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あの子の世界に
それは真夏とは思えないほどの清々しい風が吹く日のことだった。
「楽しかったねー」
「そうだな」
夏祭りからの帰り道。幼馴染の蓮と悠奈と並んで歩く。
「花火もきれいだったしな」
「うん! 来年もまた行きたいね」
「二人が楽しんでくれてよかったよ」
蓮と悠奈を夏休みに誘ったのは僕だ。忙しい中学三年生の夏。少しでも受験勉強の息抜きとなればと思い誘ったが、喜んでくれたので少しほっとした。
「来年……か。俺たちは来年どうしてるだろうな……」
蓮が呟く。
「僕たち来年から高校生だもんね」
「全然想像つかないよね……。陽翔は何か夢とかあるの?」
うっ、と僕は言葉を詰まらせる。
「夢かー、僕はまだ決まってないかな……。そういう悠奈は何か夢あるの?」
「私? あるよ。私ね……って、あれ見て!」
僕は悠奈が指さした方向を見る。
横断歩道上を転がるボール。それを追いかける小さな男の子。赤く光る信号。暗闇を照らす二つのヘッドライト。
瞬時に状況を理解した僕は横断歩道へと走る。
「おい陽翔! 無茶だ!」
蓮が叫ぶが僕は構わず走る。そして男の子の手を掴み、歩道へ引き戻す……はずだったのだが。
男の子を引き戻した反動で、僕の身体は車道へと放り出された。
「陽翔! 危ない!」
二つのヘッドライトは僕に向かって近づいてくる。
後先考えずに突っ走ってしまうのは僕の悪い癖だ――。
ヘッドライトはさっきよりも距離を縮めている。
いますぐここから逃げなくては。頭では理解しても、迫りくる恐怖は僕が動くことをよしとしない。
そのとき。
ふわっ、と僕の身体が浮いた。視界が目まぐるしく回転し、僕はアスファルトに打ち付けられる。
――が、その痛みは想像を絶するほどに少なかった。
誰かが駆け寄る足音。
「悠奈! 大丈夫か?」
……え、蓮、なんで悠奈の心配をするんだ? 悠奈は何も関係ないはずなのに……。
近づいてくる救急車のサイレン。
その音が狙っているものが、僕ではない、僕の少し後ろにいる誰か……のような気がするのはなぜだろう。
僕はただ、後ろを振り向くことができなかった。
そこからは何も覚えていない。
悠奈が事故死してはや二か月。半袖では少し肌寒い気温になってきた。
あの日から、陽翔は変わってしまった。
四時間目の数学の授業。俺は先生の解説を聞きつつ、ちら、と横目で陽翔を見る。
やっぱり――今日も、か。
あの日から、ずっと。陽翔は毎日学校には来ているものの、目は虚ろで、心ここにあらずだ。今までは持ち前の明るさや優しさでクラスでも人気な存在だったが、最近では人と話しているところを見たことがない。
そりゃあそうだ。少なくとも俺なら、立ち直れるはずがない。二か月前のあの日、悠奈は、車道へ放り出された陽翔を突き飛ばして、迫りくる大型トラックから陽翔を救ったんだ。自分が身代わりになってまで――。
『自分のせいで大切な人を亡くす』
その恐怖や絶望、後悔がどれほどのものか、俺には想像がつかない。
でも……俺は陽翔に、前を向いて、欲しかった。
四時間目終了を告げるチャイムが鳴ると、俺は陽翔のところに歩いて行った。
「陽翔」
「……何だよ、蓮」
「ちょっと、話さないか」
今まで何度口にしたかわからない言葉を投げかける。陽翔は返事をしない。
さっきまで賑わっていた教室内はいつの間にか、俺と陽翔の二人だけになっていた。
「陽翔、お前なんでそんなに変わっちまったんだよ」
「なんでって……お前は悠奈が死んで悲しくないのかよ」
「悲しいに決まってるだろ」
「じゃあなんでお前は……お前は今まで通りいられるんだよ」
「そんなの……天国の悠奈を悲しませないために決まってんだろ」
そうだ。俺は悠奈が死んでから、必死に頑張ってきたつもりだった。
『三人で一緒の高校に行こうね!』
今年の四月に三人で交わした約束。幸いにも、三人の学力は同じくらいだった。俺は、悠奈が死んだ後も、その約束は破るまいと、三人で決めた志望校を目指して、努力し続けてきた。
それなのに。
悠奈の死後、陽翔の成績は右肩下がりだった。やっぱり、悠奈の死による陽翔のショックは、俺とは比べ物にならないのだろう。
三人で決めた約束だろ。悠奈のためにも、一緒に頑張ろうぜ。
本当はそう言いたかった。
でも、言えない。言えるわけがない。
自分以上の苦しみを抱えてる人にこんな言葉を投げつけるのが怖かった。
「天国の悠奈……か。その悠奈はもういないんだよ」
陽翔が言う。
「そっか……そうだよな」
こんなとき、本当は俺が陽翔を引っ張ってやらなきゃだめなんだろう。
何も力になれない自分が本当に情けなかった。
ふと時計を見ると、休み時間はもうすぐで終わりそうだ。
「放課後、屋上で待ってるから」
放課後に、もう一度、ゆっくり陽翔と話したかった。
誰もいない学校、とはいっても先生方はまだ帰っていないから違うが、生徒が皆帰った学校は驚くほど静かだ。まあここが学校の屋上、というのもあるかもしれないが。
俺は陽翔を待ちつつ、空を眺めていた。
見渡す限りの灰色の雲。気分は晴れないが、今の俺の心に青空は似合わない。
ふと涼しい風が吹き抜ける。
陽翔は来るだろうか。
最近の陽翔の様子を考えると、来なくてもおかしくない。
でも俺は……陽翔を待つ、と決めたから。何時間でも待ってやる。さすがに暗くなったら帰ると思うが。
ただ待っているだけでは暇なので、改めて陽翔について考えてみることにした。
悠奈の死で、変わってしまった陽翔。
以前はよく笑う、明るいやつだったのに、最近は笑顔を見せない。会話を交わすことも少なくなった。
小学生の頃までは三人で公園に行ったり、家に遊びに行ったりしたこともあったが、中学生になるとそういう機会は減っていき、中学三年生では、あの夏祭りに行ったきりだ。
そういえば俺、学校以外での陽翔のこと、あまり知らないな――。
キィ、とドアを開ける音がした。
陽翔が来た。
そう思って立ち上がり、振り返ってドアのほうを見た瞬間……俺は凍り付いた。
「せ、先生……」
そこにいたのは、陽翔ではなく、担任の佐々木先生だった。
「なんだ……誰かと思ったら鈴宮か。こんなところで何してるんだ」
おかしいな、屋上は立ち入り自由のはずだが。いや、さすがにこんな時間までいるのはまずかったか。
「浅霧君から聞いたぞ。屋上に誰かいる、とな」
は……?
朝霧? あの朝霧陽翔が?
まさか。陽翔がそんなことするなんて思えない。でも……陽翔は、今俺が屋上にいることを知っていたはずだ。そうしてまで俺と話したくなかったのだろうか。
「受験生なんだから、早く帰って勉強しなさい」
「はい……すみません」
とりあえず先生に言われるがままに学校を出る。
あいにく空は少し雨がぱらついていた。傘は持ってきていないので小走りで帰る。
それにしても……なぜ陽翔はあんなことをしたのだろう。今まで俺が話しかけすぎて、嫌になったのだろうか。
明日また、陽翔に理由を聞いてみようか。いや、それだとまた陽翔に話しかけていることになる。陽翔が嫌がるかもしれない。
だけど……誰かが変わらなくちゃ、何も変わらないじゃないか。
俺が変わらなきゃ、陽翔は絶対変わらない。
だから明日、陽翔に、伝えたかったことを全部伝えよう。
陽翔の中の何かが変わることを、信じて。
いつの間にか、雨はやんでいた。
次の日。なんとなく俺はいつもより早めに学校に行き、自分の席に座っていた。
窓から入る風が肌寒い。
昨日あんな決意をしたものの、いざ今日になってみると、不安が勝ってくる。
本当に俺は、言いたいことを言えるだろうか。
なんてことを考えているうちに、陽翔が教室に入ってきた。
やるしかない。
そう心に決めて立ち上がり、陽翔に近寄っていくと、
「おい」
何者かに声をかけられた。声の主は――陽翔だ。
「え、陽翔。……何だよ」
まさか陽翔に声をかけられるとは思っていなかったので、一瞬うろたえた。
「あのさ、もう限界だったから言うよ、蓮。……これ以上、僕に話しかけないでくれないか。放っておいてほしいんだ」
……え。
「いや……俺はただ、陽翔に元気を出してほしくて」
「それが無理なんだ。毎日毎日、同じような言葉を僕に投げかけて。それにお前、悠奈のこと、そこまで悲しんでないだろ」
「何言ってるんだ。俺だって悲しいよ」
「どこがだよ。本当に悲しんでるなら……なんでそんなに早く立ち直れるんだよ。第一、あの事故のとき、お前が悠奈をとめていれば……」
その言葉を聞いたとたん、俺の心が動いた。
あの事故の瞬間……俺は何をしていた。
悠奈が指さしたとき。陽翔が走り出したとき。それに続いて悠奈が走り出したとき。陽翔が車道に放り出されたとき。悠奈が陽翔を突き飛ばしたとき――。
俺は……ただ『見ている』だけだった。
そして悠奈が跳ね飛ばされたあと、慌てて駆け寄って、慌てて声をかける。ただそれだけだった。まるで自分が外の世界に介入したくないかのように――。
陽翔に投げかける言葉だって同じだ。
『自分以上の苦しみを抱えてる人にこんな言葉を投げつけるのが怖い』
いつか考えていたことだが、こんなものはただの言い訳だ。
良くも悪くも、自分の発言を相手に影響させたくなかっただけだ。いや、そもそも影響させようと思ってすらいなかったのかもしれない。
こんな感情の何一つこもっていない、当たり障りのない言葉で、陽翔の何が変わろうか。
『傍観者』の三文字が頭に浮かぶ。
幼馴染にでさえ手や口を出そうとしない俺は、いつまでも傍観者だ。
いつから、こんな風になってしまったんだろう。
ふと、幼いころの記憶がよみがえる。
小学生のころ、話し合いで意見を提案したら、クラスの皆から全否定されたこと。
親切心で落としたものを拾ってあげたのに、逆切れされたこと。
そういった嫌な経験が積み重なり、いわゆる『傍観者』になってしまったのか……。
こうしてみると、俺だって苦しいじゃないか。
陽翔とは比べ物にならない。でも、俺だって苦しみを抱えてる。
そのことに気づいたとき、俺の中の何か重たいものが消えた気がした。
今なら、言える。
「……陽翔。お前が言いたいことはよくわかったよ。でも、俺からも陽翔に伝えたいことがあるんだ」
「……」
「陽翔には……陽翔のいいところがあるだろ。優しいところとか、明るいところ、それと、正義感がとても強いところ。でも最近は、そういういいところが全然見られないじゃないか。辛いのはわかってる。でも……陽翔には、陽翔のままでいてほしいんだ」
これがずっと、陽翔に伝えたかったことだ。
「正義感が強いのがいいところ……? でも、そのせいで、悠奈は死んだんじゃないか! 悠奈は何も関係なかったのに。僕があの男の子を助けようとしたせいで……」
陽翔が俯きながら答える。
「でも陽翔が行動しなかったら、あの男の子は間違いなく死んでた。それを防げただけでも、十分いいことじゃないか」
「だけど、悠奈が死んだんじゃ、意味がないじゃないか……。蓮、やっぱりお前、悠奈のこと、どうとも思ってないんだろ」
「それは違う。俺だってすごく悲しいし、後悔もしてる。でも……やっぱり前を向かなきゃ、天国の悠奈が悲しむし。あと、悠奈の夢、覚えてるか?」
陽翔がちら、とこちらを見る。
「夢……? 知らねえよ、そんなの」
「ああ、確か陽翔にはまだ言ってなかったね……。悠奈の葬式の日、悠奈のご両親に聞いたんだ。そしたら言ってたよ。悠奈、世界中の人々を笑顔にするのが夢だったって……。だから、まずは俺たちが前を向かないと。悠奈の夢はずっと叶わないままだよ」
陽翔は何も言わない。
「それと……悠奈との約束も果たしたいんだ。三人で一緒の高校に行こう、ていう約束。今からでもきっと間に合う。だから、一緒に……」
キーンコーンカーンコーン
授業開始のチャイムが鳴った。席を立っているのは俺と陽翔だけだったので、急いで席に着く。
俺が伝えたかったことは、全部陽翔に伝えたつもりだ。
その日の放課後。スマホに陽翔からメールが届いた。
俺はカバンに参考書やらノートやらを詰め込んで、図書館に向かって自転車をこぐ。
秋だというのに暖かさが心地よかった。
はじめまして!深蔭なつはです。
初投稿の小説でしたが、いかがだったでしょうか?
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