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奇病患者が送る一ヶ月 二十二日目
[菱沼視点]
早朝、灰山サンはどこかへ行ってしまった。
今回はよそ行きの服じゃなかったから、外には出かけていないだろう。
とは言え、病院内は意外にも広いし、探すのも疲れるから、わざわざ探す気になれなかった。
「疲れたっすねぇ…。」
「まだ何もしてないでしょ?」
朝からため息を漏らしてしまうジブンに、シエルサンが苦笑いを向けてくる。
「今日も薬の…ってあれ…。」
「どうしたんっすか?」
シエルサンが途中で言葉を止め、彼女の目線を辿る。
しかしそこは灰山サンの机があるだけで、何もなかった。
「最近院長が完成したって言ってた薬どこ行ったの?」
一瞬何のことか分からなかったが、記憶を遡り続けるとなんとなく何の事を指しているのか気付く。
「あぁ…、あの注射器っすか?」
ジブンが念の為そう尋ねると、シエルサンはうんうんと頷いた。
確かに、どこ行ったんだろう。
いつの間にか出来ていた、若干気味が悪かった注射器。
灰山サンに聞いたら、革新的な薬が出来たとしか言ってくれなかった。
量産はまだできないけど、効果は確かだってめちゃくちゃはしゃいでたやつ…。
何か不具合でもあったのだろうか。
「ジブンは知らないっすよ。あの人の事なんて、分からないっす。」
「あっはは、何?喧嘩でもしたの?一昨日は話してたじゃん。」
「喧嘩じゃないっす。」
「はいはい、2人揃って子供だねぇ。」
シエルサンは人の気持ちを考えずにケラケラと笑ってくる。
ホントに喧嘩じゃないんす。
ふと立ち上がってベランダに出たシエルサンが「お」と声を上げて、
「院長いた。」
と続ける。
なんでわざわざコッチ向くんすか。
ため息をデスクに置きざりにし、ジブンもベランダに出る。
肝心の灰山サンは、丁度医務室から見えるブランコに腰をかけていた。
そして、隣のブランコには春日居サンがいた。
ここでは珍しい組み合わせではない。
「何の話してるんだろうねぇ…。」
シエルサンが小さく呟く。
灰山サンはブランコを漕いで、どこかヘラヘラとした様子で笑っている。
安心したような、心地が良さそうな顔。
ジブンにはもう何年も見せてくれない顔だったのは確かだ。
「どうせ、他愛もないような話っすよ。明日の夕食の話じゃないっすか?」
ジブンの気を紛らわせるように、そう答えると、シエルサンは「ふーん」と返すだけだった。
聞いておいて、なんすかその返事、とは言わなかった。
彼女がすぐに口を開いたから。
「私は、なんか大切な話してるんだと思うよ。なんとなくだけど。」
いつもとは違う、真面目で真っ直ぐした目。
しかし、その目もジブンに向けられた物ではない。
「大切な話っすか…。ジブンはどうせ、頼られない同僚なんでしょうね。」
皮肉混じりにそんな事を言うと、彼女は首を横に振る。
「あの人は頼らないんじゃなくて、怖がってるのよ。」
次の目は、明らかにジブンに向けられた物だった。
その目をしばらくは見つめていたものの、次第に馬鹿らしくなって医務室に戻る。
「なんすか、それ。」
それだけを言い残して、足早に医務室を出た。
一体、灰山サンは何に恐れてるって言うんすか。
どうせ根拠もない、法螺話だと割り切って足を進めていく。
ジブンが頼れない人間ならそう言ってくれた方が嬉しいっすよ。
目元が熱くなるのを感じて、階段の所で座り込む。
今更、この生活はもう長く続かないのだろうと思ってしまった。
なんだかもうすぐ終わってしまうような気がした。
灰山サンが全部抱えたまま、呆気なく終わる気がしたのだ。
終わらないでほしい、苦しむぐらいなら楽しい時間を一生繰り返したい。
でも、叶わなくて良い。
灰山サンはそれを望んでいないから。
誰もが望んでいないものを、ジブンは望んでしまったのだ。
そんな自分さえが恐ろしい。
永遠に続けばと少しでも考えてしまった事に、後悔のみが残る。
でも本当に、この時間が続けばどうなる?
誰も死なない、幸せな日々が待っているのではないか?
皆が望んでいる未来があるのでは?
無慈悲に進んでいく時計の針を、止めることが出来たのなら?
そこまで考えて、ジブンは思考を止めた。
もしかしたら、灰山サンはそれを恐れたのかもしれない。
それを少しでも考えてしまう事を。
進む他無いのだ。
患者の死を受け止めなければいけない。
必ず、繋げなければいけない。
他でもない、ジブンが。
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[灰山視点]
医務室からの視線が無くなった後、俺は体を大きく前のめりに倒し、緊張を紛らわせるように手を組む。
「……なぁ春日居、…お前は全部を受け止めてくれるか?」
声は掠れる程しか出ず、喉はカラカラだった。
春日居はさっきまで足が地に離れない程度に漕いでいたブランコを止め、「もちろん。」とだけ返事をしてくれた。
俺がしばらくゆっくりと深呼吸をしていると、春日居は続けて、
「私と君はもう長い付き合いだ。これを…そうだね、トモダチって言うんじゃないかな?」
なんて使い慣れたような言葉づかいを見せてくれる。
俺も緊張が解けたように小さく笑ってしまう。
ありがとうと俺が言うと、春日居は曇りのない笑顔のまま頷いた。
「俺さ、ずっと前から奇病を患ってるんだよ。」
落ち着いて、世間話でもするかのように言葉を吐く。
「それは皆知ってるさ。」
春日居もいつもの調子で笑ってくれる。
緊張なんて、もうどこにも無かった。
「その奇病が、引くほど|質《たち》悪いんだよ。まぁ俺からしたら良かったんだけど。」
「へぇ、どんな奇病だい?」
「どんな奇病だと思う?」
「ハハハ、君も|質《たち》悪いじゃないか。」
「んな事言うなよ。クイズにした方が、面白いだろ?」
まさか、奇病の話をここまで気軽に話せる時が来るなんて、思ってもいなかった。
春日居はしばらく、うーんと唸り、次第に俺の顔をジッと見てきた。
「そうだねぇ…。君の事だから、きっと素敵な奇病なんだと思うよ?」
その言葉に、俺は目を丸くしてしまう。
素敵、なんて一度も思った事が無かった。
…それでも悪い気はせず、頬が緩んだ。
「そうだと、俺は嬉しいよ。」
なんて、俺が嬉しさを隠せずに答えると、春日居も微笑みを見せて口を開く。
「答え合わせはしてくれないのかい?」
「足し算も未だに分からない奴が、正解出来ると思うか?」
「ハハハ、確かにねぇ!」
「おいおい…、ただの冗談だよ。自虐しないでくれ…。」
くだらないような会話を交互に続けて、次第に沈黙が訪れる。
その沈黙でさえも、息苦しいとは思わなかった。
「俺の奇病はさ…、______」
今までそれを言おうとするだけで、喉につっかえていた言葉も不思議と口に出せた。
喉の渇きもいつの間にか潤っていて、気持ちにも余裕が出来たまま笑顔でいる事が出来た。
俺の話を、春日居は静かに聞いてくれていた。
相槌を打つだけで、否定も肯定もしない。
それが丁度良かったまである。
ガラクタみたいに転がりグチャグチャになった気持ちを、ありのままに伝えることが出来た。
自分の奇病の事を話し終えた後も、しばらく春日居は何も言わずに俺の顔を見てくれた。
話してくれてありがとうと、聞こえてくるような笑顔。
その沈黙に、なんと言えば良いのか分からないという迷いはどこにも見えなかった。
春日居は次第に口を開く。
「やっぱり灰山君は、笑顔が良いよ。」
さっき俺が話していた事とは的外れな言葉に、俺は「なんだよそれ。」と笑ってしまう。
「話聞いてたか?」
と続けて聞くと、春日居はもちろんと頷く。
「何せ、私の勝ちだったしね。」
「え、何が?」
「ほら、私の答えが正しかったじゃないか。」
春日居の言葉に一瞬戸惑うが、すぐに意味が分かり、嬉しさと気恥ずかしさが込み上げてくる。
「ありがとな。」
あと、八日。時期に来てしまう事に、不安と恐怖を抱きつつ、皆の将来に期待を胸に忍ばせた。
更新まですっごく長かったね、ごめんね。
一応生きてます。風邪ひいたけど。
前も言った気がするけど、予定通りには進んでいません!
でもなんとか、最後には繋げれそうです!
今年中に描き終えれるかなぁ…苦笑