公開中
一 車窓
深夜まで残業をしていた。都会のビルのジャングルの一角を担う小さな雑居ビルの五階でついさっきまで画質の悪いパソコンのディスプレイを覗き込んで難しい顔をしていたりしたけれど、頭は空っぽのままなのだ。
がた、と鈍い金属音と共に電車はホームを出発した。こんな時間に電車がスーツの大人で混み合うこの国はいよいよ終わっている、そんなことが頭を過ったので急いで目を閉じる。考えても無駄なことは考えてはいけない。
がた、ごと、と規則的な線路の振動が萎れた身体に響いて心地良い。窓の外の暗闇に浮かぶ蛍光灯の看板や明るい街灯は一つずつ民家の優しい灯りに変わっていく。電車はニュータウンの真ん中に作られた大きな駅にのろのろと停車した。車両の扉が機械的に開くと無表情な労働者達がぞろぞろと下車していく。座席は沢山空いたけれど座らなかった。車掌がもごもごと聞き取れない台詞を口走ると、電車は再び発車する。
がた、ごと。寂れた町外れに近づくにつれて民家の灯りが乏しくなっていく。一人、また一人と乗客は減っていった。
がた、ごと。真っ暗な窓の外にはきっと田圃が広がっている。時折暗闇に浮かび上がる電話ボックスの光には蛾の大群がが集って、一つの悍ましい生物のように蠢いている。
最寄り駅はとっくに過ぎていた。掌は握る吊り革と溶接されてしまったかのように動かない。もう乗客は誰も残っていなかった。
がた、ごと。終点もとっくに過ぎているはずだった。身体が鉛のように重くなって、脚が床にゆっくりと根を張る。
瞬きをすると、車窓の外は真っ白だった。光の眩しい白さではなく、新品の画用紙のような平坦な白で景色が塗りつぶされている。窓枠の境界線が段々とぼやけていって、車窓がこちらへ迫ってくる。目を凝らすと、白い画用紙に細かい螺旋が丁寧に施されていた。
麒麟が来たらしい。