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かき
アビス・マーティン
ガタゴトと、先ほどよりも随分と落ち着いた速度で進む馬車。窓の外を流れる景色は、いつの間にか見慣れたコーラルウェル伯爵家の領地へと変わっていた。
「リリー。お疲れ様でした。お怪我は御座いませんか?」
「んー、大丈夫。メイベルがしっかりキャッチしてくれたしね。」
馬車のシートに深く腰掛け、ふぅ、と小さく息を吐き出す。ファントムハイヴ邸での、あの陶器人形のような少年の顔が、まだ頭の裏に張り付いて離れない。
「ねぇ、メイベル。」「はい、何でしょうか。リリー。」
「彼、すごく怒ってた。僕に触るな、って。あんなに拒絶されたの、本当に久しぶり。」
「……おいたが過ぎましたね、リリー。私の居ないところで、あのような男の衣服に触れるなど。」
「少し、嫉妬してしまいます。」
「ふふ、ごめんね。でもね、あの子、私と同じだった。」
「隠そうとしても、心の穴が見えちゃってたの。」
ガタ、と馬車が大きく揺れて止まる。どうやら、我が家に到着したようだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様。」
御者や使用人たちの出迎えを受けながら、私たちは静かに屋敷の中へと足を踏み入れる。いつもの、ストックとカーネーションが混ざり合った、甘くてスパイシーな私たちの香りが満ちている空間。パタン、と自室の重厚な扉が閉まる。瞬間。
シュル…
「っ、メイベル……?」「お部屋の外では、完璧な侍女頭で居て差し上げました。」
「ですが、ここからは私だけの時間です、リリー。」
温かみのあるコーラルピンクの髪が視界を遮り、紅く深いカーネーションのような瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。彼女の細く、だけど悪魔としての絶対的な力を持った指先が、私の純白な髪を優しく愛撫するように梳いていく。
「あのファントムハイヴの少年が、貴女に触れなくて本当に良かった。」「もし万が一にでも、貴女のその穢れなき肌に触れていたなら……私、あの屋敷ごと、あの生意気な番犬を噛み千切って差し上げるところでしたわ。」
そう言って、メイベルは妖しく、一途な乙女のように微笑む。
「ん、もう……メイベルは心配性だなぁ。」「私はメイベルだけのものだよ。契約、したでしょ?」
「ええ、知っております。……ですが、今日は少し、お仕置きが必要ですね?」
ドサリ、と柔らかなベッドに倒れ込む。シエルのいたあの冷たい客間とは違う、熱くて、濃密で、どうしようもなく私を狂わせる私だけの居場所。
「……イエス、ミストレス。今日も貴女を、私だけで満たして差し上げます。」