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プリンが減っていた朝
2025/08/25
冷蔵庫の中に入れていたプリンが、1個減っていた。昨日は3個あったのが、今は2個しかないのだ。こういう時、ああこの家に住んでいるのは私だけではないんだと思う。
同居人の姿を見かけることはほとんどない。なので、人なのかどうかもわからない。私は昼間は仕事で外にいるし、夜帰ってきても、同居人はどこに隠れているのか見かけることはない。夜中に小さな物音がしたり、冷蔵庫の中身が減っていたり、そういうことで同居人が生きていることを知る。
同居人はいつの間にかうちに住み着いていた。私は少し前に両親が死んで、この無駄に広い家に1人で住むことになった。最初はもしやこの家は曰く付きなのだろうかと恐怖していたが、害のあるものではないとわかった今では怖くもなんともない。あるいは両親の霊が帰ってきたのかもしれない。座敷わらしとかそういう縁起の良いものなのかもしれない。ならば、無理に追い出すのもいけないだろう。それに同居人はどうやら家の掃除をしてくれているらしい。だだっ広い家中の掃除をするのは大変だったので、たいへんありがたい。さらに、同居人はひとり暮らしでの不安や寂しさを和らげてくれる存在でもあった。姿は見えないけど、誰かがいる。悪い奴じゃない、誰か。そう思うとなんだか居心地が良かった。
私は時折、同居人に手料理を振る舞った。といっても、料理を入れたお皿にサランラップをして、ダイニングテーブルの上に置いておくだけだ。よければ食べてくださいとか、そういう内容の手紙をそっとそえておく。いつも翌朝になるとなくなっているので食べているのだろう。お皿洗いまでやってくれるのだ。
私はそんな不思議な同居人との交流とも呼べないような交流を、だんだんと楽しむようになっていった。
休日の夜、私は2人前の焼きそばを作った。私と同居人の分だった。お皿に盛り付け、片方にはサランラップをした。焼きそばを食べながら、小さな紙にペンで文字を綴った。「良ければ食べてください」。いつもと同じように、それを同居人の方のお皿にそえた。
翌朝、やはりお皿は洗われていた。焼きそばの方も食べてくれたのだろう。ダイニングテーブルの上には、私が文字を綴った小さな紙が置かれていた。そばには鉛筆。どうして鉛筆がこんなところにあるのだろうかと、それに近づいた。紙に私以外の文字があった。「ありがとう」と、おそらくそう書かれているのだろう。決して上手くはなくて、がたがたしていて、小さな子供が書いたみたいな字だった。同居人のものだとわかった。私はしばらく、それを眺めていた。
後ろから物音がして、ハッとした。反射的に振り返った。そこには白いなにかがいた。といっても真っ白ではなくて、少し灰色がかっていた。ふわふわ浮いているようにも見えて、大きくて四角くて、似ているものを挙げればぬりかべだろうか。これが同居人なのだと直感した。人ではなかった訳だが。「あ、おはよう。」若干挙動不審になりながらも挨拶を投げた。ぬりかべ的な同居人はぎょっとした…ように見えた、そしてすぅっと消えていった。
それから、同居人はまるで消えたように存在感を消した。物音もなくなったし、私の作った料理もそのまま。
でも、きっとどこかにいる。私はそう信じている。それは希望や願望なんかじゃない、なにか。