公開中
尺度 -第一原稿
ふぅーーっと、険しい顔をして眉を顰めながら、片手に煙草を持ち、もう片方の手ではわたしがつい昨日書き上げ、仮止めした原稿を手に一枚、また一枚とそのまま破れてしまうのではないかと冷や冷やさせるような担当編集者のぞんざいな扱いにも口を出せずにじっと身体を縮めて両手からは汗が滲んで古汚い、学生時代から着古しているズボンの布をグッと握り締めている事くらいしか実際にはできないのだ。わたしは本当に臆病者だ。今、この時だって何日も寝ずに書き上げたこの自身の意地汚さの権化ともなる原稿に、唾をつけて返されてしまった方がまだ、人として超えてはいけない線を越えずに済む事を祈ってしまっている。今日食い繋ぐために必死になって死ぬ気で書こう。と覚悟での決心をしたのに、どうも人とはいい加減な生き物なんだな、と他人事に考える。
ああ、わたしはここまで落ちぶれてしまったのか
と、虚しささえも無い空虚な自身にはほとほと、呆れる。ああ、このままこの原稿が採用されて、出版されそのまま世に出て仕舞えば、わたしはもう二度と地元や母校にも帰ることなどできないだろう。この原稿に登場する人物の名前は、仮名をつけたが、それでもこの話は実際に起きた出来事を元にしたものからの創作物であるので、そのうち特定されてしまうのも時間の問題であろう。
ああ、ここに登場した人物の"モデル"達は今はどうしているだろうか。わたしの母校はそこそこ世間からの評判がよく、そこで卒業した者の就職先は所謂エリートと呼ばれるような立派な社会人となり、この偏屈な世の中に自分から願って貢献しようとする者が多いと聞く。政治家の長男や財閥の跡取りなんかも同級生にはしょっちゅういた。
願わくば、海外に住んでいるか、死んでいてくれればこの原稿が彼等の耳元に及ぶ事はないというのに。
しばらく、ぼーっと目の前の中年の男の口から漏れる害のある煙が、喫茶店の広い机全体を照らす大きなランプの周りに漂う煙を見つめて、タラレバを考えていると、かたんっと編集者のもつ、その吸い殻を灰皿によぉく潰して火を消していた。先程まで手にあった原稿は側にまた乱雑に案の定、束にしておいた筈が、机全体に広がって散らばっている様にして置かれていた。
ああ、またやり直しか。と望んでやまない結果であったにも関わらず、やはりわたしも作家のひとりであった様で渾身の一作が、掃いて捨てるように扱われればそれなりに落ち込むのであった。
「ええ、今回のはとても面白い作品でしたね。先生が今までお書きになられた作品には無い、魅力が今回のこの原稿には溢れんばかりにありました!」
では、何故その魅力に溢れる原稿を軽んじるような扱いを?
「やはり、今回のお話を先生に持ってきて本当に良かった!」
程のいい、売り文句から当てはめるための作家を宛がっただけでは?
「では、修正点の方お伝えしますね」
「っ、はい……お願いします………」
「はい。では、この冒頭ですが表現が回りくどすぎて読みづらい。飛んで、この物語の山場のここの行ですが、先生のお考えあってのこの台詞回しなのかもしれませんが、インパクトが物足りないように思います。もう少し台詞の語気を強めるかした方がその後の展開には、きっと読者の方々にはより一層、釘付けになるでしょう。そして、えぇー……ああ、ここです。ここの序盤の親友の男からの告白ですが、ここの人物だけ、何故名前を明記されないのか、お聞きしても?」
「え!ぁ、えっとすみません。えーっと、あのですね、あーごめんなさい……」
「ああ、すみません。ちょっと色々いっぺんに言い過ぎましたね。申し訳ありません。先程の修正点は追ってまた、メールの方でもお伝えするのでメモとかは大丈夫ですよ。一旦、先生のお考えお聞かせください」
じゃあ、最初からそうしてくれよ
なんて、口から出てくる事など絶対にない、この言葉達は強く胸の奥底へ押し込み、一度、頭を冷やす為、そばにあった氷が半分以上溶けてしまった水を飲み干して、息をつぐ。
「………えー、親友の男の名前の話、でしたよね?」
そうして、相手の顔を伺う様に慎重に視線をおくるとゆっくりうなづいてこちらをじっと見つめ返すので、只々居た堪れなさに押し潰されそうになるだけであった。
「あぁー、実はその人はもう死んでいるんです。」
「………そうでしたか。いえ、あの、最近の先生は何か切り詰めてギリギリを耐えている様に見えていたので………すみません。あの、直接ではありませんが実は同業者から何となくは、ご事情をお聞きしていたので…………」
「どうして今まで、長年こうして共に仕事をしてきた私にはお話してくださらなかったのかは考える由もありませんでしたが、いえ。言い訳がましいですね。先程までの態度には先生に大変不遜な態度になってしまい、申し訳ありません。」
急に白々しく、誠意をみせた謝罪をされては此方も言葉が出てこなくなる。やめてほしい………
「…………いえ、……いつも工藤さんには良くして頂いてましたし、わたしがいうのも何ですけどわたし達の間柄ですから、どうかそう畏まらずにいて下さい。それに、余計な気を回さずにわたしの話を待っていてくれた工藤さんがわたしに謝ることはありません。」
よくも、こうつらつらと言葉が出てくるものだな。我ながら、関心する。
「いえ、私のあの言動は思い上がりも甚だしいものでした。大変、申し訳ありません。…………あの、また厚かましくお思いになられるかもしれませんが、私でよければ先生の身にこの数ヶ月間何があったのか、……っ、お聞かせください………」
こうなる事は予想はしていた。
「ははっ、………ぁー、はい。えっと、わたしは男として生まれて、男として生きてきました。訃報を聞いたのはつい最近の事で、「またうちの出版社で新作を書かないか。」と工藤さんからお話を頂いてすぐの事でした。それでこの話を書こうと決めました。わたしも作家としてデビューして、もう何年も経ち、名が売れても、わたしのこの貧乏性のような生活ぶりは地元にいる頃から変わらずで、実家にいる父にはやくに先立たれた母が、心配になったのでしょうね。………ある時この親友の男が、わたしの元へ訪れてきたんです。「飯は充分に食えてるか?」とか、「お前んとこのおばさんが毎日、何かと心配しているぞ」と最初はそんな話ばかりで、互いに思い出を反芻して、「あの時は良かった。でも、今となっては____」と思い出話を肴に飲み明かしていました。実はわたしは自分が上京する前から少しばかりその男とは、距離をとっていました。親友には変わりありませんが、彼はわたしを親友として見てくれているのか当時のわたしは些細な違和感に敏感で、その不信感に呑み込まれそうてしまいそうで怖かった。だから、この原稿の中盤にある通り……
その数年越しに再会したその翌日に、そこではやはり彼はわたしにある好意。そして男を愛する事を、っ_____それを否定しませんでした………….
わたしはその彼からの言葉や、事実に酷くショックを受けて、彼と絶縁する事を決心して、それまで頻度は多くはありませんでしたが、時々していた帰省もその年からは全くしなくなりました。ですが、今は当時夢に見ていた作家として生活は苦しいですが、仕事をして生きています。そうして長い時が経つと、急に彼の両親から訃報を知り、数十年ぶりに地元へ帰り、葬儀に参列させて頂きました。そこで初めて、彼が家庭を持っていた事を知りました。彼のような同性愛者は、今の時代の様にはどこにでもいる様な当たり前の事かもしれませんが、わたし達の時代ではとてもじゃないが、その存在は物珍しくて…………世間からは弾かれ者として扱われていました。そんな時代に不幸にも、生まれた彼はわたしのこのちっぽけな頭で、おまけに彼の想いから逃げ隠れた臆病者には想像もできない様な苦労があった事と思います。……………」
「そう、でしたか。_____」
「ああ!お気を悪くさせてしまい、すみません。もう、この話は………
「いえ!!いえ、して下さい。………先生のお気の済むまでなさってください!私にできる事はそれをじっと聞く事だけになりますが、先生がこの数ヶ月に経験した全ての事にどれだけ心をお痛めになったことかも、私には想像することも憚られますが、只々、今は先生がお書きになったこの「|真愛《しんあい》なる友人」を読んで、私が今すべき、一番大事なことは先生のお話を聞くことだとわかりました!!」
ああ、そんなふうに言われて仕舞えばもう…………
「っ、………わかりました、ありがとうございます」
---
「_____その彼との絶縁があってから、しばらく人間不信になってしまい、塞ぎ込んでいた時期がその当時、ありました。今となっては、どれほど身勝手な事をしていたのか、理解にすら及びませんが…………
それからすぐには、もうわたしはひとりで部屋にこもって原稿を書いては、資料を読み込んだりと仕事に没頭させて、頭の中で掻き乱れる罪悪感と失望感に内混ぜになった感情を殺すようにしていました。そういう生活が数年続いていくと、その内何作かがヒットして、わたしの名前がそこら中の書店にある作者名の本の仕切りに著名な作家と
五十音順に横並びになっていたのを見た時には、どこか鬱屈とした心がすくわれたように思い、自然と涙したのを今でも記憶に残っています。
その時、気づいたんです。彼を傷つけたことに。
遅かった。その事実に辿りつくまでどれほどの時間がかかってしまったのか。そこから、一つ、また一つ、彼を酷く傷つけた記憶が鮮明に脳にフラッシュバックした。彼に告白された時、わたしは彼に何も言わなかった。何も。ただ、きっとわたしの表情や、仕草には、きっと彼には透けて見えていたでしょう。畏怖と嫌悪が、手に取るように。」
「だけど、わたしはそれに気づいてからも彼に謝る事はなかった。連絡先はその当時はまだまだ、手書きでいることが多かったので、家の奥にある筈の電話番号や住所のメモもありましたが、一度も電話をかける事はなかった。彼の実家に手紙を送ることも。地元に帰る事も、なかった。____最低です。わたしはまた、罪に罪を重ねた。」
「そこからまた月日が経ち、ある人と出会いました。その人は、周りの人間を見下し、驕り高ぶっているような振る舞いを平気でやる、卑劣な最低な人間でした。でも、何故だかわたしはその当時、その人を唯一の親友のように思っていました。今では考えられませんけどね。…………
きっと、わたしに対していつも、素直に本音を真っ直ぐにぶつけていてくれる所が嬉しかったのかもしれません。過去には、その事でお互い傷を負い、癒えることがないまま縁が切れてしまいましたから。」
「ですが、その人とは、数年もしないうちにわたしから縁を切り、今はもうどこで何をしているのかも、わかりません。…………」
「その方が、冒頭にあった方ですね、?」
「……はい」
「その人や地元の親友とはもう二度と、会う事は叶いませんし、それに対して後悔は山ほどあります。その中で最も大きな後悔そして、償い切れない罰がそこからしばらくして、ありました。……恋人ができたんです、同性の。」
「その恋人とはとっくの昔に別れていますが、彼とは今も友人として、偶に会ってお互い楽しく飲んだり、しています。………っその別れた理由には、親友との事も少なからず、関係しています。やはり、わたしには親友をあれほど傷つけておきながら、彼と恋愛関係を築いていく事は無理だった。…………当時から、彼はわたしのよい相談相手であったので、恋愛関係に至る以前に親友との話を彼はよく知ってくれていました。彼をとても愛していた。彼が大事で、彼にとても大事にされていました、__________彼から愛されいる。そう自覚する度に、自責の念に駆られる。もっと、はやく自分の事を知っていれば、親友をそれ以上傷つけなく済んでいたかもしれないのに…………、そう考えてしまい、その内、彼から別れを切り出されました。今となって知りましたが、当時、彼もわたしが傷つけた今は亡き親友を現在進行形で傷つけてしまうわたしに、また罪悪感があったようです。……………」
「_____っ、そうして、彼とは友人としての縁を築いていき、わたしも少しずつですが、人と向き合うことがまた徐々に出来てきた、数ヶ月前に、母が亡くなりました。わたしは、あれからずっと地元との縁も薄く、母の顔も数十年と見ることも出来ずにいたので、突然の事に驚きました。否、突然。ではありませんね。これだけわたしが長い時を生きていれば、親も同じように………
わたしは、とんだ親不孝者です_____」
「「…………………………」」
「せめて、葬儀だけでもと思い地元へ帰る事を決意して、それまでいただいていたお仕事を全てストップしてもらい、身一つで帰りました。………
親族や葬儀屋とも連絡は事前にできていたので、地元へ帰ったその日に母に手を合わす事ができました。………記憶よりも小さな母の身体に、真っ白な白髪、そしてもう生きている人間ではない事がまたわかるようなあの顔を見て、いつまでもわたしを子供扱いし、心配性で眉間に皺がよっていた母が既にこの世を去ってしまっていた事実に重みが増しました。…………数十年、それほどの長い時間が経っていて、母はわたしを忘れないでいてくれました。その証拠に実家に久しぶりに帰ると、わたしの部屋が綺麗にベットや机、箪笥が整っていました。わたしの部屋は日当たりがよくて、部屋にあった家具の殆どが木製だったので日焼けして変色したり、長い時間が経つと、木が腐ってしまう事なんて、珍しくもありませんが、その様子が全くありませんでした。それを目にした瞬間に涙が溢れて膝から崩れ落ちてしまいました。親族からも喪主を務めさせて頂けるようにさせていただき、無事に葬儀や全てが終えてからも、しばらくはわたしは地元で過ごしていました。やはり時の進みというのは大きく、あれほど若者で溢れかえっていた地元も、いまでは全くその影がありませんでした。__________そこには、やはり親友はいませんでした。…………しばらくして、長らくお休みしていた仕事が溜まっていったので、実家にはもう誰も住む事もないので、土地を売りに出す事に親族と話し合いを重ねて決まりました。親族らは、「毎日そこに出向く事は難しいが、手入れはしてやれる」と言ってもらいましたが、何せ、もうみんな若くない。………なので、おもいでのゆかりのある物を限りもあるので写真等を箱に詰めて持ち帰り、それ以外は専門の業者さんに頼んで、という感じでした。
こちらに帰ってからは、仕事三昧で毎日忙しくしていたら、家に親友の訃報を知らせる葉書が届いたんです。それからは__________」
ああ、どうしたものか。わたしは、また……………
「……ありがとうございます。」
「え、_____」
「大変、苦しいお思いをなさったのに、私にお話くださって、ありがとうございます。」
「、っ…」
「恐らく、その親友の方の葬儀に参列される際もうちの出版社以外からも沢山の仕事が回ってきていたでしょうし、………………」
「__何もお力になれずに、大変申し訳ありません。」
「、ああ、いいんです。わたしもわかっていながら、誰にも…………」
…………………………………………………
「いえ、………絶対、無事に出版させましょう!」
「はい。お願いします」