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又旅浪漫
俺は走っている。鉄箱よりも早く。
水面を紙一重で舞う|零戦《ぜろせん》よりも低く。
ネコのくせして甘酸っぱいひと夏を感じてしまった俺は
鼻腔にマタタビを充満させ、走っている。
ネコは甘味を感じないのだ。
いつか理想郷が作れたら、
そこでハヅキのような黒ネコに出会いたい。
そんな事を考えていると
クジラ三頭分ほど先に排水溝へ月明かりが射す。
出口が近い。
俺は急上昇の体勢に入る。
敵機を発見した零戦の如く。
急停止で明かりが射す穴に狙いを定める。
「今だ。」
どこにでもある排水溝の穴から
片目キヨシの参上である。恐れ慄け。
...格好付けてしまった。おやおや。
「タツオの鉄箱じゃないか。」
庭にはタツオの鉄箱が停まっていた。
それに外まで良い匂いがするのである。
「今夜はヒトもマタタビ|懇親会《こんしんかい》というわけか。」
まったく、まさに最高の夜である。
家の中からはタツオとヒトの笑い声が聞こえる。
俺もお邪魔するとしよう。
「あ、キヨシ帰って来ましたよケーさん。」
そうそう、ヒトはケーさんと言う名だった。
ここには沢山のヒトが来る。
タツオ、ナリオ、リキオ、マサオ、
様々なニンゲンと暮らしているのだろうか。
自分の名が三文字なものだから
ついニンゲンも三文字で覚えてしまった。
あ、珍しいがたまにメスのニンゲンもいる。
名は忘れたが、
ちゅーるという体に悪そうな菓子をくれる。
ニンゲン界で言えばきっと
赤と黄色のパン屋のようなものだ。
隣町にある。
まあそれが旨いので、名など覚えていない。
部屋の中には大きなテーブルが一つ。
それを囲うように椅子が数個ある。
その空間には町内チャイムとは違い、
決して激しすぎない音楽と
シャキシャキと心地よいハサミの音が響いている。
「はい、タツオ。これいっちゃえよ。」
「いやいや無理無理、無理ですよ。」
「はあん。もうおキマリ大明神かよ。」
楽しい夜はまだまだこれからのようだ。