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五
辺りはシン、と静まり返っていた。レオの動きは固まっていて、自分の体も|強張《こわば》っていて、まるで時間が止まったかのようだった。
ガチャン、と何か硬質なものが落ちる音がした。ハッと顔を上げる。
レオがゆっくりとこちらを振り向いた。まるでスローモーションでもかかったかのようだった。
「———せろ。」
「え?」
地べたを這うような声だった。泣いているかのように眉根を寄せて、怒っているかのように口元を歪めて。
彼は、私の瞳を見た。
「———今すぐ失せろ。」
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「どう……しよう……」
レオの住み家がある店の前の路地をうろうろしながら、頭を抱えた。
まさかあそこまで怒るとは思わなかった。見たこともない顔だった。
「……あれ?」
聞き慣れない誰かの声と、ジャリ、と音がして、顔を上げた。
「どうかしたんですかい?」
若干頭頂部の禿げた小太りのおじさんだった。淡く光る街灯に反射して剥き出しの頭皮がよく見えた。自転車に|跨《またが》って、片足を地面についている。ちょうど困っていたので、ほっとした。
パタパタと駆け寄ると、おじさんは「……ありゃ?」と首を傾げた。不思議に思っていると、おじさんは じっと私の顔を見て、口を開いた。
「もしかして、セナさんです?」
「……え?」
———セナ。私の名前だ。
でもどうして、この人がそれを知っているのだろう。この人とは、面識はないはずだ。
「レオさんと会ったんですかい?」
戸惑いながら、でもどう聞くこともできず、頷いた。
自転車に跨ったまま、顎に手を添えて 何か考える素振りをする。少し間があって、おじさんは自転車から降りた。
「はぁ、なんとなく事情は見えました。こんな見た目ですが、私はこの店の店長をしておりましてね、レオさんのことは色々と知っているのです。」
自転車を引きながら、店の出入り口まで歩いていく。慌ててついていった。
「こんなひしゃげたオッサンのところで良ければ、泊めますよ」
なんとか凌げたようだった。
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それ以来、レオと会うことはなかった。
レオと出くわすこともなくなったし、私のほうからレオに会いに行くこともしなかった。
それでもずっと気になって、今、レオのいる店に行くためにこうして道を歩いている。
魔法を使ったほうが早く着くが、なんとなく使う気になれなかった。
ぶらぶらと歩きながら、空一面に広がる青を見上げていた。
店は いつかのように、そのままあった。
ギイ、とドアノブに手をかけた。
チリンチリンチリン、という鈴の音色とともに、「いらっしゃいませー」と間延びしたような声がする。
聞き覚えがある。———レオだ。
私が声の主を探り当てるのと、彼がこちらを見て目を見開いたのと、ほぼ同時だった。
「レオ、」
切り裂かれたような傷跡の残る瞳をじっと見つめながら、私は彼の名を呼んだ。
幽霊でも見たかのような表情で、レオは手を止めて、目を見開いて、じっと私を見ていた。
「……セナ。お前、」
氷が溶けるような緩慢な動作で、レオは手に持っていた品物を棚に戻す。
「……こっち来い」
そう呟いて、レオは顎で裏口のドアを示す。そのまま向かっていき、私もその背中を追いかけた。