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12 惑
第12話です。
番組収録がなされる一か月前、丑三つ時の、祠の前にて時は遡る。
≪ふーん、〝じゃらくだに〟さま……ね≫
〝じゃらくだに〟という言葉を耳にすると、彼はまたも一段階強さが増したような気がした。
彼はすべてを知っているはずだ。ここの成り立ちも、オンボロの祠がある理由も。数百年前、数千年前と、人々が死に、失くなりかけている歴史の一片でも、昨日のことのように思い起こすことができる。
実体のない風。だからこそ霧の集合体に〝化けて〟、彼は記憶し、紡ぎ出すことができる。
彼の表情は見えない。でも、どうやら口元をゆがめ、にやりとしている気がした。
≪君が〝じゃらくだに〟……ねぇ?≫
「教えてくれないか?」
昔を懐かしむようにつぶやく彼を見据え、聞いた。ぼくは何も知らないから、彼から聞くしかない。
「〝じゃらくだに〟について」
≪ククク……≫
彼は笑った。
≪――あはは≫
そして笑った。
……ぼくは戸惑った。
≪――あはははは!≫
出来の悪い三題噺よりも速い速度で高笑いを上げる。ぼくは当惑する。そしてヤバイ、と憂苦の感情を覚える。周囲の風の支配領域を拡大する。調節つまみを一気に回した感じと言った方がいいだろうか。
これ以上酷くなると、祠が吹っ飛びそうだ。
「お、おい! なんで笑ってんだよ!」
≪アハハ、そりゃ笑いたくもなるよ。なんだアイツラ、また新たな呼び名を作ったの?
じゃらくだに? アハハっ、何それ。誰のことを言ってんの? ほんとにさー、勘弁してくれって。前の呼び名を忘れたからってコロコロ変えちゃって。言葉遊びかよって。崇めて、捧げて、今度は言葉遊び? プフ……≫
ツボが一周回ったらしい。風の勢いも若干だが少し落ち着いた。ほんの少しだけだけど。
≪はー、面白かった。あ、何? じゃらくだにについて? いいよ、教えても≫
「オイ、今『誰のこと?』って言ってたじゃないか」
≪そう、『誰のこと?』状態だよ。俺も、知識としては今の君と同じくらいさ。
だから教えられる。〝いない〟んだよ、そんな奴≫
頭蓋骨から疑問の針が射出する勢いで噴出する。
どういうことなのか分からない。
≪なんのことか、分からなそうにしてるね≫
「当たり前だろ、なんなんだそれは。人間たちは存在しない神を崇めてるってことなのか?」
≪うん、まあ。大方そういうことになるね。まあ、正確に言えば、そういった神を求めているから、自らの空想上の神〝じゃらくだに〟とやらを作り出さなくてはならなくなった……のほうが近いかもね≫
「はあ?」
≪人間たちにも事情があるってことなんだよ。ああ、俺には手に取るように解るよ。数百キロの深海から有るわけない宝石を見つけるような手腕さ。あの手この手で、猫の手でも神の見えざる手でも使って空想上の神を創出するんだから。
……まあ、話がそれるし無駄話はこのくらいにしておこうかな。それよりも先に、君には伝えなければならないことがあるしね≫
「伝えなければ、ならないこと?」
≪ほら、神様って予言できるでしょ≫
いつかの「ほら」構文を使う。「たしかに、予言はするけどさ……」
≪近いうちに。俺の予想――予言だと、そう……今から二か月以内に、君は燃やされることになる≫
ぼくは素っ頓狂な声を上げた。
「燃やされる?」
≪そう≫
「誰が、誰に?」
≪形あるものいつか壊れる≫
彼は意味深なセリフをぼくに吐いた。
≪知ってる? この言葉。古来から伝わる諸行無常の原則だよ。茶碗を使い続ければ使い続けるほどに壊れやすくなるだろう。新品なら一回落としてもちょっと欠けるだけでびくともしないものなんだけど、使い込んだものを落とすと真っ二つに割れて使い物にならなくなるだろう。これはどうしてかっていうと、時間が経つにつれて形を保てなくなるからなんだよ。
この祠もそうさ。今はまあ、ぎりぎり形を保っているけど、木自体は多分空洞で、おそらくどうにか保っている状態なんだろうね。もう数年もすれば朽ちて、ひとりでに壊れてしまうだろう。だから、
「形あるものいつか壊れる」なんだ。
自覚はないだろうけど、〝君〟もそうだし、おそらく〝俺〟もそう。
だから〝人〟もそうだし〝神〟もそうだ。じきに動かなくなり、形は崩れて土に戻らなければならない。そのために、つまり、自らの身体を捨てるために火にくべる薪のようにされてしまう。茶碗も祠も、君もすべて炎を通って土に還る……。
いつか、その時を迎えなくてはならない。それは知ってるよね、多分、前世の君もそれを経験してきたんだから≫
「おそらく、ね」
正確にはその記憶はない。前世は人間だったらしいぼくの肉体は、燃やされた時点で脳死状態なのだから、痛覚も記憶も持っていない。
でも、前世が人間だと仮定するなら、それを経験して、この身体に転生してきたことになる。だからある種「そうなるだろう」という光景を再現することは今のぼくでもできる。
「でもなんでぼくが……」
≪そりゃしょうがないよ。「材料は揃っていた」としか。……なんとなく、先がわかると思うけど、続けてもいいかい?≫
ぎこちなく、ぼくは声をあげる。「続けて」
≪はいよ。人の世界での|弔《とむら》い――|荼毘《だび》にふすとは、つまり炎に|還《かえ》るということなんだ。君だってそのうちそうなるだろうね。人形だって人の手で作られたものだから、いつかは役目をはたして荼毘にふす。ただ、今回ばかりはそうした「荼毘にふす」といった通常の処理ではないだろうね≫
「人間たちはぼくを……〝呪いの人形〟として利用したいから」
この地に現れた人間たちは奇怪な服装をしていた。水色に包まれた統一性のある衣服に顔パンツ。どう見ても〝普通の神経ではない〟。顔パンツ姿で生活するだなんて考えられない。そして、持ち運んでいた三脚とぼくに向けられたカメラレンズ……
彼は≪そう≫と言って、話を続けた。
≪彼らの作った〝じゃらくだに〟さまは空想上であり、架空の神。この世には存在しない。だから、「作った人間以外」からすると、〝じゃらくだに〟などというものは、存在しないので信じられない、ということになるよね。だから信じさせるために|奸計《かんけい》をめぐらすのさ≫
「人間ってほんとにめんどくさいね」
≪未だに受け入れられないからね、自分たちが無知でありながら、無力であることを。だからこんな訳の分からない回りくどい理屈が出来上がるのさ≫
〝じゃらくだに〟は見えない産物、こうなって欲しいというべき人間たちが望んだ想像の元で生きられない虚構。見えない器、代物。
なので見えるように、具現化した器に移し替えないといけなくなった。彼らはそれを探していた。分かりやすい形であればなおのこといい。〝じゃらくだに〟が現世に降臨した姿、依代、化身……禍々しい存在としてふさわしい服装。いくつか言いようがあるだろうけど、つまり、ぼくが巻き込まれ、それに「選ばれて」しまったのは、ある種の悪運が強かったためなのだろう。
≪続けるよ。〝じゃらくだに〟として利用された後、君は処分されることになるだろうね。普通の人形ならば最終的に燃えるゴミとかになると思うんだけど、君が行くべきところはそうじゃない。何といえばいいんだろうね、『人形供養』と言われるんだろうね。
供養の火と呼ばれる神聖な炎で身を焼かれ、生涯を終える。でも、それだと悪霊として転生し、再び悪さをするかもしれない――と人間たちは勝手に思ってるだろう――から、その前には|綿密《むだ》な行事を挟むだろうね。儀式という奴だ。
ほら、人間だって身を焼かれる前に変な儀式をするだろう? 通夜だとか、告別式とかさ。今の人間たちの大半だって、なぜそのようなことをするのか分かってないはずだよ。昔からそのようなものをするという刷り込みが完成しつつあるからさ。
だからそのような、呪いを解くための儀式として長い時間かけて祈祷、聖水、お祓い云々をやることになる。それをすることで解呪して〝やった〟気分になるんだろうね。で、なぜかそれで終わりじゃないんだよね。最後には「屠らなければならない」と考える。
魚の小骨のような僻地に行って、どう見ても普通の炎なんだけど、それを神聖視している宗教的じみたところに行き、人々の期待に即した最期を迎えることになる。……そんなとこかな≫
「そんなの、嫌なんだけど」
≪その気持ち、わかる。大いにわかるよ。でも君は迎えなくてはいけない。それが君の〝本来〟の運命だから。人形としての宿命だと言ってもいい。そもそも人形とは文字通り「人の形」だからね。
今でこそひな人形として子供たちに好かれるための道具なんだけど、もともとは口減らしされた赤子が起源だよ。赤子を川に流すことで、村の邪気や穢れを持っていってほしいと|人身御供《ひとみごくう》的に願ったことが源流さ。
人に降りかかる者たちを救ってやるため、身代わりとしてつくられたのが起源なんだ。だからね、人々に「あなたは呪いの人形だ」と言われたら、そのようになるしかない。これはしょうがないことなんだよ≫
そんなことを言われて「ああ、そうですか。じゃあ諦めて焼かれます」と言える人形なんているだろうか。
そんな風にぼくは生きてきたわけじゃない。ここに来たのは誰かに棄てられたからだ。だったらその時点で燃やしてくれればよかっただろう。なのに、ここに来た時点で、ぼくは終わっていたというのか?
じゃあ何のために、彼と――
≪――というのが、善神としての助言方法になるんだろうね≫
「……え?」
ぼくは素でそう返した。そして、≪えい≫
という呼びかけとともに、ぼくの近くに空気のを感じた。ちょっとだけ痛い、矢を受けた感じ。
≪えーっと、こんなもんでいいんだったけな。忘れちゃったよ、久方ぶりすぎてかけ方なんて≫
「え、なに。なにをかけたの?」
≪ん-、なんていうんだったっけ。それすらも忘れちゃったよ。うーん、『風のいたずら』?≫
「おい」
≪あはは、まあ古くさい呼び名なんてこの際いいじゃないか。ねぇ、〝じゃらくだに〟さま≫
ぼくがキッと睨みつけてやるが、実体がない分どこにいるのか分からない。動かないので分からないし、彼の表情も。
でも……
≪しっかし面白い展開だねぇー。これじゃ『あの時』と一緒だよ。あはは≫
ぼくからすると、彼はどこか|愉《たの》しんでいるように映った。霧の粒がこすりあって、風とまじりあってざわざわと騒いている。
≪まえに俺の昔話、話したよね。『日照りで田んぼの水が無くなって、今か今かという存亡の機だった矢先に、嵐とともに恵みの雨が降ってきた』。それがこの祠が建てられるきっかけだったって。だけど、その嵐ってのは俺がやったことなのに、あいつは手柄を横取りした≫
「……それが?」
≪今回も同じなんだよ。君も「横取り」したんだ。
ククク、人間たちが、どういう風に繋げてくるのか、手に取るようにわかってくるよ。多分、先の洪水と繋げて、君の仕業だと彼らは本気で思ってるだろうね。で、利用しようとしている。あの洪水、やらかしたのは君じゃないのにさ。まったく……
ああ、癪に障るね。|ほんとうに《・・・・・》≫
「ほんとうに」と言った途端、辺り一帯の雰囲気が変わった。嵐から一気に暴風域となり、建物から悲鳴が湧き起こる。地面に落ちたヘドロはすべてそぎ落され、空中の、唯一の逃げ場所である月明かりの隙間からこぼれていく。
ついでに寝ずの番をしていた人間たちも、べしべしと壁に頭を打ちつけている。あれは……、うん。死んだだろうな。
違うところに目がいったぼくの|傍《かたわ》ら、彼は威厳よく言った。風の神のように、透き通るような|声音《こわね》で。
≪……ああ、そうさ。俺は〝悪神〟側なんだ。
なんだい、その「人の身代わりとして死ななくてはならない」なんて。人間たちの代わりに死ぬだなんて。洪水が起きて人々が死んじゃったんだから代わりに死んでって言ってるようなもんだよ。
それをしたって無駄なのに。『二年後に再び起きるというのに』。なすりつけるのってどうかしてるよ、その文化。今まで忘れ去られたんなら、そのまま忘れてくれよ。大昔のことを今、掘り返さないでいただきたいね。
だから、人間たちにお仕置きしてやりなよ。その〝力〟で、びっくりさせて、君も晴れて〝悪神〟側さ≫
|空谷《くうこく》の|跫音《きょうおん》とは、このことを言うのだろうか。
どうにか耐えている祠とともに、ぼくはその荒れ狂う狂|嵐《・》を眺めていることしかできなかった。