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永遠のカナシバリ 4日目
玄関の棚の上に置いてあるマグカップ。それを手にとって台所へ向かい、ホットミルクを作り始めた。ポットから立ち上る湯気は、仏壇の扉から漏れ出てた青い煙を思い起こさせる。出来上がったミルクをマグに注ぎ、ゆっくりとベッドへと向かう。
(…落ち着いて考えてみよう……)
深呼吸をし、ミルクを一口啜る。それだけで自然と心が落ち着いていくような気がした。
(私は……一ヶ月以上も眠り続けていた……)
--- ー「いやぁ、大変ですね、梅雨。」ー ---
そう言った先輩の言葉を思い出した。
(ずっと……「怖い夢」を見ていたのは覚えてる……)
そう、これまで私はたくさんの非現実的な現象を体験してきた。血まみれの生き物や部屋、そして「金縛り」……
どれも、現実ではあり得ないことだった。あれは、きっと「夢」だったんだ…
(……夢の中で…私は何か、大事なことを見た気がする……)
思い出したくない。それでも頑張ってあの悪夢を頭の底から引っ張り出す。その時、あるワンシーンが私の脳裏に映し出された。
--- ー(…日……非………これ、なんて読むんだろう……)ー ---
「……あっ……」
思わず声が出る。
私は、夢の中で「幽霊文字」を見たんだ…。なぜこれが大事なのかはわからない。けれど、本能的に「これが外せない重要事項だ」ということだけはわかる。
(……「罪」に似た……「日」と「非」の文字……)
私は、あの時見た漢字の形を懸命に思い出す。
(…あの文字……調べてみよう……)
私は窓際に立てかけてあるタブレットを取り、検索エンジンを立ち上げた。ベッドに腰掛け、私は検索バーに目当ての漢字のパーツを打ち込む。
〈🔍日 非 漢字 読み方〉
(…これで出るかな……)
半信半疑ながらも検索ボタンを押す。ロード画面が一瞬入り、すぐに検索結果が出てきた。
(……あ、あった…)
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**日の下に非の漢字は?**
「|暃《ひ》」はいわゆる「幽霊文字」の一つである。
典拠、発音、用例ともに不明の文字であるため読み方を知る手がかりは少ないが、一般的な見解として「暃」の読み方は「ひ」であると推定されることが多い。
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(…「暃」は……やっぱり「幽霊文字」だったのね……。でも…典拠不明って……つまり、幽霊文字が存在する理由には、根拠がないってこと……?)
一旦「戻る」のボタンを押し、検索エンジンのトップ画面へと戻る。そして、バーに再び文字を打ち込み始めた。
〈🔍幽霊文字〉
(そもそも「幽霊文字」って何なの……?)
知識への欲で、検索のボタンを押す手に力が入る。再び、検索結果が表示された。
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**幽霊文字とは?**
「幽霊文字」とは出所不明だがなぜかこの世に存在している文字の総称。誤植や誤解が原因で実在しない文字が生まれてしまったと考えられる。
代表的な幽霊文字に「彁」「妛」「暃」「椦」などがある。
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(代表的な文字は…この4つ…?)
そのとき、4つの文字が頭の中を駆け巡った。
…ユミカカちゃんの、「彁」。
…𡚴原さんの、「妛」。
…玄関の折り紙に書いてあった、「暃」。
…藤木さんの、「椦」。
(……4つとも…夢の中で見た気がする…)
…ユミカカちゃんのことをまた思い出して、泣きそうになる。
(夢の中で私を助けてくれた……「ユミカカ」ちゃん……まさか……)
自然と手が「戻る」ボタンに動く。
〈🔍ユミカカ 幽霊文字〉
物事の真実をただ確かめたい。そういう思いで強く青い虫眼鏡のボタンを押す。
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**彁(ユミカカ)とは?**
「|彁《ユミカカ》」は、「幽霊文字」の一つである。幽霊文字の中で唯一出典の手がかりが一切無かったため、実在しない文字とされており、幽霊文字の代表として扱われている。
正式な読みは定まっていないものの、便宜上「カ」「セイ」の読み方が付与されている。彁の部種である「弓・可・可」を抜粋して「ユミカカ」の俗称で呼ばれる。
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(……や、やっぱり…そうだった……。「彁(ユミカカ)」ちゃんも…幽霊文字だった…)
タブレットの電源を切り、ベッドから立ち上がる。
(…夢の中に「幽霊文字」が出てきたのはわかった…。でも、私がずっと眠ってしまっていたこととの関係性は……何?…一ヶ月以上…夢を見続けるなんて……。まるで…「呪い」のような……)
そんなはずは…ない。あり得ない。「呪い」だなんて。フィクションを信じるタイプじゃない。でも…今回だけは信じたい。そう思考を巡らさせていたその時。
`……ぴーんぽーん… `
その瞬間、背筋が恐ろしい速さで凍っていくのを感じた。
(…だ、誰か来た…?)
誰かは分からない。それでも、今玄関の戸の前に立っているものは、きっと《《妛原さん》》だ、絶対。そう思いながらも、勝手に足が前へと進んでしまう。玄関への段差を降りようとした時。玄関の戸が急にガチャガチャと異様な音を立て出した。
(…えっ…?)
これは…《《鍵を開ける》》音…!?まずい。オーナーだから、マスターキーを持ってるんだ…!私は咄嗟に風呂場の扉のノブに手を伸ばした。
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…がらがらっ。
(……)
扉が開く。一歩一歩、ゆっくりと歩き始める。玄関で靴を脱ぎ、いつもと変わらない𡚴原荘を眺め、異変に気づく。早足で家の奥へと入って行き…突き当たりでようやく立ち止まる。いつも花名さんが寝ているベッド。そこには…誰もいなかった。
(…いない…?)
どうして?私の計画は完璧だったはず。それなのに…自力で目覚めた?…そんなこと…可能なの?
引き返そうとして気づく。
(スーツが濡れてる…。花名さん…目を覚ましたのね?)
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「…はぁっ、……はぁっ………っ……」
乱れる息を押し殺して、私は湯船の中でうずくまっていた。遠くから、《《妛》》原さんが私を呼ぶ声が聞こえる。
(あけんばらさん…もしかして、私が眠っていた間、ずっと見に来てたの……!?)
なんで…?…どうして、そんなことを…!?…どうして……
__「…花名さ〜〜ん…」__
「…ひっ……!」
漏れ出そうな叫びを堪える。隣のトイレの扉が開く音がした。
__「……花名さ〜〜ん……いないの〜〜……?」__
トイレの扉が閉まる音がする。奥の部屋から順番に確かめて行っているのなら…次はお風呂場。どうしよう。見つかるのも時間の問題…!
足音が近づき、磨りガラスの扉の向こうに黄色の背の高いモノが見える。
「……花名さ〜〜ん……」
私は、せめてもの思いでできる限り体を小さく丸める。浴槽に自分の顔が映る。きっと、この白い額が両親たちのように釘で汚されるのだろう……。
(み…見つかるっ……!)
目から涙が零れ落ちる。…まだ死にたくなんてない…!そう願った瞬間、浴槽に血に塗れた二人の人間の顔が浮かび上がった。両親…ではない…もっと若い…二人の…男女……?私の目は何者かの手によって塞がれた。抵抗する気力も起きず、私は気を失った。第四夜のことだった。
…瞼の裏に、見知らぬ一本の柱が見える。その前には…黄色い服を着た幼い少女が立っていた。