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14 〇 (伏字表記)
第14話です。
「なあ、やめようぜ、こんなの」
事の兆しが見えたのは、収録終了間際。ヤラセを知らないゲストのひと言だった。
「何が〝じゃらくだに〟だよ。こんなのただの汚れた人形だろ。これのどこが恐ろしいっていうんだ?」
明かるげな声を上げるはずだったスタジオがみるみるうちに冷めた空気になっていく。つい先ほどまで立て板に水のように口を動かして「ぼくを知った気でいる」コメンテーターもかん黙してしまった。口撃は強くても暴力、特に筋力のある若者に抗議するには、年の波的に堪えるようだ。
これが生放送中であれば、今頃クレジットが流れていただろうに。流れきるまであと数秒の差だよ。生放送ではなく、これが収録中で、その後編集で切れるとはいえ、この人空気読めないんだろうな、というのがぼくの思ったことだった。
たしかに、そう言いたい気持ちもわかるにはわかる。苦言を漏らしたのは先ほどスマホを勝手にいじくられ、不気味な映像を流されたゲスト、ハイランドとかいうサングラスをかけた男だ。
容姿は結構整っている方ではある。細身ではあるが引き絞った体つき。クロムハーツのアクセサリーを全身に身につけ、袖を通していない右手の親指にはぎらりとした金の指輪をはめている。ちなみに定番のドクロだ。
この時の衣装はマントを肩からかけたような銀色の服で、襟元と肩には長い茶髪がかかっている。前髪の隙間から青系のインナーカラーが見え隠れしていて、ゲストの中ではひと際目立つ。若者なのにどっしりと構えていて大物ゲスト感が強い。
彼は狼のようなマントを揺らし、ひな壇を降りてスタッフからスマホをぶんどった。傷物にされてないか一応画面を確認してから、ケモノのように吠える。内容は主に、スタッフチームに向けての姑息な悪態。
「消灯騒ぎだけなら少しは我慢してやろうかと思ってた。でも、これは無理だ。楽屋泥棒みたいなものだろ、いけ好かない演出だ」
いけ好かないのはお前の方だろ。黙ってろよ一匹狼。
「コンプラっていう言葉知ってんのか、ああ? スマホはプライバシーの塊なんだ。それをコソコソと細工して。
こんなのスタッフがやったに決まってる。何が『廊下を歩いていたところで』だ。こんな子供だましやったところで数字は上がっても〝視聴者〟は気づかないとで思っててんのか」
「ちょ、ハイランドさん……そこまでに」
MCの方が制止の声を上げるも、黙れ、の強い目つきで黙ってしまう。ひるむなよ。行けよおっさん、芸歴長いんだろ。舞台裏なんだしコンプラなんか気にせず殴ってやれよ。
しつけのなっていない、芸歴短男の威勢は強い。
「言っておくけどな、俺は|お金儲けのため《・・・・・・・》にこの番組に出たわけじゃない。そこの、マネージャーの口先で仕方なく、だ。こんな子供だましをされちゃ、俺のブランドとしてのイメージダウンに繋がっちまう。
なあ、小島。こんな案件断っちまえって、前に言ってなかったか?」
カメラの群れに隠れるようにして、背の小さな女性が代わりにぺこぺこと頭を下げている。あれが傲慢な狼の手綱を握るマネージャー、小島さんのようだ。ちゃんと手綱を握れていない感じが伝わってくる。
「誰だ、誰がやった? 手挙げろ。自己申告してくれたら腹パン一発で許してやるから」
「す、すみません! うちの者が――」
「邪魔するな! マネージャー風情が、よ!」
「きゃっ」
ハイランドが身体を押したようで、体格差のあるマネージャーは短い悲鳴を出して床に転がった。
ざっと、スタジオの空気に緊迫感が走った。のだが、当のハイランドは床のそれを|一瞥《いちべつ》しただけ。再び吠える。
「おい、さっさと出てこい。さっきの奴だろうが聞いてやるよ、誰がやった?」
ハイランドの鋭い目つきはスタッフ陣を見やる。誰もが口を閉ざしている。そりゃそうだわ。
さっきまでうきうきとヤラセをやっていたときとは違い、沈黙にならざるを得ない、といった隷属的協調性を発揮している。
まったく、黙ってればただのイケメンで済んだというのに。口を開けばなんだ、口から腐敗臭がするほど性格がブサイクじゃないか。
あまりにも品がない。女も大切にしないし、なにがコンプラなのだろう。
これでは真夜中に放たれたケモノ、毛のつやだけがいい銀色の狼だ。たった一つの明かりである月夜に、傲然と吠える一匹狼の独壇場。場を収められるのは猟銃一発で仕留めてくれる凄腕か、生贄か。生贄役のウサギは何匹いるだろう、一匹で山野に帰ってくれるだろうか。
スタジオを眺めてみる。見たところ、主犯格である「ヤラセの達人」の姿が見当たらない。いつからいないのか不明だが、逃げたことはたしかだ。ウサギのように逃げ足が速い、流石だ。
とはいえ、この状況、どうするんだろう。これでは「ヤラセの達人」の勝ち逃げだ。ぼくとしてはこのままでもいいんだけど、それが二十分も三十分も剣呑な空気を垂れ流されてしまうと、これ、なんの時間?――と思ってしまう。人間っていつもこんな身のすり減る時間を過ごしているの?
はやく出る杭は打たれないのかな、と思ったとき。
何処からか、鶴のひと声のような、空間を切り裂く者が現れる。
「人形に殺されますよ、あなた」
かなり物騒な物言いに、一瞬だけ時が止まったかのように面食らったようだが、
「あ?」と、ハイランドだけは銀色の髪を振り回し、その者を見つけようとした。
「だから、このままだと殺されると忠告しているんです」
その声はひな壇前方から聞こえてくる。聞いたことがない声音だ。ゆらりと白い湯気が立ち上るようでもある。
その白さはまるで先ほどの話に出てきた神主そのものの出で立ちだった。収録中、ゲストの中で唯一ひと言も話さなかった人物だ。
神職に仕える象徴のような、汚れ一つない白装束に、袖口の長いだぼっとしたタイプの衣服。下は紫色の袴に足袋を履いている。よく見ると袴の表面にはうっすら文様が描かれていて、目を凝らしてみないと紫色で隠れて見えない。
歳はMCとほぼ同年齢か、若干老けて見え、長年神に仕えていますよ感――強キャラ感がみえみえである。
「ああ、なんだ。群馬の神主さんか。あんたもこいつらと〝グル〟だってのか?」
神主は壇から降り、世間知らずの若者に近づいてゆく。諭すような穏やかさを保ちながら。
「仮に先ほどの消灯騒ぎや動画のものは捏造だったとしましょう。捏造、つまり人間の仕業だったと。それでもあの人形が偽物か否かは、断定できないと思いますが」
「何がいいたい」
神主は首尾よくいった。「断言しましょう。少なくとも、あの人形は本物。偽物であろうが力は〝本物〟のように感じられます」
「はっ! 言うね。俺はその人形に呪い殺されるっていうのかい」
とうとう若者と対面した神主は余裕ありげに首肯する。
「ええ。その通り。そちらの人形〝じゃらくだに〟様にね」
「なわけが。そんなこと世迷い言、あるわけない! 逆に俺を『殺してみろ』っての!」
ため息の声が聞こえる。えらく露骨だ。
「収録中、うたた寝でもしていましたか。先ほど|匝瑳《そうさ》さんがこう言っていたではありませんか。五百年前、相手を思い通りに呪い殺すことができる人形がある――と。その話、私は興味深く拝聴しましたよ」
「あんなの、作り話だろ」
うん。それにはぼくも同意するよ。
「そんなのありえねぇ」
「たしかに。そのような見方もできます。五百年前ですからね。事実無根。大昔のことなので確証はない。それが嘘か本当か、断定すらもできない」
「なら嘘、作り話じゃねえか」
「そうひと言で片付けて良いものか、と私は思うのですがね」
「ちょ、ちょっと|神宮寺《じんぐうじ》さん……」
MCの方が仲裁に入る。
神宮寺というのが、あの神主さんの名前らしい。神宮寺……やはり、どう見ても強キャラ感が否めない。
「神宮寺さん、そこまでで――」
MCの取り計らいに際して、手のひらを見せる。もう少しだけ、という合図。その所作でさえMC以上の大物であることがうかがい知れる。
「たしかあなたはハイランドさん、と言いましたか。噂はかねがね、遠方遥かからでもあなたの活躍は届いてますよ。何やらアパレルブランドで大成功を収めたとかで、直近の納税金額は五千万円だったと……」
そう神宮寺は前置きをすると、いくつかの質問をした。好きな食べ物から嫌いな食べ物、兄弟や両親、祖父祖母について尋ねてきた。
ハイランドも最初は吠えてばかりで無視していたが、神宮寺は軽くいなして別の質問を平然と投げかけてくる。すると何故か口が動いてしまって答えてしまっている。神宮寺が年齢を聞くと「なるほど、本厄ですか……」と不敵な笑みを浮かべた。
最後に最近お祓いをしたかどうかを尋ね、予想通りの返答を聞くと、意味深に一度頷き、
「最後に、あなた……、〝呪いの人形〟は信じていますか?」と聞いた。当然のようにこう返ってくる。
「ねえよ。そんな精神患者の妄想癖みたいな趣味は」
「そうですか、なら、忠告しておきましょう。『あなたは今夜中に死にます。すでにあの人形〝じゃらくだに〟さまに呪われていますから』」
今すぐにでもお祓いをした方がいい、幸い祭具は楽屋にある。この場でどうですか、ただし、あの人形に殺されたくなければ、の話ですがね。
神宮寺のそういった目線がぼくに突き刺さった。それが彼の逆鱗に触れたようだ。……嫌な予感しかしない。
「――んだよ!」
ハイランドはぼくに向かって歩き出した。ずかずかと、床に足を突き刺しながら攻撃的な態度がありありと見える。すでに彼以外の人間たちは模型のごとく全くといっていいほど身体が固まっているので、一直線にぼくのところに来られてしまった。
予感は的中した。ぼくに向かって腕を伸ばし、ガラスコップを取る時のような音が鳴った。
――いて! ちょっと、痛いんですけど……。
手のひらの感触が痛いほど感じられる。右手の人差し指の根本がちょうどぼくの顔に当たった。
「こんなもんの!」
そして、ひっつかむ感じでぎゅっと握られてしまう。こうなるとぼくは何もできない。あわわ。そんなに手の高さを上げないで……
「どこが!」
ぼくはバック宙の最中なのか、アクロバット飛行なのか一瞬分からなくなってしまった。
視界は明かりが点滅したり、色が右往左往したりする。ぼくには経験したことのない力の圧力――遠心力的な要素――は初めてだった。ただ、この混乱の空の旅はほんの数秒で終わりを告げるはずである。今から掴んだ手のひらを広げて、空中に投げだされる。そうなったらぼくはどうなるだろう? 何ら抵抗できずに、放物線を描きながらあちらに飛んでいくさまを想起してしまった。
かなたには草木などという自然物でできたクッションは見当たらず、ただ痛そうな硬い壁があるのみで、桐でできた硬い身体もさすがに耐えるのには無理があるだろう。人間たちだって、こんな汚れた人形一体のために、命を懸けてくれることなんてない。そんなことをしてくれるのは……
「が!」
背中に風圧を感じる。
風圧、風……彼。
ぼくのことを助けてくれるのは、彼くらいしかいないかな……
そんなことを考えているとしんみりしてしまう。時間が経つのがちょっとだけ遅くなった……ような気がした。
走馬灯的な何か。彼との会話。
「――!」
風の化身である彼とぼくとの会話が再生される。
――ほら、神様って予言できるから。
――今から二か月以内に、君は燃やされることになる。
それを言われたのは大体一か月前。だから、ぼくの寿命は一か月残っているはずだ。なのに、このままだとその通りにならなくなってしまう。
たしかに予防線は張っていたな。だって二か月『|以内《・・》』だもんな。嘘は言ってない。それ以外は外してるけど。
彼は神様なんじゃないのか? ……いや、人間側には神様だと「思われている」側だったか。
やばいよ、やばいよ。どうするよこれ。ぼくって最後、燃やされるんじゃなかったの? これだと墜死だよ。
「――」
ぼくは、ぎゅっと恐怖を映す目を閉じようとした。
できなかった。ああ、そういえば人形だから、目は閉じられないんだっけ。あれ?
……その場で『高度』下がってね?
「……があ」
腑抜けた声がすぐ近くから聞こえてくる。
ぼくは耳の横、富士山でいうところの八合目あたりにいて、あとは山頂までいってそのままの勢いで「いざ宇宙へ行くぞ!」――的な握りこぶしにとらわれていた。が、その勢いが死んで、五合目、四合目と下がっていった。とうとう富士山麓どころかその下の地表にまで落ちていき、もはや海上すれすれを飛んでるだろ、になる。
海面という床に不時着しそうになった直前、握られていた手から解放された。そのまま床に着地できるほどにゆっくりと、だらりと降下してくれた。とりあえず着地に失敗したふりをして――まともに動けないけど踏ん張ることぐらいはできるんだよ?――、ころころと床面を転がることにした。この場合、きれいに着地するより寝っ転がった方が「自然」でしょ。
回転スピードはそうでもないので、横倒れの景色がコマ送りに見える。真っ暗の床面と崩れ落ちる男の姿が交互に映しだされる。
それは、老朽化してなおも燦然と輝く銀色の高層ビルが、役目を終えて根元から爆破解体されるかのように。下からすとんと高度を下げて地面に消えていくように。なんとも面白みに富む|雅《みやび》な光景だった。服が銀色だから、なおさらそう見えるんだよな。
「が、がああああ……」
ぼくが何かにぶつかって静止する頃には、ハイランドとかいう口先だけの男は無様に倒れてしまった。横になってもがいている。両手を持ち上げて、首元をかきむしるようにして。口からは白い泡がぶくぶくと零れ落ち、首から分離したように身体はひどく|痙攣《けいれん》する。
「……が……。…………」
これが絶命ってやつか。ずいぶんと長い「があ」だなぁ。というか、さっきからこの人「が」しか言ってないなぁ、なんでだろう……と思っていたんだけど、ぼくの気のせいじゃなかったみたいだね。
と、思える人はぼくくらいしかいないと思っていたんだけど、もう一人いた。
その人物は、空気を読んで横に転がりカメラの三脚あたりで止まっていた|人形《ぼく》を拾い上げていた。先ほどとは違ってやさしい持ち方をしてくれる。ぼくを見つけ、拾い上げられるほど気持ちに余裕のある人物だ。まるで「こうなることを知っていた」かのような落ち着いた所作だ。
持ち上げられ、近くのテーブルの上に着地する。場所は発泡スチロールでできた箱の隣に置いてくれた。視界が固定されたのでひと安心だ。ここからならスタジオが一望できる。
目の前は騒然となっている。さっきまで大団円を迎え無事終わらせることができたのに。誰かが茶々を入れるからこうなったのだ。
その誰かに寄り添うように近づいて、女性が身体をゆすっている。コウ、コウ!――と叫んでいる。先ほどの小柄な女マネージャーらしい。その横で、首を振っている者もいる。ダメだ、死んでる、と呟いた。
「〝――〟様にすべての感謝を」
ぼくとともにそれらを眺める隣の人物――神宮寺は『|ぼくにしか聞こえない声《・・・・・・・・・・・》』でそう呟いてから、スタジオに一礼した。ひと呼吸おいたのち、頭をあげて踵を返す。
|綽綽《しゃくしゃく》たる余裕を見せながら廊下に出ていった。紫の袴姿からみえる履物が一歩踏み出すごとに床との摩擦音が大きく聞こえ、大昔にタイムスリップしたかのように。
……いやいや。
感謝される筋合いなんてない。
ぼくは何もしてないんだから。