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Um
やはり、ダメな人だと思う。
自分よりも下の人間がいると安心する。
上にいる人は落としたくなる。
悪意は平気で言うけれど、他の人が悪意を吐くと中和したくなる。
“元気付ける”が“慰める”になってしまう。
一つ一つの言葉が余計もので、うまく伝えられない。
尋ねられれば、つい正直に答えてしまう。
咄嗟に出るのは、頭の中の言葉そのまま。
言われたこともすぐにできない。
自分と同じくらいの人が、自分よりも称賛されていると妬ましくなる。
それでいて、そんな人を見ると醜く思う。
何よりもミスが許せない。
自分にミスが現れた時、何をするのかわからない。
何をしてでも、そのミスを埋め立てて隠してしまおうとするだろう。
恥をかくのが怖い。
追いつかれるのが怖い。
追い抜かされるのが怖い。
一人になるのも怖いけれど、一員になってしまうのも怖い。
でもやっぱり“輪の誰か”は疲れるし、笑いが辛くなる。
人との相対は楽しくありたい。
そのために私はできうる限りに頑張る。
けれど相手は答えちゃくれなくて、私の善意を裏切ったと憤慨してしまう。
でもそんな辛くなる自分が特別だと思う節もあるのかも知れない。
自分だって理解できていないのに、理解できていない見栄っ張りを嫌悪する。
1番の見栄っ張りは自分なのに。
自己陶酔する人間が嫌いだ。
無学な人間が嫌いだ。
無神経な人間が嫌いだ。
一人芝居の役者は嫌いだ。
同族嫌悪でしょう。
本当のことを言っているのに、信じてもらえない。
自分だって人の子だ。
でも悩みを抱える自分を感じて自尊心を満たしている。
だって、自分は積み上げることが得意じゃないから。
“だって”“でも”が多いから。
人の所為にはできないけれど、心の中ではしたくなる。
誰かからの熱烈な賞賛がなくては生きていけない。
けれど人に評価されるのは怖い。
自由が何よりも欲しい。
けれど自由になれば生きてはいけない。
檻の中の蚕のように、人に管理されていなくては一月も生きられないだろう。
自主性がない。
わがままだ。
自立できない奔放な者とは、なんてタチが悪い。
全く、どうして欲しいのだろう。
認めて欲しい?
偽善が欲しい?
やっぱり人の手がないと生きていけないのだ。
喜劇名詞と悲劇名詞なんて存在しなくて、全部全部単調なモノローグで。
例えばこれをタイプするたびに、自家製の言葉の一つ一つに酔っている。
自画自賛してなきゃ生きていけない。
自嘲自慰してなきゃ生きていけない。
──そうでしょう? あなたは。
本当にあなたは醜い。
けれども、『そんな最低なあなたの、手の一つに私はなりたい。』
……これでいい?