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夜明け前
いつもより早く目が覚めた。
時計は午前4時。こういうのを夜明け前、って言うのかな。ぼーっとした頭でそんなことを考える。
朝のまだぼんやりしている時が一番楽。ちょっとだるいけど、余計なこと考えずに済むから。
窓を開けると、柔らかい風がわたしの体をくすぐる。髪がなびく。目を細めた。
外はまだ暗い。
水を一口飲むと、段々と目が覚めてくる。段々と憂鬱な気分になる。
朝起きても、夜寝るときも、変わらない憂鬱。
なにかあるわけではない。勉強も部活もそこそこ頑張ってるし、友達とも家族とも、そこそこ上手くやっている方だと思う。
ただなんとなく、漠然とした不安がいつも体につきまとってるだけ。
なんとなく居心地が悪いクラスも、なんとなく好きじゃないクラスメイトも。なにもかもがわたしを毎日すり減らしていく。
いい家庭に生まれて、いい人達に恵まれて、不自由なく生活できているのに。わたし、わがままだ。
ため息が漏れる。朝からこんな気分が落ち込むことはあんまりないから、今日はだめな日かなあなんて、思う。
外はまだ暗い。
*
課題は終わらせてあるし、特にすることもない。気分転換に、まだ暗い街を散歩することにした。
わたしはもうそろそろ受験を意識しなければいけない年で、今まで以上に勉強に力を入れなきゃいけない。本当は、やろうと思えば参考書の問題を解いたり、問題集を進めたりすることもできた。
でも今は余計に気分が沈みそうなのでやめた。
まだ薄暗い街には、誰もいない。早朝の空気を独り占めしてるみたいで、大きく息を吸ってみたりした。
小学生の頃から、勉強はできる方だった、と思う。
特別できるわけでもないけど、いつも平均より上の点数をとれるぐらいには頑張ってた。今もそう。周りの期待に応えたかったとか、ただ単純に自分が勉強が好きだからとか、色々あるけど、勉強は頑張ってる。
その甲斐があってか、志望校で合格圏をとることができた。塾の先生にもこのまま行けば第一志望も受かる、と言われたし、満足行く出来だと思う。
……なのに。
昔から褒められることが好きだった。周囲の大人から認められたくて、必死に真面目にやってきて。その成果が出て、つまずくことなく、認めてもらえるような成績も維持できるようになった。
それなのに、なにかが足りない。
なにか、欠けてる。
わたしよりも勉強のできないクラスの子のほうが、楽しそうに笑っているような気がして。
わたしの求めてたものって、なんだろう。
わかんないや。
外はまだ暗い。
*
真っ黒な野良猫が歩いているのが見えた。こんな朝早くに猫に出会うもんなんだ、とか思いながら、なんとなく追いかけてみる。
小走りでついて行くと、ふと猫がぴたりと止まった。わたしの方をまんまるな瞳で見つめてくる。
しゃがみ込む。綺麗だね、と意図せず声が漏れた。猫に言葉なんか通じるわけないのに、わたしの言葉に反応したかのように猫が綺麗な声で鳴くから、通じたのかなって少し嬉しくなってしまう。
誰かと話すことは、嫌いじゃないけど得意じゃない。
わたしが誰かの言葉を極端に気にしすぎて、勝手に傷ついちゃうから。
軽い軽口だって分かってるのに、夜寝るとき、抜けないトゲのようにその言葉がちくちくと痛みを主張するから。
そんな自分が、世界で一番だいきらいだ。
猫も傷つくことってあるのかな。生き物だから、あるか。
気づけば家から離れたところまで来てしまっていたので、猫にばいばいして、来た道を辿る。
外はまだ暗い。
*
幼い頃、よく来ていた公園に辿り着いた。周りに誰もいないことを確認してから、ブランコに座る。
……懐かしいな。友達や家族とよく来ていたその公園は、久しぶりに見るとずいぶんと小さく見えた。
あの時描いていた、無垢な夢を思い出す。
小説を書くことが好きだった。確か、初めて書いたのは小学1年生。暇さえあれば物語を綴っていたので、作文が表彰されることもよくあって。だから、自分は将来小説家になるのだと信じて疑っていなかった。
今では、自己紹介の将来の夢の欄に「小説家」なんて、絶対に書けないや。
あの時の自分も、今の自分も、変わらないブランコの上に座っている。
ブランコは変わらない。少しくすんだえんじ色も、さびの入った柱も、なにもかも。
でも、わたしは変わっている。……変わっていくしか、ない。
あの日描いていた未来の自分に、なれなくてごめんね。
隣の誰もいないブランコに、幼い自分の姿が見えた気がした。小さな脚で一生懸命ブランコを漕いで、きらきらした瞳で笑顔を浮かべる自分が。
ごめんね、あなたが期待してた自分には、なれないみたい。
……外はまだ、暗い。
*
気分転換に、と出かけた散歩だったけど、結局更に憂鬱になって終わった。いつもこんなんだよなあなんて思いつつ、部屋のベランダから外を眺める。
すると、ふと、ポケットの中の携帯が震えた。
大好きな友達の名前を見て、びっくりしながら電話に出る。
『もしもし。こんな早い時間からなにしてんの?』
「早く目が覚めちゃったから散歩してた」
『おばあちゃんじゃん。絶対電話出ないと思ってた』
「ええ……ていうか、そっちこそこんな早くからなんの用?」
『いや、特に用はないけど』
「なら尚更なんで電話したの……?」
思わず、呆れながら本音が口からこぼれる。
『んー……強いて言えば、声が聞きたかったってことかな?』
「んもう……なにそれ、彼氏みたいじゃん」
笑いながらそんなことを言うけど、内心嬉しかった。
「……外、まだ暗いね」
『そうだね。もうそろそろ明るくなってもいい時間帯だと思うけど』
「学校めんどくさいなあ」
『毎日言ってるなあそれ』
『……私も今日、早く起きちゃったんだけどさ。鬱すぎて電話かけちゃった』
「あ、わたしも。早く起きることってあんまりないから知らなかったけど、夜寝る前と同じぐらい憂鬱なんだなって」
『分かる。トイレとお風呂と朝と夜が一番鬱』
「それかなりじゃん」
そんな、最高にどうでもよくて、最高に他愛のない話。
……君とそんな話をしている時間が、一番愛おしい。
『でも、なんとかやってくしかないよ』
「……そうだね」
『うん。私もすぐ落ち込んじゃうしさ、毎日だめだめだし、もーくそ〜〜!!って思うことだらけだけど』
風に体を預けて、携帯越しに聞こえる声に耳を傾けて。
『……でも、いつか心から笑える日がくるって信じて、今日も生きるしかないよね』
「……うん」
日が少し、体を覗かせた。
……外が、明るくなる。
「……わたしね、なにかあるわけじゃないんだよ。それなりに全部上手くやってるはずなのに、なんか、毎日不安なの」
『うん』
「でも、きっと……夜明けが来ると信じて」
『……うん。いつか、夜は明けるしね』
不安も憂鬱も苦しさも、全部抱えたまま、わたし達は夜明けを待つ。
自分から朝焼けを見ようと走り出すことはできない。でも、ただ、信じて待つ。
なにも変われないままでも、なにもわからなくても、傷ついたままでも。夜明けを信じることができたら、そこには大きな意味が宿ると思うから。
まだ夜明け前で息をするわたし達が、どうか優しい朝を迎えられますように。
朝を迎えられたら、そのときはどうかあたたかい光がさしていますように。
……その時まで、どうか。
夜明け前。わたしは、君の隣で息をしたい。
君と息をしたい。
「……ねえ、今から会えない?」
『え、今から?今日学校あるのに?』
「今じゃないとだめなの」
んもう、と、今度は君が困ったように笑った。わたしも微笑む。
――夜明け前。君と、息をする。