の中心で光っている。
兎だか蟹だかわからないうっすらとした模様の月は、太陽を見たように眩しくて見えない程じゃないけど、真夜中の地球を太陽の代わりに明るく照らす存在。
満月は、少なくとも今疲れた俺を照らして少しでも元気が出るようにしてくれている気がする。
しばらくジッと見つめていたら、どこからか声が聞こえた。
「アナタ、月が好きなの?」
低いとも高いとも言えない、ふんわりと少し大人気のある女の声。
声の方へ視点をずらすと、宙に浮いて、なんだか月のようなワンピースを着た少女がこちらを向いていた。
浮いてることに混乱しながらも、一応返事はしておく。
「…好きというか、今日は偶々見てただけ。」
「ふーん」と月の方に目を向ける少女に俺は訊いた。
「お前が浮いてるのって、幽霊だからか?それか俺の幻覚?」
そう言うと、そいつは驚いたような顔をして近づいてきた。
顔をよく見ると、両目の下に何か模様がある。
「幽霊じゃないの。《《ゲッシ》》なの。」
「ゲッシ?」
「月の使いと書いて|月使《げっし》。月の女神様の使いなの。」
「月の女神って、神話のルーナとかディアナとかの?」
「それは内緒なの。」
「内緒なんだ…。じゃあ『使い』だから天使の月バージョンってことか。」
「そーなるの。」
「お前が本当に月使なら、能力とか使えたりするのか?」
「お前じゃなくて|和遥《わよう》なの。能力は…飛行、透明化、えっと…他は内緒なの。」
内緒が多いんだな。そんなに地球人にでも話して広まったらいけないことなのか?
「俺は…琉麗。」
こいつが本当に月の使いなのは信じたくはないけど、浮いてる時点で人間じゃないし、なんとなくこいつが満月に似ているような気がする。
そもそもこれが夢の中かもしれない。公園に来て怪我の処置を終えたら仕事の疲れでいつの間にか寝てしまった可能性だってある。
俺は「夢」を何回も心の中で唱えながら頬や耳を引っ張ったり、叩いたり、指を反対方向に曲げたりしてみた。けど、夜中の公園に居ることや目の前に月使の月使が居ることに変わりなく、ただ頬と耳がジンジンと痛むだけだった。
「何してるの?」
月使が不思議そうに見つめる。そりゃそうだ。突然自分を痛めつけ始めたんだから。
「目を覚まそうと。」
「夢の中だと思ってるの?信じてないの?」
「そりゃあ誰だって目の前に人間じゃない奴が現れたら驚くだろうが。」
「うーん…」
俺はふと腕時計を見た。そういえば今は夜中。何時なんだろうと見ると短い針は「3」の近くを差す。
いつの間にかこんな時間になっていたと思い、勢いよくベンチの前に立つと家に向かって歩き出した。
「どこ行くの?」
後ろからふよふよと浮きながら月使が付いてくる。
俺は疲れているせいか、返事をせず無言で歩いて家に向かった。
数十分してやっと家に着き、ドアを開こうとすると、背中がほんの少し引っ張られた。
振り返ると、月使がなんだか淋しそうな顔をして俺の服を小さく掴んでいた。月使は天使みたいなものだけど、一応触れられるんだな。
何かを察しろ、と俺の一部が言っている。
はぁ。なるほどねぇ。
「家、入るか?」
そう言ったら月使は一気に晴れ晴れとした笑みを浮かべて、俺の背中を押して玄関に入った。
真っ暗な廊下を歩いてリビングの電気をつける。
「これ食べろ。」
俺を月使にほいっと投げた。
「これは何?」
「それは《《おにぎり》》だ。中にハンバーグが入ってる。」
月使はおにぎりを少し見つめてから一口口にした。
「おにぎり…美味しいの。」
頬を赤らめると同時に目を輝かせて忙しく食べる。
俺は何より「食べれる」ことが一番安心した。月使は天使のようなものらしいけど、もし食べなくても生きていけるような存在だったら、幽霊の方が近い気がする。何かを食べれてやっと、少し人間味があることがわかった。
何だか親になった気分だ。
「俺、風呂入ってくるから。その間そこのおにぎり食べてていいし、散らかす以外なら好きにしといていいから。」
「わかったの。」
俺は風呂に入っている間、色んな考え事をしていた。
月使なんて聞いたことないし、そもそも幽霊とか天使すら見たことない俺になんであいつが見えるんだ?害はなさそう。「なの」は口癖っぽい。人間じゃないけど、何歳ぐらいだ?小柄だけど大人っぽい。俺の少し下ぐらいか。見た目は人間に似ている。でも人類の敵のような存在だったらどうする?雅や友達にはバレない方がいいのか?わからない。初めて聞いた種族だから情報がほしい。いや、月使と言っておいて実は違う種族だったり?はぁ、なんでこんなに疑ってるんだ。信じてみる事も大事か?いやでも怪しいし…。
色んな考え事をしてるうちに時間が過ぎていった。
和遥は俺の部屋のベッドで寝て、俺は床で寝た。
結局俺は月使を疑う心の一部が暴れないように一旦封鎖して、様子を見ることにした。
翌日。休日で安心した。
起き上がり、ベッドを見ると月使の姿は見当たらない。寝相が悪くてどこかに転がったのだろうかと思いながらも、着替えてリビングに向かう。
「りゅー兄おはよう!!」
リビングに行くと、ソファーでテレビのリモコンを持ちながら食パンを銜える雅がいた。
「おはよ。朝食それだけでいいのか?」
「うん。さっきヨーグルトも食べたし。」
「そうか」と返事をしながら、キッチンからパンを2枚取ってひとつは口に銜え、もうひとつはケチャップとチーズとバジルを乗せてトースターで焼いた。
「りゅー兄ご飯食べ終わったら明後日からのお泊り会の準備手伝って!!」
雅は余程楽しみにしているのか、学校お泊り会のしおりを眺めてそう言う。
「明日でよくないか?」
「明日に準備したら買わなきゃいけないものが買えなくなるでしょ!」
焼いた特製ピザパンを俺の部屋に持っていき、どこにいるかわからない月使を呼び起こした。
「どこにいるんだ?月使ー?」
「うーん…。」
突然何もなかったベッドの上から段々と月使の姿が現れる。
これが透明化ってやつか。
寝ぼけた声で起き上がった月使は、全然髪は崩れていず、むしろ少し綺麗に見えた。日が昇っているからか?
「これ、朝食な。」
「ありがとうなの。」
月使は特製ピザパンを数口食べると、頬を少し赤らめて言った。
「これも美味しいの。」
「食べながら話すな。」
「でもやっぱり昨日のおにぎりの方が好きなの。」
…自分で作ったものを美味しいと言ってくれるのは、こんなに嬉しいのか。
「…好物ができたんだな。俺は今から弟の手伝いしてくるから、食べ終わってもし起きてても透明になれるなら透明になって様子でも見に来い。なんかあったら俺の肩叩け。」
「わかった。」
そうやって、月使は日中は透明で過ごし、ほとんど変わりない生活を送った。
「櫻江、今日一緒に弁当食おうぜー。」
「ごめん今日はやめとく。」
「おっけー、そんな日もあるよな!」
「いいの?」
「良いよ。お前も月使だけど腹は減るんだろ?」
「琉麗は部活…?何してるの?」
「してないけど、助っ人はしてるな。」
「へぇ」
「りゅー兄今日のご飯何?」
「オムライス。」
「やったー!」
「オムライス…?」
「食べてみたらわかるよ。」
「月使、留守番頼んだぞ。」
「今日も仕事?」
「そ。」
「行ってらっしゃいなの。」
「雅、ちょっと出かけてくる。」
「わかった!」
「どこ行くの?」
「今日はお前の服を買いに行く。」
「服…」
「女子はいつも同じ服じゃつまんないだろ?だからお出かけ中は透明化禁止な。」
「おーそれは結構似合ってるな。」
「本当?じゃあ、これにするの。」
「あぁ。他には?」
「これは…?」
「……それは、やめろ。」
「どうしてなの?」
「__露出が多い…__」
「…?じゃあこれは?」
「……それも、やめろ。」
「どうしてなの?」
「__他の奴に見られたくない…__」
2週間程経ち、学校も仕事も普段と同じようにしている。
月使との生活も大分慣れ、まだ弟にも誰にも月使の事はバレていない。バレてニュースとかになったら大変だからな。
今日は午後からの授業で昼食を済ませた後、今は学校に向かっている。
いつも朝に登校しているせいか、妙に暑く感じる。熱ではなく、単純に朝は日が出たばかりだから気温が昼間より低いため、昼登校が蒸し暑く思うだけだろう。
「町が明るい、人も多いの。時間が違うだけでこんなにも町の雰囲気が変わって何だか不思議なの。」
月使は日々過ごすうちに、自然と地球の単語を覚えていく。
「そうだな。月ではそうじゃないのか?」
「月は…こんなに楽しい雰囲気じゃないの。」
「ふーん」
なんだか深刻そうだが、俺だって月使という種族についてはあまり知らない方がいいだろう。
話しながらも月使は一応透明だ。だから俺はひとりごとを言っているよう思われないために小さな声で話している。
小さく聞きづらくても、月使という種族は人間より聴覚が優れているのかちゃんと言っていることを把握して答えている。
すげぇよ。
家から数分歩いていると、俺が元々通っていた幼稚園の生徒たちが信号を渡り始めているのを見かけた。
多分、遠足に行くんだろう。幼児用だろうけどまだ大きく見えるリュックを背負って先生が挟んで2列で歩いている。しっかり手を挙げて。昔の雅のようでなんだか懐かしく思える。
頭の中で回想していると、トントンと肩を叩かれた気がした。
気のせいかと回想に夢中になっていると、どんどん叩き具合が激しくなっていく。
ついには両手で肩を揺れられて、なんだなんだと透明の月使の方を見る。
月使は片手だけ半透明になり、ある方に指を差した。
「あれ、大丈夫なの?」
指を差した先には、明らかに猛スピードで走る車だった。
車が向かる先は……今幼稚園児たちが渡る信号。
まずい。このままだと……
「ごめん月使、ここで待ってろ!」
俺は|咄嗟《とっさ》に鞄を足元に置いて走った。
普通の人なら、ぎりぎり間に合わないだろう。もしくは、間に合っても一緒に巻き込まれるだけだろう。
けど、俺は《《普通》》の人じゃない。
世の中の闇を知る人間だ。
その闇から、この明るい町を絶やさぬよう守っていく役目だ。
車が幼稚園児たちに届くまでに、俺が車の前に立った。
猛スピードだからこそ、すごい力で押し寄せてくる。車の運転手は寝ている。居眠り運転か。
車が止まるように両手で車を受け止める。受け止めた瞬間両腕手首にバキッと強い痛みを感じた。
足が少しずつ後ろに引きずられようとも、両手が負傷しようとも、この幼稚園児たちを守らなければいけない。
歯を食いしばいながら車を抑える。後ろから、悲鳴が聞こえる。当たり前だ。俺が今この車を放したらみんな轢かれてしまう。
そんなことには絶対にさせない。
「み、なさん。ここ…から、離れてくっださい!」
大きな声でそう伝えると、幼稚園の先生は怯えながらもすぐに子供たちを離れた歩道に連れて行った。
少しすると車の中の運転手が目覚め、すぐに車の動きが止まった。
その瞬間大量の汗が流れ始めた。
俺は両腕の痛みに耐えながらも、幼稚園児たちの方に向かう。
「大丈夫ですか?怪我は…」
するとすぐに先生は心配そうな顔をして言う。
「ありません。警察と救急車も呼んでます…。あなたは…」
「大丈夫です。この子たちが助かったならそれでいい。」
嘘。本当はめちゃクソ痛くてたまらない。いくら仕事で慣れたからってこんな痛いの中々仕事中でも起きないよ。
何とか我慢していると、先生は涙を流しながらこう言った。
「本当にありがとうございます…!」
ピーポーピーポーと救急車のサイレンの音が鳴り響く。
警察は居眠り運転をしていた男を取り押さるのと、近くに居た人や幼稚園の先生に事情を訊いている。俺は両腕を負傷したため、バッグを持つことが出来ず、警察の人に代わりに学校に連絡をしてもらい、病院に行った。
「圧迫骨折ですね。それも珍しく腕にです。普通は___。」
両腕包帯で固定され、字は書けないし、鍵も開けられないし、幼稚園児を助けられたのはいいけど、代償はあまりにも大きすぎた。
今日は学校は休み、家には月使が居てくれたおかげで何とか鍵を開けて中に入った。
「月使、ありがとな。」
「何をなの?」
「お前が居てくれたおかげで、幼稚園児たちを助けられたし、家にも入れた。」
「どういたしましてなの。」
俺が話をしようとした途端、「でも」と続けて月使は言った。
「琉麗が居なかったら、私があの車に気づいてもあの子たちは助けられなかったの。私は人間じゃないけど、何だか自分が人間だと思えた気がしたの。」
少し、俺は考えた。
もし、月使が人間で、体はいつも不透明で、あの日出会ってからは一緒に学校に通って、人間としての日常だったら。俺は、月使と居ることにこんなに恍惚感や尊さを感じられなかったかもしれない。月使という種族だからこそ、今隣にいる。あの時出会うことが出来た。
…でも、今から月使が人間になりたいと思うのなら、それはそれでいいかもしれない。
「……月使は、飛べて、透明にもなれて、その能力が人間じゃないと主張しているのも過言じゃない。けど俺は今まで、月使と居ることを人間と居るように思ってた。種族が月使でも、たとえ変えられなくても人間だと思って生活することには良いんじゃないのか?」
月使はしばらく黙り込む。
悩んでいるというより、何か考えているというか、言いたいことを本当に言っていいのか、という感じで。
何かを覚悟したような目つきになり、月使はやっと口を開く。
「私、月使だけど、人間のアナタの事をもっと知りたい。」
「…良いよ。」
「地球に来てから、人間に興味が湧いて、色々とヒトの体について調べてたの。」
「うん。」
「アナタがあの車を自力で止めたとき、流石に車から『急に』と『強い』圧力がかかって両腕骨折しちゃったけど、アナタは明らかにおかしいの。」
「そうだな。」
「普通の人間は、車にぶつかったら自分が轢かれて飛ばされる。それなのに、アナタはひとりで車に立ち向かって、車を止めたの。」
「その通りだ。」
「アナタは普通じゃない。琉麗は、何者なの?」
俺は今、どんな顔をしているんだろうな…。
「……俺は人間だよ。人間だけど、普通の人と違うのは、仕事のせいだろうな。」
「仕事…?」
「殺し屋だよ。普段から人を殺すために動き回って身体能力が向上してるのと、うちで開発してる薬やらなんやらで身体強化されてるんだ。」
複雑な気持ちだ。
自分を知ってほしい、とか思っておいて。もし、曝け出した自分を怖がられて、嫌われて、一生会えない程離れ離れになってしまったら、なんて考えてるんだ。
嫌われたくない、隣に居たい、もっと話したい、もっと知りたい、ずっと、一緒にご飯を食べていたい。欲に満ちている。
一体いつから、こんなこと思うようになったんだろうな。自分でもわからないよ…。
「どうして人を殺すの?」
「一般人を殺すんじゃない。国に害を及ぼす組織、裏でこそこそと生きてる犯罪者、依頼された人。俺が殺し屋になったのは…人の悪い心はどうしようもない、俺だってそうかもしれないけど、何を言ってもやめない、だから悪事を働く体をなくなるまで消してしまえば、と思ったんだ。」
「…琉麗の事を知りたいと言ったのは私。琉麗がどんな事を言おうと、私は全部受け止める。」
「……どうして?」
「実はね、月使っていう種族はヒトよりも感情が乏しいの。ヒトは美味しいと思っても、月使からしたらまあまあぐらい。」
月使は胸に手を当てて、優しい笑みを浮かべながら言う。
「でもね、人間、アナタと出会って初めておにぎりを食べたとき、本当に美味しいと思った。琉麗と過ごしていくうちに、琉麗に対してもなんだか変な気持ちになっちゃって。」
「それはどういう…」
訊こうとした瞬間、月使は俺を抱きしめた。
ギューっとするよりも優しく、温かみに包まれたような感覚がした。
「この気持ちが何なのか、やっとわかったの。人間で言う、『好き』って気持ちにぴったり当てはまるの。」
すると、両腕の痛みが段々と和らぎ始めた。両腕はうっすらと黄色い光を纏って、腕から沢山の小さな光る粒が上へふわりと上がっていき、やがてそれは消えた。
腕の痛みが、全くなくなった。今は固定されているから動かせないけど、本当にさっきまでの痛みの感覚が消えた。
「これは…」
「私の能力のひとつ、治癒の力なの。」
「あの時言ってた能力の中に入ってたか?」
「この能力は極秘だから言ってないの。」
月使が、俺を救ってくれた。そう思うと、さっきも変な気持ちにはなっていたけど、それがもっと変になって、やっと俺も理解できた。
「俺は…月使が好きだ。」
「私の気持ちと同じ気持ちって事なの?」
「…そう。」
顔が徐々に熱くなっている。心臓もバクバクして。これが、初恋なのか。世の中で一番厄介だな。
月使は、涙を堪えて真顔になって言った。
「……琉麗に言っておかなきゃいけない事があるの。」
何か、嫌な予感がした。
「私は、この地球に…29日しか居ることができない。」
……は?
「私は地球で言う、満月の日に此処に来たの。覚えてる?」
「…あぁ。」
「私は次の満月の日に、月に帰らなければならないの。」
「……なんで、」
「月使の役目みたいなもの。月使の中で選ばれた人だけが地球に来れる。けど、滞在時間は満月の日から次の満月の日までと決められてるの。」
「そんな、」
「だから、こんなにも琉麗と居るのが楽しくても、あと13日しかアナタの傍に居られない。」
「あと13日。秋分の日か。」
本当は嫌だ。ずっと一緒に居たい。けど、自分の我儘だけで神様が許してくれるはずがない。
俺は、深呼吸をして言った。
「わかった。これからもいつも通りに過ごそう。けど、俺たちにとって忘れられない日々になるように。」
__時が経ち、秋分の日、9月22日の夜になった。
両腕はもう包帯は外している。医者には「予想外の回復力の持ち主」と言われたが、正確には月使に治してもらってからまだ痛いフリをしていただけ。
今日が、月使と過ごす最後の日だ。これまで特別なことはしてない。他の人にバレてもいない。けど、今からが本番だ。
俺と月使は、屋根の上に座り優しくそよぐ風と共に静かに満月を眺めている。
「琉麗、今までありがとうなの。」
「それは俺の方こそだ。」
静けさが、俺の心の寂しさを表現している気がする。
雲一つない夜空に散らばる満点の星々は、月使と出会った日より美しく輝いている。
「月使が帰る前に、これ、食べてほしいんだ。」
俺は手に持ったラップに包んだおにぎりを月使に渡す。
月使は目を輝かせて、ラップを剥しおにぎりを口に運ぶ。
「これ、ハンバーグ?」
「そうだ。お前が地球に来てから最初に食べたハンバーグ入りおにぎりだよ。」
月使はおにぎりを頬張る。段々と流れる涙は、満月の光に照らされて美しく光っている。
月使がおにぎりを美味しそうに食べるのを見るのは、これで最後か。
本当に、居なくなるんだな…。
「琉麗…?」
おにぎりを食べ終わった月使は、俺を見て言った。
頬に涙が通るのを感じる。
「やっぱ、帰ってほしくねーな…。」
でも、最後にこれだけは言っておきたい。
「和遥、好きだよ。」
胸が苦しくて、仕方がない。体が震えている。
「ずっとずっと、大好きだ。」
和遥は俺の言葉を聴くと、俺を抱きしめた。あの時みたいな優しく温かい抱擁。
「私も、ずっとずっとずーっと大好きだから。」
和遥の手先から段々と消えていくのを感じた。
俺は、和遥の頬を流れる涙を拭いて、ゆっくりと口づけをした。
俺たちの、最後の愛の証明。
それはきっと、夜空に浮かぶ星々が見ているだろう。
数秒後に、和遥は月へ帰った。
崩れていくように、和遥がいる感覚がなくなっていくのは正直とても耐えられなかった。涙が今よりも、これまでで一番にも溢れ出そうだ。でも、悲しみで和遥を送りたくない。せめて、笑ってあげよう。
地球から、月までは凄く遠い。けど、俺の和遥への想いは光よりも速くキミに届くだろう。
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半年経った今でも、鮮明に覚えてるよ、和遥。
忘れたくても、きっと忘れられない日々。
だって、キミが好きだから。
初めて恋をした相手は、ずっと一緒にはいられない月使という種族。
それでも想い続けられるのは、想う相手がキミだったから。
他の奴らに「キモイ」「変な妄想するな」「気色悪い」なんて言われても構わない。
今までも、これからも、どんなときも、キミを想い続ける。
すごく長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
よければご感想、お待ちしております。