第4話　午後の天気は『首都』

　半年経った平日、｜匠海《たくみ》は再び外に出た。いつもと違うのは友達に誘われたということ。 　友達は午後を指定してきたが、匠海自身、特に何もする予定がなかったので、午前は睡眠時間になった。 　待ち合わせ時間に着くように外に出て、友達に会う。　 「今日はいい天気だな」 　友達は隣に声をかけた。匠海はふわぁ、と大あくびを披露した。 「眠いのか」 「昼まで寝てたもので」 「ああ、学生は春休みか」 「そ」 　隣を歩く匠海は答えた。「でも午後から天気、崩れるらしいけど」 「いや、崩れないよ」　 「そう？　午後の天気は「首都」でしょ」　 　友達は、だからだよ、と呟いた。「「首都」が落ちてくるからいい天気なんじゃないか」 　友達は、匠海の目からすると大人の男性だった。 　紺色のスーツ姿に涼しげな青系統のネクタイ。手にはこれでもかと大きいキャリーバッグをがらがらと引きずっている。 　 「これから出張でもするの」 「そう見えるか？」 　眠たげな匠海を真似るように、友達も目を細くする。 「まあ、高校生から見れば、そう見えるか。今日のために数日休暇を取ってね、いたって俺は旅行のつもりでいるよ。古臭く言えばお前と一緒にバカンスに行く気分だ」 「バカンスって」 　ちょっと引いた感じで匠海はいった。タピオカ通り越してけん玉レベルの古さだ。 　 　さあ行こうぜ、とスーツの友達は匠海の手を引く。特急電車に乗った。 　行き先はＦ県。今いる都心とは真逆の方角だ。郊外中の郊外だった。 　グリーン車に座って駅弁を広げる。通路側に座る友達は、これでもかというほど天気予報士の悪口を浴びせている。 　 　実際、午後の天気「首都」は昨日の緊急速報で流れたものだった。友達の文句はそれをもう少し早く知らせられるだろうという、速さの問題である。 　もう少し前から、少なくとも一ヶ月前から周知するよう予報士の諸君は努力義務を果たすべきだ。全然〝旅行の準備〟ができなかったではないか。　 　そんなことのおよそ９割ほどを聞き流しながら、匠海は移りゆく車窓に目を傾けていた。 　 　終点で降り、ローカル駅から外に出ると何もない大海原が見えた。眼前で青く輝く太平洋。どうして水は、光に照らされると青く見えるのか。 　ここを越えると外国があるなんて、匠海には思えない。何もないように見えた。 「ちょっと上に行こうか」 　友達の案内により散策することにした。 　海全体を見渡せる高いところを目指し、歩く。 「｜F県《ここ》はな、漁業が盛んだったらしい」 　人の住処が死んだ土地にて、友達がひっそりと話を呟き始める。 「見た通り、海が広がっていて、しかも入り江が入り組んだ地形……なんて言ったっけ」 「リアス海岸？」 「そう、リアス海岸。それがあって沖合でも近場でも、魚がわんさか｜獲《と》れたらしい。だから漁業が盛んに行われて、編隊でもできそうなくらいの船の数を走らせて、競い合う、それで獲りすぎてしまった。数十年前には魚がいなくなり、漁獲量が激減。それで、ここは過疎ってしまった」 「バカじゃん」 　それ言うなって、と友達は笑って、 「そこに目を付けたのは政府なのさ。人が減ったってことは土地が余ってる証拠だろ？　しかも規模のでかいことができる。政府は発電所を作ることにした。最近また電気代が値上がりしただろ。昔はもっと高かったらしい。二倍だって言ってたかな。 　だから昔の人は作ることにした。地元の人々の反対を押し切って作った原子力発電所を。ウラン燃料の入った原子炉を冷やしながら発電させるから、万が一炉に一大事が起こったらヤバイけど、この通り過疎っているから危険は少ない。冷却水の確保も、目の前が海だから簡単にできる」 　だが、人間のやること成すこと、綻びがある。大地震が起きたことですべてがおじゃんになった。 　東関東大震災。Ｆ県もその対象になった。原子炉は冷やさないと爆発したり放射線を周囲にまき散らす危険な代物だ。建物が揺れたことで機能は停止し、ウラン燃料を冷やすための冷却水は逆に温められ、ついに爆発した。 　燃料の一部は弾け飛び、きちんと処理されずに目の前の海の底に沈められた。 「……で、海を汚して世界中から非難の嵐。数十年前たった今も水の中で放射線を照射し続けている……やっぱバカじゃん」 「そうさ、人間なんてバカな生物だ」 　 　二人は高台に到着する。 　友達はガードレールにひじをかけ、よりかかる。 　 「でも、今よりマシさ。昔の天気に『首都』なんてなかった」 「それを言うなら『バス』だって、『人』だって」 「『午後の天気は『人』です。ゲリラ豪雨の雨粒のように人が落ちてくるでしょう。』 　……もし、俺たちが過去にタイムスリップして未来人としてやって来て、未来の天気予報士はこんな感じだよ、って言ったら、どんな反応されるんだろうね」 「言えないでしょ。まだタイムマシン、開発されてないんだから」 「夢がねぇな」 　 　さざ波のなかを、一発の銃声のような音がした。 　正体はなんてことはない、プルタブの立てる音。駅の自販機で買ってきた、友達の持つ缶コーヒーからだった。 　ひじが曲がって口とレールとの往復。黒い塗装の路面電車のようだ、缶コーヒーは短い距離をゆっくり往復する。 　 「おまえ、将来の夢が書けないタイプだったろ」 「書いたよ、『早く大人になりたい』って」 「世間ではそれを書いてないっていうんだぜ」 「だって思いつかなかったから」 「お医者さんになりたい。YouTuberになりたい。アイドルになりたい……いっぱい思いつくだろ」 「じゃあ、面倒くさかったから……でいい？」 　適当に呟く匠海だが、友達が答をいった。 「違うだろ。書く必要がないと思ったからだろ」 「だってそうじゃん。医者になるにも、YouTuberになるにも、アイドルになるにも。学校に行かないといけない。 　義務教育から卒業してもそうだ。専門学校？だっけ。それに行かないといけない。仮にドロップアウトしても、学校と名のつく建物に閉じ込められる。学校、スクール、訓練所、〇〇センター……」 　 　閉鎖された空間で同族同士を競わせている。いやだけど、それでも喋らないといけない。 　そのとき人間関係の構築に失敗したり、人間関係のトラブルに巻き込まれたり…… 　 　すると病んで、悩んで。 　悩んで、悩んで。 　悩んで、悩んで。そして降る――匠海は空を見上げた。 「降ってくる。空が、空が頭に語りかけてくる気がして。君が、僕が思い描く｜天国《みらい》なんて無いんだよ、そう言ってる気がして……」 　昔の人たちは空に天国があると想起した。頭の上にはいつも空がある。見上げれば空がある。天がある。だから天国と名付けた。 　天国は本当にあるのだろうか、それが宇宙開発の起点となっただろう。宗教も絡んでくる。宇宙船を打ち上げて、天国を見た。思っていた以上に天国は、｜天国《みらい》は、真っ暗だった。 「ねぇ、人はどうして生きたいと思うの？」 　友達に質問した。無駄な質問、無駄な会話を続けているなと匠海も思う。友達の彼だって思っていることだろう。空になったコーヒー缶を持ったまま、言葉に付き合ってくれている。 　二人は天気が崩れるのを待っているだけ。感情の起伏はガードレール越しに広がるさざ波が消してくれる。 　友達は｜空《から》の缶にもう一回口をつけた。黒い小さなゴンドラの終電が出発した。口よりひじ方面に標高は下がって、永続的に静止する。 「簡単だよ。｜人間《じぶん》が地球の役に立っていると思っているからさ」 「じゃあ、どうして人は死にたいって思うの？」 「｜人間《じぶん》が地球の役に立っていると思ってい｜た《・》からさ」 「同じじゃん」 「一文字だけ違うことをいった。一文字だけね」 　じゃあ逆に聞くけど、と友達。 「どうして将来の夢を書かせると思う？」 「書く必要がないからじゃないの、さっき言ってたじゃん」 「それはお前が書かなかった理由だろ。俺が言ってるのは夢を書かせる理由だ」 「担任の｜自己満足《ジコマン》」 「｜人間《じぶん》が地球の役に立っていると思わせるため」 　友達の後ろで海鳥が飛び去る羽根の音がした。 　あまりに突然すぎて、すこしびっくりする。白い鳥の大群が青い海から青い空へ。きっかけは何かと若干つま先立ちになったとき、友達は両手を広げ、手のひらを見せてくる。缶コーヒーは無くなっていた。 「広いからって、海にポイ捨てはいけないんだぞ」 「そうか？　それは人間だからそう思うだけだろう。 　地球様は寛大な御方なんだぞ。缶一本くらい、どうってことないさ。……さて」 　友達は後ろの白いレールに振り向き、向こう側を見やった。「ようやく天気が崩れてきた」 　みずみずしい水色の空。雲一つない天気。 　そこに、黒い点があった。 　それはとても大きくて、はるか遠くから来た宇宙船のような感じがする。 　 　空島。 　大きすぎる空島。 　 　わくわく感。驚き感。巨大な建造物。あり得ないほどに大きい。 　横はおよそ300km、縦の距離は600kmを超えるだろう。 　およそ9600㎞の長旅。 　時差はこの国より9時間ほど遅れている。 　 　グレートブリテン島。 　つまり、イギリスの首都がある島が降ってきた。 「匠海君にしつもーん」 　社会人の友達は人差し指を立てていた。 「イギリスの首都は？」 「ロンドン」 「せいかーい」 「なめてんの？」 　大陸のような巨大な空島は海に着水した。 　押し寄せる高波。大津波に化け、かつて漁業が盛んにおこなわれた古きよき街並みは飲まれていく。 　潮風がこちら側に吹いてきた。目だけは守った。塩気を含んだ霧吹きのような細かい水滴が私服を濡らす、けがす。 　 　島が隣にできたことで海面が上昇する。二人がいる高台まで上昇した。 　友達は匠海に顔を向ける。そして言った。 「さあ、行こう。ほら、旅行鞄を持って」 「で、どうやってイギリスに行くんだ？」 「そりゃあ、目と鼻の先なんだから」 　二人以外誰もいない空間。 　だから友達は豪快に服を脱いだ。「泳いで、に決まってるだろ」 　 　 　☆ 　 「なあ」 　海面で泳ぐ二人。裸になった一方は｜訊《き》く。 「これ、不法入国になるんじゃねぇの？」 「細かいことは気にするなって」 　友達は楽観的だった。旅行鞄を浮き輪代わりにしてバタ足して進む。 「ポイ捨てされた缶コーヒーのように、プカプカ浮いてればいいのさ。まるで俺たちのようにな。 　だいたい人間だってプカプカ浮いてるだろ、毎日湯船で身体沈めてさ」 「僕、シャワー派なんだけど」 「じゃあ、いい機会だ。なおさら浮けよ。 　知ってるか？　水に浮くことができるのって全部じゃないんだせ。目の前見ろよ。首都だって浮く時代なのに、沈むものがある。特に真夜中になるとな」 「何？」 　匠海はきいた。「それはね、……」 　 　 　キザったらしく言った言葉。 　それがやけにぴったりだと思ってしまう匠海だった。 　 　 「｜男《おれ》と｜女《匠海》さ」