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紡ぐ。
短編カフェを始めて2年が経ちました。
誰かに届くと信じて、紡ぐ。
小説を初めて書いたのは、確か小学一年生の頃。
久しぶりに、昔の小説を手に取った。
汚くてところどころ読めない、拙い字。おかしな文章に、展開。今考えれば間違いなくこれは黒歴史だし、実際、恥ずかしすぎて読み返すのにもかなりの気合が必要である。
……でも、それでも。
ずっと憧れていた、作家という職業。幼いながら、憧れと期待に胸を膨らませ、わくわくしながら物語を創っていたことを、思い出す。
あのときのきらきらを、「黒歴史」っていう単語で片付けちゃうのはもったいないっていうか……夢を抱いていた昔のわたしに、失礼かも。
それから。
「……」
2年前の自分が、なにも分からぬまま見つけたサイトに投稿した小説。
こちらも恥ずかしすぎて何年も読み返していない。
「……うぅっ、うあ゛ぁ……」
うめきながら、悩みながら、恐る恐る、画面を触った。
*
「しんどいよ!!!!むり!!!しんどい!!!!!」
羞恥で真っ赤になったわたしは、抱えていたクッションに顔をうずめる。
無理だ、あんな呪物を読み切るなんて無理だ。そんな勇者になれる気がしない。
まずなんで自分の力量も知らぬまま小説投稿なんて始めたんだ理解できない昔の自分にキレそう。自分が憧れてた世界観を押し付けすぎて無理気持ち悪いなにがしたいのなにを伝えたいのてか未完成放置2年続けてるじゃん意味わかんない無理しんどい。
頭の中をぐるぐると巡る語彙力がなさすぎる思いを一旦落ち着かせる。深呼吸。
こんなひどいものが何人もの人に、ましてやサイトの運営様の目にも届いていたかもしれないと考えると、恥ずかしすぎて消えてしまいたくなる。
そして当時の自分も、自分の小説がまだまだ実力が足りないものだと自覚していたはずだ。
なのに、投稿しようと思ったのは。
「……誰かに届いてほしかったから」
当時も今も、わたしは自分の書いた小説を人に見せる行為は「恥ずかしい」ものだと認識している。別に、人がそうすることは決して恥ずかしいものではないけど、自分の拙い文章は人の目に晒されるにはあまりにも実力不足だと思っているからだ。……あのときは大分頭がおかしかったので、今でも日記に度々話題にあげる1人の友人には話してしまったけど。
だから、自分の書いた小説を誰かに見せることは今までしたことがなかったはずだ。見せようと思ったことも、同じように。
でも、もしかしたら。
わたしが創った世界を、好きになってくれる人がいるかもしれない。
わたしが綴った文字を、好きになってくれる人がいるかもしれない。
口下手で、気持ちを伝えることが下手くそなわたしだけど、もしかしたら、小説に込めた想いを、願いを、分かってくれる人がいるかもしれない。
そして1番は、きっと。
『自分の好きなものを書ける場所』
自分が好きなら、それでいい。
下手くそだけど、まだまだ文章力もなにもかもないけど。でも、文章を書くことは、誰よりも、なによりも大好きなわたし。
――大好きなものを、大好きな環境で、大好きな人と一緒に、大好きに囲まれながら書ける場所。
今日で、出会って2年が経った場所。
ずっと居場所であり続けてくれた場所が、ここだったり、する。
*
……とか、大層なことを書きつつ、実際、二次創作以外の小説は再掲を除き1年ぐらい投稿してない。
以下、友人との会話。
「早く投稿しなよ」
「おっしゃる通りです」
「書いてるには書いてるんでしょ?」
「未完成放置が溢れかえってる」
「完成させなよ」
「おっしゃる通りです」
こればっかりは友人が正論。今はもう小説家になるなんて夢を掲げてないけど、放置癖はほんとによくない。重々承知している。
小説の投稿頻度が最悪な一方、日記の投稿頻度は基本的に維持してる。
一週間に1回を目安にしているけど、最近はどうしても時間がなくて書けない日も多い。書くには書いてるけど、うまく話がまとまらなくてボツになった内容も溢れている。需要があるならNG集を投稿するが、(日記のNG集ってなに?という正論がよぎりつつ)恐らく誰も求めていないので今後世に放たれることはないだろう。日記のNG集を世に放つっていう表現初めて使ったし多分今後死ぬまで二度と使わない。
「……でも日記で笑ってもらえるのも、嬉しいんだよなあ」
気まぐれに、好きなように、他の人と比べてちょっとだけ文章が長めのわたしの日記に、コメントを送ってくださる方は少なくない。1年以上前からずっと見てくださってる方もいて、感謝しかないし。
自分が感じたこと、経験したことに共感してくださるのもすごく嬉しい。文字通りの三日坊主のわたしだけど、日記をここまで続けられるとは思っていなかった。それは間違いなく、コメントをくださる方々のおかげ。
時々、「面白い」とか「笑っちゃった」という声も届く。
もちろん実話だしなにも考えず脳死で文章を書いてるけど、これまた嬉しい。ネット上以外で、わたしは誰かを笑顔にすることなんてできないから。小学生のとき、「ノリ悪い」と言われたことを未だに引きずってるわたしが、ちょっとだけでも誰かを笑わせられたなら、それだけで誇らしい気持ちになる。
コメントじゃなくても、わたしの文章を少しでも読んでくださった方全員に、大きな声でお礼を言いたい。
ありがとうって。
*
昔から、周りより弱い人間だった。
ちっちゃいときの失敗とか、ちょっとした言われたこととか、心の中でずっと、抜けない棘のように、ちくちくと痛みを主張していた。
周りのことばっかり考えてる自分が、なにもかも考えすぎちゃう自分が、弱い自分が嫌いだった。
そんな自分すら愛せるようになりたい、って、何度も書いた気がする。
自分と同じように弱い登場人物達に、いつか自分が笑って言えるようになりたい言葉を何度も言わせた気がする。
うらやましかった。
表面上だけかもしれない。きっとみんなも同じように、裏では弱さを抱えているのかもしれない。でも、上手にできている周りが、眩しくて仕方なかった。
自分を、自分自身の存在を、恨んだ。
……でも、きっと。そんな弱い自分だから紡げる言葉があって。
しんどくて、さびしくて、泣きそうになる気持ちが分かるから、痛いほど分かるから、眠れない夜があったから。だからわたしは、今のわたしの文章を綴れる。
周りの目を極端に気にして、それぞれが喜んでくれる言葉を探して、うまくできなくてもがんばろうとしたことがあったから。だからわたしは、人物達に言葉を託すことができる。
唯一、自分を認められる、自分を守るための武器のような。
それでいて、あたたかくて、優しくて、いつだってそばにいてくれるような。
それが、わたしにとっての「小説を書く」という行為。
わたしが文章を綴り続ける理由は、まとめきれないぐらいある。
わたしにしか創れない世界があるかもしれないから。自分を誇れるようになりたいから。
前述した通り、今でも小説を誰かに見せるのは少し恥ずかしい。そんな心の中に、「誰かに届けたい」「届いてほしい」なんていう気持ちがちょっぴり見え隠れしてるから。
いつか、私が短編カフェから、この世から消えていっても。私の作品を読んでくれた方が、ふと「ああ、みはなだって人いたな」ってちょっとでも思い出してくれたら。誰かの世界を変えるなんて大層なこと私にはできないけど、少しでも、ほんの少しでも記憶に残れたら。それは、すごく小さなことで、そしてすごく素敵なことだなって、思う。
10年後も、100年後も、1000年後も作品が残り続けるなんて、1000年後の誰かに作品を見てもらえるなんて、そんなことないかもしれないけど。いつか誰の記憶からも消えてしまっても、私が作品に託した気持ちはずっと消えないから。
もしかしたら、自分がうまく語れない想いが、文章に託した想いが1000年生きられるかもしれないから。
だから私は、下手くそに言葉を紡いで生きているのかななんて、思った。
でも、あわよくば、ちょっとだけでも支えになるような、少しだけ世界の見え方が変わるような文章が書けたなら。
そんな素敵な作品を生み出せるような人間になれるといいな。
わたしは、今日もパソコンを開いてみる。
かなりの金額を使って作り上げた、推しに囲まれた現状のわたしの最高の作業環境。消しカスにシャーペン、たくさんの本。その真ん中にパソコンを置いて、慣れた手付きでパスワードを入力する。
それから、ブックマークの一番上にあるサイトを開いて、これまた習慣のようにマイページを確認。
今日は、新しい小説を書いてみよう。いつも未完成のまま投稿できないわたしだけど、今回は絶対に。
これからも、好きなものを、好きなだけ。
気楽に、肩の力を抜けるように。
言葉を、紡ぐ。
小説っていうか、ポエムっぽいっいうか、なんていうか。
今までを振り返りつつ、自分が大切にしたいものを整理しつつ、そしてみなさまに感謝を伝えつつ。
短編カフェっていう居場所があって本当によかった。2周年ありがとう。これからもよろしくね。