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ナナメの積読本
3600文字。エッセイ。
N日前、三宅香帆のバリューブックス見学動画を視聴した。古本を売買したことがある人は絶対見たほうがいいと太鼓判を押していた。
古本の行方について、関心があったので、何の気なしに動画を再生する。中身は、古本オンライン書店の倉庫を見学して、古本の蔵書の様子を動画に収めたシンプルなものだ。女が寄ってたかって書棚から勝手に古本を手に取り、この本は|稀覯本《きこうぼん》ですよなど、あれやこれやと興奮していた。
この女については、正直なところよく知らん人だ。プレバトの俳句をやっていたのを二度お見掛けしたが、「うーん」という感想を持っている。話しぶりからしてどことなく怪しい。
動画に収められた歩き方からみても、地面に足がついていない。裏で作家が|背後霊《ゴースト》してんのかな、という疑惑で後ろ髪は引かれていた。
出版本も、一冊しか読んだことはないのだが、前置きが長い文章だった。その本のタイトルは「読んだふりしてたけど……ぶっちゃけよくわからん、あの名作小説をおもしろく読む方法」。
最近の若者はこれくらい長く、わかりやすいほうが手に取りやすいのか。本の中身も、タイトルの例に漏れず長ったらしいな、と僕の減らず口が申している。飼いならせてなくてすみません。今まさに積読してるんですこの本。
という感じで、どちらかというと、女のほうではなく古本倉庫の持ち主……「バリューブックス」さんに印象を強く持った。バリューブックス経由で次の動画を漁った。ほうほう。どうやら、先ほどの動画で映っていた男は「積読チャンネル」というものをやっているらしい。
バリューブックスを世の中に広めるため、YouTubeで姿を晒している。サラリーマンの身を削って、本のすばらしさを語っている。その中から「本屋がつぶれる理由」を選び視聴。一時間以上の長尺だが、素直に「おもしろいな」となった。
ラジオ収録スタイルを見せる感じだった。
二人の男が椅子に座り、左右の見えない画角から中央に向けてそれぞれマイクが伸びている。右側の白のTシャツを着ている人がメインだ。左は相槌担当。テーブルに置かれたノートPCを見ながら、司会進行を進めていく。
前の投稿にて、国語便覧の購入を書いたが、なるほど、そういう意味だったのか。国語便覧の平積みの、ポップアップの必死さたるや。入荷タイミングがかなりずれ込むからか。
書店員の苦悩に同情した。SNSの拡散性と、急速に萎むスピードに苦慮している。あとAmazon。その板挟みのストレスが、陽キャのざわざわとした笑い声に肉薄して、見えないこえが聞こえてくる。背後のラップ音、冷たき共鳴、おどろおどろしい|叫鳴《きょうめい》。
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翌日「積読チャンネル」の別の動画を視聴した。
「日記って書く意味ある?」いやに挑発的なタイトルだ。そんなタイトルを書かなくとも、こちらには動画を見る権利がある。クリックポチッとその動画を視聴した。視聴していて思ったのが、動画の中身がおもしろいというよりは、右側の人物に好感を持てたことだ。
「さみしさにはね、子どものさみしさと、おとなのさみしさのふたつの種類があるんだ。きっときみはいま、おとなのさみしさを知りはじめているんじゃないかな。『さみしい夜にはペンを持て』p27 引用」
子供のさみしさは独りになること。迷子、ポツンとすること。
大人のさみしさは独りになれないこと。社会性を帯びて色々な人の前で色々な自分を演じるようになると、何でもないそのままの自分ではいられなくなる。等身大の自分に私服を着させるような、そんな配慮を自分にしなくてはならない気にさせる。
「ありのままの自分と長年会っていない。たまには一人の自分に出会いたい。(略)自分の言葉にならない思いを言葉にすることで、すっきりする。その具体的な方法として『日記』がある」
これを自分で言えるのは、文学的だ。なのにさらりと流す。停止ボタンを押させないような、朗読する声に素直さや気づき、配慮も載せられている。その私服、脱いじゃいなよ感を、視聴者に気づかせる声。この人の名前は飯田さんというらしい。
一方、左側の人物には、なんだか嫌な感じがする。シニカルな感じというか、ひどく穿った見方(誤用の意味)をしている。
「『解像度を高くする』という言葉は、ビジネスパーソンによって汚染されたじゃないですか。使われすぎて、つまんないですよ。だからこの言葉、あまり使いたくないんだけど……」
って思ってんの、お前だけだろ。
さびれたニュータウンに降り立ち、さびれたとんかつ屋でとんかつを食べた、という話。それをどう話すのかと思っていたら……かなり味付けを濃くしていた。
「やな奴だな」
話し口調も、どうだか。武勇伝のような。文学に金の匂いが付着している。冷笑液に浸した脂っこい料理を食べて、ぶくぶくと心が太っている。声も、そのままの自分でお届けしますといった感じだ。
これは、どういうことだろう。
あ。「ナナメ、なのか」と勝手に合点した。
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積読本の整理をした。
突発的な暇に襲われたのでこれをしたが、これはして良かったと思う。一年ほど前に、積読本の整理をして、読まなそうな本を捨てたはずなのに、結構増えていた。
「なんのために本を読むのか」。ブックオフで見つけた古本だ。
「『なんで本を読むのか』だって?」減らず口が勝手に動いていた。「それは、本を読むのが楽しいからだ!」
ゴミ箱にポイ。まったく、どうしてこんな本を買ったんだか。ブックオフに行くと、古本で安いからポンポン買ってしまう。買うことも楽しいから、積読本が増えるのだろう。なるほどと勝手に納得した。なんて単純な頭なんだ。
そんな中で「ナナメの夕暮れ」を発見した。
これは、今年の五月くらいに読んだものだな。と手に取って、パラパラとページを手繰った。ハードカバーっぽさがあるからか文庫本より表紙が硬く、くびれた形を作ろうとすると嫌がる本の抵抗を感じ取る。紙の厚みもあり、重みもあり。そう重厚感。
これは三振本からホームラン本に変わるという軌跡をたどった珍しい読書体験だった。前半部分はあまりにも響かなくて「どうしちゃったの若林」と思ってしまったが、終盤部分に至ると自分の視点が「ナナメ」だったことに気づいたのだ。
裏表紙寄りのページに、過去の僕が書いたであろう紙が挟まっていた。こう書かれてあった。
「一冊目の続編的立ち位置。直接的に書かれた一冊目と比較すると難しい感じがするが、タイトルを考えながら後半のエッセイを経るとなるほどと思う。冷笑的な見方=ナナメ、四十手前になった年=夕暮れと表現。また、体力的に燃え尽きた年齢=夕暮れとも掛けている。
タイトルの意味が分からないままだと、「一冊目と比べて響かないエッセイ集だなぁ」的な感想になってしまう。終盤辺り(第二章)のエッセイ群が、本の表題と根幹に当たる。
作者は諦念気味というか、ミドルエイジクライシス只中みたいな。立ち位置がおっさんだと自覚したあとの哀愁が漂っているが、それが冷笑的な人と同類だと気づけた感じ。
努力をしている人に対して「そんなのやったって無駄な努力だぞ(笑)」と冷笑する人に対して、
「じゃあお前は何が楽しいの?」とぶつけると何も言えなくなる。そこに焦点を当てて「ナナメ」と表現したエッセイ。
自分のナナメを殺さないと、視点が変わってもナナメのまま見てしまう。楽しいを感じない不感症になる。そうなると、楽しいが歪んで楽しくないものでも楽しいと思ってしまう。それはキツイぞ。ありのままの自分、等身大の自分が見えないんだから。
自分の|表情《ナナメ》に気付き、ナナメを殺さないと、夕暮れになるまで時間がかかるんじゃないか? カバーを取った表紙の意味深な夕暮れ「ナナメの夕暮れ」を見て、過去の自分と重ねていたのかもしれない。」
自分の書いた読了文を見て改めてジンとした。
美しいものをシニカルに捉える人間って、どこか損をしている。美しい夕暮れを美しいと思わず、なぜかナナメに見る……「ナナメの夕暮れ」。
何の紙を使ったのか気になって。ふいとメモ紙をめくった。カレンダーの一部分だった。カレンダーをハサミで切って、裏紙としてリサイクルしている。そうか、あの頃はそんなことをしていたんだっけ。
「うん、捨てよう」
そうやってメモ紙と一緒にゴミ箱へ捨てた。ホームラン本に間違いないが、本棚に取っておく必要のないものだ。それに、当時の記憶を|縁《よすが》にすると、「この本をとっておこうとするな、捨てろ」というメッセージを孕んでいたと思う。
現在時刻を見た。14:52。
夕暮れが訪れるまで、まだ時間があった。次の積読本選定に入る前に、休憩時間を設けよう。
古本を売買したことある人は絶対見た方がいい動画【VALUE BOOKS】三宅書店
https://www.youtube.com/watch?v=t8AsQm1m4l8
【削除覚悟】本屋が潰れる理由を暴露します 積読チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=XQ7XQEFkB6U
日記って書く意味ある???? 積読チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=mtuTqjsFTx4