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笑わなくてもなんとかなる
2025/08/20
私は今、上手く笑えているだろうか。友達は、私の笑顔を自然なものだと捉えてくれるだろうか。
そんな不安を心の片隅に抱きながら、それでも私は笑う。
『サツキは笑顔が似合うよ。』言ってくれたのはお母さんだ。お母さんは、1ヶ月前、死んだ。私が物心ついた時から病気だった。入院と退院を繰り返していた。お母さんは自身が死ぬ直前まで、私が笑顔でいることを望んだ。だから私はそれに応えなくてはならない。辛くても苦しくても、笑っていればなんとかなるよと、そう教えてくれたのはお母さんだった。
「サツキー、こっちだよぅ。」
友達に名前を呼ばれて、私が無意識に立ち止まっていたことに気づいた。休み時間、理科の教科書を抱え教室を移動している。廊下の突き当たりの、理科室の前に立った友達が私に手招きをした。ごめんと笑いながら、駆け足でそちらに向かった。
笑っていないと不安になった。『笑ってる由奈は素敵だね。』私が小学5年生の頃だった。病室で、私の長い髪の毛を編みながら、お母さんはつぶやくように言った。笑っていない自分は素敵じゃないのか、咄嗟にそんな考えが脳裏をよぎったけれど、お母さんは純粋に褒めてくれているだけで、悪気なんてきっとないのだろう。だから私はにっこりと笑って、でしょーと返事をした。
お母さんが死んだ後、ずっと伸ばしていた髪の毛はバッサリ切った。
「放課後、クレープ食べに行こうよ。」お昼休みのことだった。友達が、お弁当の卵焼きをお箸で口に運びながら、そう提案した。私は購買で購入したカレーパンを咀嚼し飲み込んだ後、いいねと口角をあげた。また別の友達も賛同しはしゃいでいた。「青春っぽいじゃん。」嬉しそうにしながら、その友達は空っぽになった自身のお弁当箱を片付けていた。私はなんとなく、その様子をじっと眺めた。
放課後、私たちは制服のままクレープ屋に行った。「サツキは何にする?」友達に聞かれた。「私は普通のイチゴのやつかな。美波と梓は?」「バナナチョコとイチゴで悩んでる。」「私はイチゴチョコかカスタード、どっちがいいかなーって感じ。」真剣にメニュー表を見つめる友達2人に、これはそんなに大事な選択なのかと内心で考えた。
注文したクレープを手に持ちながら、お店の隣のベンチに並んで座った。じりじりと照らしてくる太陽のせいでクリームが溶けてきて、慌てて食べた。やっぱりイチゴにしたら良かっただとか、でもバナナチョコも美味しそうだとか、かき氷もあるんだねとか、そんな会話を私はニコニコしながら聞いていた。私はここにいなくても別にいいのかもしれないと思った。それはなんだか居心地がよくて、私の顔から段々と笑顔が消えていった。マシンガントークをしていた友達たちは、どうしてか少し落ち着いた様子で私をまじまじと見た。「サツキの真顔ってあんまり見た事ないよねー。」見つめられるのはどうも慣れなくて顔を逸らした。友達は逸らさないでよーと笑った。私の話題はそれで終わった。けれども、私の顔にはまた笑顔が滲み始めていた。それはお母さんのための笑顔じゃなくて、きっと、自分のためのものだった。友達の話に相槌を打ちながら、私の心は不思議な充足感に満たされていた。案外、笑わなくてもなんとかなるのかもしれなかった。残り少ないクレープにかぶりついた。