公開中
四つ葉摘み
いつものようになんの変哲もない今日。
なんて、毎日はそんなことの連続なんだよな。
---
キーンコーンカーンコーン...
一時限目の始まりのチャイムが頭の中にまで鳴り響く。
その音は頭の右と左を往復しながらやがて時間をかけながらも消えていった。
この音は俺にとってこの世で最も嫌いな音だ。見事ワースト5に10年連続でランクインしている。
一つため息をついて机の上で頬杖をつく。少しばかり高いくらいの机だ。いや、俺が小さい、のか?
そんなことを考えながら空虚をぼーっと眺めていると、いつの間にか目の前にA4のプリントが差し出されていた。それが俺の鼻を|掠《かす》める。
「......」
無言のまま仏頂面でこちらを睨んでくる前の席の生徒は《|新海 雅《しんかい みやび》》。
一度も会話らしい会話をしたこともない男だ。それどころかグループワークでさえこいつは常に黙りこくっているのでほとんど声は聞いたことがなかった。
「あ、すんません。」
俺は咄嗟に謝りながらその差し出されたプリントを右手で受け取る。
そいつはまた無言のまま前に向き直った。
俺はプリントを見て再び小さくため息をついた。
---
昼食の時間。俺近辺には人が大勢集まっていた。
とは言うが、もちろん俺目当てではない。
俺の左隣に座っている女子に《《大》》人気のイケメン、《|台 大介《だい だいすけ》》だ。
こいつは文武両道、理系、美形、家事も得意でしかも金持ちのボンボンときたもんだ。唯一こいつの揚げ足をとれるところと言えば名前くらいだと言われている。実際にこの人気を僻む男たちからは大大大介だの名前でいじられていることもある。しかしそれすらも意に返さない寛容さも持っているのだからモテるに決まっているだろう。
俺は台が女子たちに囲まれにこやかに応対しているところを横目で見ながら、またため息をついた。今日はもう何回ため息をついただろう。
生まれた世界が違いすぎる人間と比べたところで、追い越せないし追いつくこともできないので、俺は昼飯を一人で黙食する。うん、なんだか今日のメシは激マズだ。
---
やっと帰りの時間になった。
この世で最も嫌いな音である学校のチャイムだが、6時限目の音だけは他のチャイムとは違って嫌な感じはしない。おそらく音自体が嫌いと言うわけではないんだろう、と椅子に座ったまま机の上でリュックサックに教科書をしまい、椅子から立ち上がり、何事もなく教室を出た。
あぁ、今日も何もない一日だったな。誰とも話さず、誰とも遊ばず、誰とも昼食を食べられなかったな。
そこで俺は立ち止まった、できなかったんじゃなく、やらなかったんだなって思った。
そう自覚してしまうともう後戻りできなくなった。俺が悪い、人気がないのも、人と話せないのも、友人がいないのも、全て俺のせいだ。自責の念、心の底から渦巻く黒い念に強く駆られた。走り出したい、今すぐに。だけど俺はできなかった。いや、やらなかった。再びトボトボと歩き出す。
少し前の方で台がにこやかにまた女子たちと歩いていた。その中には1軍の男たちも数人混ざっている。
正直その男たちには嫌気がさした。みっともないと思わないのだろうか、裏では散々なことを言っているくせに。
女子も女子だ、いつまでもへばりついて、お前らはノミなのか?
俺は冷静さを欠かしていることに気がついてハッとした。いけないいけない、これではあいつらと同じになってしまう。
今度は前向きになれるように小さくため息をつく。
すると横を急いだ様子で早歩きで通り過ぎていく影があった。新海だった。
あいつは息を切らした様子で台の軍勢の後ろでタジタジと足踏みをしている。どうやら軍勢が道を占領しているので通れないらしい。
ここで俺が通らせてやるのが道理と言うべきものだが、俺はしばらくの間見守っていた。それは何故か、それは_
話しかけるのが怖いからだ。
あんな1軍にカースト外の俺が話しかけられるわけがない。心では新海の通る道を切り開いてやりたいと思ってはいるが、やはり怖い。
それに、深海も深海だ。自分の口から言えばいいものを、何も言わないのでずっと通れないでヤキモキしている。俺は目を閉じた。もう何も考えたくない、俺は何も見ていない。
そのうち新海はいなくなっていた。どうやら軍勢の隙間を通り抜けてどうにか先に進めたようだ。
俺は何もしていないのにほっとした。
---
翌日。
昨日の小テストの結果が返却された。
平均点は70だった。
ちらりと左隣を見ると台はいつも通りの100点満点。
前の席の新海は隙間から見たところ98点だった。
俺のは_56点。またため息をついた。俺は頭が悪いのか...?
ふと周りから聞こえる笑い声。そいつは「うわー2点取っちまったー!」と言って己の額を叩き、周りを笑わせていた。そいつの名前は《|浅葉 于綾《あさば うりょう》》。俗に言うお茶目キャラというやつだった。
それを見て俺は少し安堵する。まぁ、俺よりも低いやつもいるし、大丈夫だろう。
そう言ってざわめく心を落ち着かせようと必死に心を|宥《なだ》めた。
しかし、宥めている最中、台は取り巻きの中でつぶやいた。
「100点なんてただの数字だよ。僕はもっと上に行きたいんだ。」
...うわ、自分に酔ってるやつが言う言葉じゃん、臭...
しかしあいつが言うと、なんだかそう茶化すこともできなかった。俺とは住む世界が違いすぎたから。
前の席の新海は98点にも関わらず、一喜一憂せず淡々とした様子でそのプリントを鞄にしまっていた。
俺は自分のテスト用紙に視線を落とす。
頭が痛くなった。
---
俺は平均点というものをなんのために出しているのか、正直わからない。
周りと比べることを推奨しているのだろうか?どうも気に食わない。
新海や台のように高得点をとっている奴らは平均点なんて気にしない。
しかし浅葉のように最低な点数を取っても傷ひとつなくピンピンしている人間もいる。
何故中間の俺はこんなにモヤモヤしなければならないんだ?
下校中こんなことに頭を悩ませていると、足をもつらせて近くの茂みに倒れ込んだ。
「いってぇ...!」
俺は誰にも見られていないことを確認し、立ちあがろうとしたところ、手をついたすぐ近くに四つ葉のクローバーが生えていることに気がついた。
クローバーは四箇所に切れ込みが入っていたが、決して綺麗とは言えない形をしていた。これでは押し花、いや押し草にしてもあまり綺麗なものはできないだろう。
「ねぇ、大丈夫?調子悪い?」
クローバーを見つめていると後ろから突然声をかけられた。
首がもげるのではないかと思うほど勢いよく振り向くと、そこには台が心配そうな顔をして立っていた。
眉を顰めたまま何も言わない俺を見て、台はその長いまつ毛を纏った瞳を|瞬《しばたた》かせた。
しばしの沈黙。
「あー...えっと、なんかうずくまってたから調子悪いんじゃないかと思ったんだけど...」
育ちの良いそいつはほとんど話したこともない俺のことを気にかけてくれたらしい。
「...ぃや、別に...調子悪いとかそんなんじゃなく...」
俺はしどろもどろになって歯切れの悪い様子でブツクサと言いながら、草に目を落とした。
「あ、四つ葉だ。幸運が舞い込むかもね。」
台は屈託の無い様子でそういうと、思い出したように「あ」と声を上げた。
「体調不良じゃなくてよかった。今日ちょっと急いでいるからまたね、また明日学校で!」
そう言って急ぎ足で下校していった。いつもの取り巻きはいなかった。
「...珍しい。」
俺は四葉を摘んで、そのまま帰宅した。
---
久々に自室の机に向き合う。
机上には今日返却されたテストの範囲だったページを開き、シャープペンシルと消しゴム、それからあったかいココアを並べて準備した。そっとひとつ深呼吸。...よしやるぞ!
10分後。
俺はスマホでショート動画を見ていた。
「グフっ...グフグフ......」
みっともない笑い声をあげながら興味あるものないもの、瞬時に判断して画面をスワイプしていく。
そうしている間に時間は過ぎていった。ノックもせずに母が部屋に突然入ってきて夕飯ができたと言うまで俺はずっとスマホに釘付けだった。
「ちょっと!悠人!なんであんた、今日は勉強するって言ったじゃん!?」
母は驚きの中に微かに非難を含めた声色で、スマホ片手に固まる俺を見て言った。
「いや、まぁ、そうだけど...って、ノックはするのが礼儀っていうか...」
俺は母に頭が上がらないので、家でもだいぶ優等生として振る舞っている。
「とりあえず夕飯できたから。」
そう言って母は部屋から出ていった。
しくじったなぁ、俺は肩を落として冷え切ったココアを啜りながら部屋を出た。
---
あっという間に午後10時。勉強はまるで進んでいない。
あーっ!なんて俺はダメなやつなんだ!消えたい消えたい消えたい...!
自己嫌悪に陥っていると、学校で使っているネクタイが目に入った。
これを使えば...なんて考えてはいけないことを考えてしまう。
いや、いけないいけない、向こうになんて逝けない。俺はその考えを打ち消して、再び机に向き直った。
10分後。
「グフっ...グフグフ.....ブハッ...!」
同じことの繰り返しだった。
途中で勉強を促す内容のショート動画が出てくる。その時気づく。なんて俺はダメなやつなんだ。
いくら勉強する意思があっても容易く|萎《しぼ》んでしまう。こいつ、このスマホのせいだ!
スマホをベッドに放り投げ、自らはフローリングの床に倒れ込む。そして懺悔するように四つん這いになり、額を冷たい床につけた。
「俺はなんてダメな奴なんだぁ....!」
優秀なクラスメートのことを考える。あいつらはなぜあんなに優秀なんだ!
そして馬鹿なクラスメートのことを考える。あいつ、馬鹿だけどめっちゃ人気者じゃん!?羨ましいー!
頭に血が昇っていく感覚、だんだんと意識が遠くなってくる。眠気が襲ってきたようだ。
その時はらりと上から何かが降ってきた。
四葉のクローバーだった。
そいつはフローリングの上に音もなく落ち、ただ静かにこちらを見つめているようだった。
歪な形をしたただの葉っぱ、それだけで人気なこの謎の葉っぱ。
俺のことを諭すように、何かを伝えるように、微かに揺れ動いた。
...そうだな、そうだよな。上だけ見ててもお前のことは見つけられなかったよな。だけど、下だけ見てたらきっと転ぶこともなく、お前と出会うことはできなかった。
切れ込みの入った葉っぱを見ていると、何故か心に平穏が訪れた。
そうだ、人生もそうだ。上ばかり見ていると自分がちっぽけで底辺のように感じる、反対に下を見ていると安心するけど成長はできない。
見るべき場所は、自分自身の足元。
今歩いている道、歩いてきた道、そこに落ちている誰かの落とし物や小さな花々、クローバー。
上を見るな、下を見るな、ただ足元を見ていろ。
そう己を鼓舞して俺は立ち上がった。
頭に昇った血が引いていき、しばらく視界が真っ暗になる。
俺は机に座った。
そしてシャープペンシルを握った。
「...って、くっさいセリフだな!?」
夜中だったが思わず口から飛び出る。
笑いを堪えながらシャープペンシルを強く握る。
「でもまぁ、他人と比べても何にもならないし、俺は俺らしくやってみるか...」
そう決意を胸のうちに秘め、俺はペンを走らせた。