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赤信号は春を呼ぶ
カラスの鳴き声が耳に心地良い。頭上を鳥の群れが飛んでいく。
山の向こうで半分見えなくなった太陽はじんわりと暖かく輝き、頬を照らしている。淡いオレンジ色に染まった空はほんのりと眩しくて、浮かんだ雲は蜜柑のように色づいている。
ふんわりと色水につけたみたいな、綿あめにそっくりだ。もっとも、私は食べたことがないのだけれど。
やがて太陽は山に隠れ、辺りには静寂が広がる。
屋根の上から夕焼けを眺めるのが、わたしの日課だ。
しばらくすると、制服を着た中学生たちが坂道を下ってくる。部活が終わる時間と、日が沈む時間。今くらいの時期は、それが丁度重なる。
屋根の下には、車2台がかろうじて通れる幅の道路がある。そこをぞろぞろと歩く生徒たちを見て、わたしはふふっと笑った。
嫌いな教科の授業の愚痴とか、部活の悩みの相談とか、どこかの誰かの好きな人の話とか。にぎやかで、聞いていてたまらなく楽しい。青春だなぁ、と思う。
屋根の上から高みの見物中のわたしは、ヒトじゃない。
飼い猫。
普通の飼い猫ではないけれど、見た目ならどこの飼い猫とも変わらない自信がある。
人間の言葉が分かる能力、誰よりも天気予報が当たる能力、願っただけで扉が開く能力......。
わたしが天からもらった能力の中で一番気に入っているのは、「信号を操る能力」だ。
ちょうど私の家の前にある、小さな横断歩道の、押しボタン式の信号。
今日も先頭の人がぽちっとボタンを押す。
「この信号人が多いと待つんだよなぁ〜」
「それな人感センサーでもついてるんじゃね」
違います。人が多いといちいちオンオフしないで一気に渡ってもらったほうが楽なんです。
わたしはずだっと屋根を滑り降り、石垣によじ登る。今は人が少ないのでさっさと信号を変えるつもりだ。ちょこんと座ってしっぽを揺らしていると、「可愛い〜!」と声が上がる。
可愛いと言ってくれるのはありがたいけれど、わたしが毎日ここに来るのはそのためじゃない。
わたしは耳をそばだてる。
「音楽の先生マジうざい」
「ね。あいつ早く辞めろよ。今日なんてさ——」
「お前そんなに好きなら|柚葉《ゆずは》さんに告っちゃえよ」
「もうマジでさやめろって。バラしたら——」
「明日バスケの大会なんだよね」
「ほんと!? すごい、|杏奈《あんな》。頑張って——」
たくさんの会話。その中でわたしは自分の聞きたい情報だけを聞き取る。ふんふん、あの人は杏奈という名前なのね。で、|梨央《りお》は柚葉が好き。柚葉は......あ、あの清楚系の女の子か。
そんなことできるか、と思うかもしれないが、猫は地獄耳だ。なめないでほしい。
だいたいいい具合に渡りきったので、信号を点滅させる。彼らは路地の向こうに行き、見えなくなった。
それから数分おきに、まばらに人がやってきた。
美術部の人、バレー部の人、合唱部の人——。
色々な人がやって来ては、信号を渡って行く。綺麗に積まれた古い石の上に、わたしはのんびりと座っていた。
まだ、今日やることは終わっていない。
誰かいないかな。
そう思った時、何人かの男子グループと、二人組の女子、それから、一人の女の子が歩いてきた。
あぁ、そういえば......。
わたしは彼らをターゲットに決めた。信号をそっと青に変える。
「待て。あれ、信号青だよな?」
「マジ!? いそげ」
「えちょっと待ってってば!」
|柑生《かい》と|梅人《めいと》が走り出し、|颯太《そうた》が後に続く。|透李《とおり》は置いてきぼり。
「どうする? 信号渡っちゃう?」
「行こ行こ。走ろ!」
二人組の女子もさっさと信号を渡った。完全によそ見をしていて置いていかれた透李は、おろおろとしながら点滅する信号を眺める。
ごめんね。透李だけほんとに申し訳ないけど、下手に信号変えると危ないから。あとは——。
渡り切ってしまった柑生達は、「先行ってるー」と笑いながら歩いていった。颯大も迷っていたけれど、申し訳なさそうな顔をしながら彼らについていった。
頭を抱える透李の横に、急ぐこともせず一人のんびり歩いていた女子——|苺《まい》が立った。
沈黙が流れる。
苺は自分のつま先を眺め、透李はボタンを押したまま静止した。
あぁもう、気まずいとか考えないでよ! せっかくわたしが神がかった信号調整やったのに!
こうなったらわたし自ら赴くしかない。石垣から飛び降りて、二人の側へ歩いた。
「にゃぁ〜ん」
精一杯の甘え声と、精一杯のきゅるきゅるした顔で苺を見上げてみる。ちょっとくらいは反応してくるはず。これは自意識過剰なわけじゃない。今までの経験で、スルーした人を見たことないもん。
「......かわいい」
さっきまで無言だった彼女は小さく笑って、私の前にしゃがんだ。顎をなでなでしてくるあたり、猫のこと分かっているらしい。わたしは甘え顔で目を細めた。
透李もわたしを見る。ふっと小さく笑った彼を苺が見上げ、目がしっかり合う。
ふふふふふ......。
「え、あ......その、可愛いね」
「うん」
あらあら、透李君。それはわたしじゃなくて苺の話?
透李が苺を好きなのも、苺が透李を好きなのも、とっくに知ってる。だからきっと、柑生達は先に行ってしまったんだと思う。柑生は透李の片想いだと思ってるだろうけど。
二人がもうちょっといい感じにならない限り、信号は変えない。わたしは青春が見たいのだ。
「そういえば、苺、国語の小テスト満点だったって聞いた」
「あ、うん。それは、たまたまで」
「たまたまって......普通にすごいよ! 今度教えて」
「うん! 透李くんがいいなら、ぜひ」
ナイス透李君! 話題の振り方上手い!
「来週の火曜日、図書館でもいい?」
「分かった。楽しみにしてる」
ふふふふふふ......。
勉強会の約束を取り付けた彼はなかなかすごいと思う。信号を止めるだけでこんなにうまくいったのは久しぶりだ。
この2人、お互い優しいし、いつか付き合えるといいな。
「それにしても、変わんないね、信号」
「だな。誰か止めてるんじゃない?」
ぎくっ。
慌ててわたしが信号を変えると、「あ、変わった」と二人は歩き出す。さっきよりちょっとだけ距離感が近い。
わたしの存在すら忘れてしまったように、路地の奥へ消えていく。二人とも頬がほんのりと赤くて、それでいて幸せそうだった。
うん、満足。
この顔が見たくて、わたしはわざわざ外に出たのだ。
わたしが笑みを浮かべながら道端に座っていると、声が聞こえた。
「|桜々《らら》〜?」
あ、帰らないと。
|飼い主のおばあさん《桃子さん》の声が聞こえて、わたしははっと我に返る。
「にゃ~ん」
過去一の笑顔と甘え声。作らなくたって、勝手にそうなる。
「まぁまぁ、桜々はおてんばですね。さっき屋根に登ってたでしょう」
「ぅにゃっ!?」
ば、ばれた!?
「危ないから程々にするのよ」
「にゃぁ......」
わたしは桃子さんに連れられて、玄関へと歩く。
今日も楽しかった。
見上げると薄い紺色の空が広がり、西には金星が輝いていた。沈んだはずの太陽は、雲を撫子色に染めている。
桃子さんが庭に植えたレモンの木はほとんどが咲き終わっていたけれど、一部分だけ、しっかりと咲いている場所があった。大きくて、白くて、綺麗な花。
わたしはレモンの木の下を通り抜ける。
透李と苺、2人の想いがいつか結ばれる日が来ますように......。
夏の始まり。過ぎ去ったはずの春は、再びやってくる。
読んでいただきありがとうございました!
♢裏話♢
わたしの通学路の途中に押しボタン式の信号があるのですが、人が多いとよく待ちます。誰かの恋愛話が聞こえてきて、この信号を操るお話があったら......と思い付きました。
最初が夕暮れの描写なのは、わたしがその日の帰り道、ちょうどオレンジとピンク色の空を見て帰ったからです。
実際にあったら.......と考えて読んでいただけると嬉しいです!
おまけ レモンの花言葉をぜひ調べてみてください!