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グッバイ、ドクター 𝟏
「この度は…ご愁傷さまでした…」
「あぁ…!お母さん…!お母さん…!!」
今日も、人を一人、葬った。
「美姫、気にしちゃだめ。遺族の前ではロボットでいなさい。」
「…はい。」
私が働く職場、ラ・サール大学付属病院は通称、墓場の園とも呼ばれている。
山奥にひっそりと建っていて、この病院に入院して生きて帰ったものはいない。
私達が半端な処置をしているわけではない。別の病院から余命宣告をされた人が集まってくるのだ。
新しい患者が来ては、別の患者が消え、また新しい患者が来る。
幸せに、死を迎える事が出来る。だから「園」なのだろう。
当然、そんな患者を相手にしているのだから看護師たちも普通じゃない。
さっき私を励ましてくれた人は鈴木万智さん。名門講道館大学を卒業していて、海外に研修へ行った人。実の親をなくした事がきっかけで人の死と向き合いたくなったらしい。
私は…医者としての王道コースを辿ってきた。勉強すれば、一攫千金。院長をしていた母からそんな話を聞いて医者を目指した。万智先輩みたいに何か目標を持って医者になったわけじゃない。
勉強や地味な努力は得意だったから、楽な人生を送るために医者を夢見た。
中学は普通の地元の学校だけど、先生の勧めで様々な有能医者を輩出した聖アナスタシア学園高校に通い、特待生で講道館大学の看護コースに入学。持ち前の地味な努力で生長大学病院に就職。
医者としては文句ない成績だ。だけど私は生長大学病院を辞めた。
私には向いていなかった。優秀だった。優秀過ぎたんだ。私は。
周りのレベルが低かった。高校と大学で学んできた看護の知識は生長大学病院のルールによって消されてしまった。
『この病院では、ルール通りにやってくれないと困るよ』
『上司の言うことを素直に聞けない子はこれから先どこも雇ってくれないよ?』
上司からのパワハラ、不満が爆発して転院を繰り返す患者さん。そういう悪行は私には向いてなかった。
そこから私は、生長大学病院を辞め、色々な病院を転々とした。殆どが講道館大学に所属していたときのつてを辿って依頼したけど、生長大学病院からの圧でどこも雇ってはくれなかった。
『これから先どこも雇ってくれないよ?』
下っ腹だけがブクブク太った院長の言った事は本当だった。藁にもすがる思いで、最後の病院に面接をしに行った。それがラ・サール大学付属病院なのだ。
「ラ・サール大学付属病院」には関わるな。医療界ではそれが暗黙の了解という感じだった。
私はそういった噂には興味がなかったし、秘密裏に患者さんに酷い事をしているのなら講道館大学なんかが連携するわけない。私の中ではそういった感じだった。
『君、アナスタシア出身なの?聞いてよ、万智!アナスタシアだって!』
『院長、落ち着いて下さい。学歴ではなく実績で雇うんじゃなかったんですか?』
『そうだけど、この子を手放したくはないなぁ…この子は人の痛みを分かってる。患者にだって深くは干渉しないだろう。万智も向いているとは思わないか?』
『思いますけど…面接官はあなたですからね?』『はいはい!』
『君、ごーかく!明日から出勤ね〜。よろしく!』
院長はクソほど明るい人で、働き始めてからも冷たい視線は無かった。
わからない事は私が聞かなくても教えてくれるし、学校では教えてくれなかった大切な知識を吸収することが出来た。
働き始めて1ヶ月目、ついに私はこの病院の闇を知った。
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「岡本さん、院長がさっき探してたよ。」
「院長が?」
「えぇ。なんか深刻な顔してたから重要な話じゃないかしら。残りの仕事はやっとくから院長のとこ行ってきたほうが良いんじゃない?」
「は、はい…」
「失礼します。院長、さきほど万智さんから聞いたのですが院長が私を探していたと…」
「あ〜そうそう。まぁ、君にとってどうやって感じるかわかんないけどね。」
「はぁ…?」
「君には、レッドゾーンの管理をしてほしいんだ。」
私は息を呑んだ。レッドゾーンは余命宣告された人だけが立ち入れる病室なのだ。
面接を受ける前に事前に調べていたら病院の看護師の中でもごくわずかの人だけが立ち入れる病室があると。レッドゾーンの患者は、死までの時間をなるべく穏やかに過ごしたいという考えのもと入院する。一度入院したら次このゾーンを出るのは霊柩車に載せられて移動する。エデンに。
働いてからまだ半年も経っていない私にその話が来るとは思っていなくて中々返事をする事が出来なかった。
「ただね、僕も皮肉な院長じゃないんだ。君にはここで働く権利がある。お金をもらって、それ相応の仕事をする権利がね。だけど働き手にも選ぶ権利はあるんだ。なにか嫌なことが合って辞職届を出すように、配属されたくない箇所を選んで断る権利は君にはある。それを断ったとしても何もならないという保証はしよう。レッドゾーンはいわゆる|そういう《・・・・》場所だ。この意味、アナスタシア出身なら分かるだろう?さぁ、君はどうするんだ。」
意味――私が最期を見送るんだ。私にはその覚悟があるのか。必死に世話した人が消えていく。その覚悟があるのか。院長はそう言いたいんだ。私は人を看取ったことはない。
勉強、勉強でただひたすら机にかじりついていた。
人の悲しみ、痛み、苦しみ、幸せ。そんな感情は教科書には載っていなかった。だから、知ろうとしなかった。知った所で試験に合格するわけでもない。知った所で私が得する事、そんなものはなかった。どこにも。それで損した事は一度もなかった。
ただ、それだったら私の生きる価値はあるのだろうか。逃げているわけじゃない。レッドゾーン配属に動揺しているのは私の利用価値が今の所見出せていないのだ。レッドゾーンに入ってより場を乱してしまったらもうここに居場所はない。最後の砦、ラ・サール大学付属病院からも消されてしまう。その恐れがあるから断ってしまいたいと思っている。でも、頭の片隅ではそれを拒否している意見もある。雇ってもらえたのはここだけで、その恩はいつ返せば良いのかちょっと考えていた。この病院が廃院の危機になったときのために働いて稼いだお金はあまり手を付けないようにして質素な生活を送ってきた。その「いつか」まで私は何もしないつもりでいるのか、それはちょっと違うのではないか。
「分かりました。私はレッドゾーンの配属を希望します。」
1%の考えが、これから先人生を大きく変えるきっかけとなる事を私は確信していた。
「その目は割りと真剣そうだね。この先、私が手続きをするが君はもう元には戻れない。怖い怖いって泣きついても辞職補助金は出ないぞ。それで本当に良いのか。」
「…お金目的でここに来たつもりはないです。なのでお願いします。私をレッドゾーンに行かせて下さい。」
「そうか。分かった。手続きはこちらでしておく。明日には出来上がるだろう。印鑑を押したらその瞬間から君はレッドゾーンの人間だよ。これから、よろしく頼むよ。」
「はい。よろしくお願いします。」
人生の分岐路立った私は、今この瞬間、光が指す方…ではなく暗黒のオーラが出る道へ進んだ事、それを知っていた。