公開中
天才ちゃん!1
「あの子、気持ち悪いわ…」
私は、そう言われてきた。もちろんそれを言っている人は私に気づかれているとは思っていない。気づかれてもいいとは思っているかもしれないけど。
私がそう言われる|所以《ゆえん》は、2歳のとき。
私がお母さんに絵本を読んでもらっている時に、文字を読めるようになったことから始まる。
「もうママは読まなくていいよ。」
多分そう言ったんだと思う。理由を聞かれて、自分で読めるから、と言ったら驚いた顔をされた。
そこからお母さんは私がまだ読めない、漢字の入った本を読み聞かせてくれ、また同じ事を言い…3歳では大抵の本を読めるようになっていた。
最近の本は大抵難しい字に送り仮名がついているから、あまり多くの漢字を知らなくても、基本的なものさえ知っていれば読める。
それ以降、お母さんは読み聞かせをしなくなった。
今は、お母さんに悪いことをしたなって思ってる。
また、幼稚園では、絵を描く時間がある。
私もはじめは見るに堪えない絵だった。
しかし、1ヶ月くらいハマっちゃうと、普通にかけるようになっていた。
もちろんそれは見たものそっくりで、独創性などがあったわけではない。
先生にこういうふうにしなさい、と言われれば、多少実際の形をゆがめても、そのとおりにした。多分、その方がいいのだろうから。
そうやって描かれた絵は、幼稚園児が作るには、出来過ぎていた。
習い事もした。
水泳、歌、ピアノ、そろばん、くもん、卓球…
月に2,3回しか行かなかったけれど、楽しかったし、実力もあった。
また、話は運動にもいく。
私はドッヂボールも得意だし、縄跳びも得意だし、逆上がりもできた。フラフープもホッピングも得意だった。こま回しも得意だ。
だから、みんながどこで困っているのか分からなかった。
…私ができたのは、見本を見せることだけだった。
それでもみんな純粋だったんだろう。
私を褒めてくれた。すごいすごい言ってくれた。
私もまだその頃は純粋で、誇らしく思っていた。
…その場所は、居心地が良かった。
しかし、何を思ったのだろう、両親は、私を受験させた。
遠い学校に。しかも、まあまあ偏差値が高い学校らしい。
そろばんとくもんのおかげか、普通に受かった。
両親は新たな仕事もちゃんと見つかったのか、引っ越した。
小学校は、正直言って、つまらなかった。
テストで百点は余裕で取れるし、他の人も取っている人が多かった。
あと、みんな私に話しかけてこない。話しかけたいな、と思う子がいても、嫌われてるかも、と思うと話しかけづらい。
だから、みんなが楽しく遊んでるのを見ながら、私は近場の美術館や博物館、科学館に水族館、動物園、植物園など、いろいろ通った。
今も、その知識が生きているのを実感できる。
中学は、寮にした。
親の前だと、少し息苦しい。多分、幼稚園のころから見られているから、変化を見せて、失望されるのが怖かったんだと思う。
受けたのは、小学校の先生に勧められたところ。
首席だったから、先生は私でも余裕で受かるところを勧めたんだろうけど、ここでも日々はつまらなく、行事では、自分ひとりでやったほうがはるかに効率がいいと歯噛みし、放課後は、いろんなところに行った。
小学校の時と別の都会だったので、また色んなところに行って、知識を蓄えていた。
高校も、中学の先生に勧められたところを受けた。
またまた首席だった。中学の先生も、どうやら余裕で受かる高校を選んでくれたようだ。
中学に近く、ここは親に頼んで下宿にしてもらった。
寮だと、ルームメイトの人と全然喋らなくて気まずいから。
そして、今。高校3年生のはじまり。私はそこにいる。