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第9話:【回想】神様のいない神社で
ある年の今、冷静沈着な軍師として知られる蒼の脳裏には、決して消えない「原風景」がある。
それは、雪が降り積もる神社の境内。当時5歳だった蒼は、自分の体に起きている異変に耐えかねて蹲っていた。
幼い彼女の感覚は、周囲の音や情報を過剰に拾い上げ、そのストレスが喉を締め上げる。
親戚たちは「可哀想に」「長くは生きられない」と効率の悪い同情を投げかけるだけ。そんな絶望の中に、その男は現れた。
「――おい、ガキ。そんなに苦しいなら、意識を集中させろ」
見上げた先にいたのは、獣のような鋭い瞳をした男。焚石だった。
「……集中……?」
「お前の意識は、散漫になりすぎている。……俺だけを見ろ。俺の声を聞け。……動くな。俺が『動け』と言うまで、余計な思考を止めろ」
焚石が蒼の小さな肩に手を置き、低く、力強い声で話しかける。
不思議なことに、焚石の隣にいる間だけ、蒼の周りのノイズは一瞬で凪いだ。
「(……音が、消えた。……頭の中が、静かになる)」
それから中2の冬まで、約9年間にわたる厳しい訓練が始まった。
焚石は蒼を甘やかさなかった。重力を無視して壁を駆ける技術、解剖学に基づいた打撃。そして何より、「自分の意志を焚石に預ける」という絶対的な信頼。
周囲の親戚たちは不思議がった。
「焚石さんと一緒にいる時だけ、蒼ちゃんの具合が良くなるなんて。不思議ね」
けれど、蒼だけは知っていた。
自分にとって焚石は、何よりも確実な「拠り所」なのだ。
「……いいか、蒼。お前の名前は『茉莉』だ。……花言葉は知ってるか?」
訓練の合間、神社でお参りをする焚石が不意に尋ねた。
「……知らない。非効率。覚える必要ある?」
「『私はあなたについていく』……だ。……お前らしいな」
焚石が乱暴に蒼の頭を撫でる。その手の温かさこそが、蒼の人生のすべてだった。
「……うん。……私、ずっと師匠についていくよ」
そう答えた蒼の無邪気な願いを、神様は聞いていたのだろうか。
その翌週、中2の三学期。焚石は一通の手紙を残して、蒼の前から姿を消した。
『――お前は強い。もう、俺はいらない』
その日から、蒼の時間は止まった。
焚石という「師」を失った彼女は、再び混乱に侵食され、一時は廃人のように塞ぎ込んだ。
そんな彼女を、無理やり現実に引き戻したのは、あの真っ直ぐすぎる男――梅宮一との出会いだった。
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