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未来線を上って
今日も、ルーティン化された生活を送る。
去年までは学生だった僕も、今では新社会人だ。
学生の頃は、未来へがむしゃらに走った。
照らされたまやかしの道に進みそうになることもあった。
つらいことも多かったけど、たくさんの楽しいこともあった。
過去がこんなに狂おしく愛おしいものだなんて、僕は知らなかった。
四年前の10月21日までは。
街を歩いていて心がときめく目に映るものは、僕たちが学生の頃生きていた世界でやり残して途方に暮れて、叫んで引き裂いてしまった未来地図だった。
あの頃は楽しかった、などという大人を僕は幾度も見てきた。
そのたびに、大人のが楽しそうなのになぁ、と思っていた。
でも、大人になってみて思い返すとあの頃はよかったなぁ、と思ってしまう。
葵は、あの頃はよかったなぁなどと言うだろうか。
あいつは、今を精いっぱい頑張っていた。
学校生活、部活、僕と一緒にやっていたバンド⋯⋯⋯あいつはいろんなことに挑戦して、失敗しても笑っていた。
僕の時間は、4年前から一つも進めていない。
葵ならどうしただろう。
僕と同じように進めないのだろうか。
それとも、しっかりと自分を貫いてまたいろいろなことに挑戦するのだろうか。
たぶん、後者なんだろう。
あいつはそういうやつだ。
どれだけ傷ついても前に進むことができる。
でも、僕はできない。
僕はあの日から一歩も進むことができない。
4年前の10月21日、当時付き合っていた僕と葵は、手をつないで帰路をたどっていた。
僕の家に向かう道と葵の家に向かう道が分かれる場所で、僕たちはいつも通り手を離し、各々の帰路についた。
それが、間違いだった。
そのときの葵の「じゃあね、また明日」が僕と葵が話した最後の言葉だ。
葵は、信号無視をして横断歩道に突っ込んできた大型トラックに撥ねられて死亡した。
葵は17歳だった。
もし、僕があの日家まで送っていたら、手を離さなかったら、そんなことばかり考えてしまう。
葵の「おはよう」がなくなり、僕の時間は葵の死から止まっている。
どうして、また明日って言ったじゃないか。
週末には受験の息抜きのデートにでも行こうって話していたじゃないか。
ずっと、葵のことを考えていた。