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願いすら叶わない悲しき死神
実際に存在する偉人だお
誰か当ててみてね
1739年2月15日,僕が生まれた
この時の僕は想像もしていなかった
数多の血を流しながら生きた『死神』となる,悲劇を
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16歳の時,初めて人を殺した
否…処刑した
父親の急病のせいだった
静寂な処刑台に風が鳴り響いた
あの日の事は忘れる事も出来なかった
僕は学校にもろくに行けなかった
たった2年で処刑人と言う家系が知られ,僕がどんな目に合ったか
何度も『死神』と呼ばれた
どこの学校も僕を受け入れてはくれなかった
どの親も,子供も,僕を嫌った
だがきっと当然の事だったのだろう
八つ裂きの刑や車裂きの刑,そんな残忍な拷問さえもやっている家なのだから
僕だって父がそれをやっている姿を何度も見てきた
それは言葉にできない程、残酷なものだったのだから
そして僕も初めての刑から2年後、とうとう八つ裂きの刑を|行《おこな》った
どれだけ大きな罪を犯したと言えど,同じ人には変わりないはずなのに
何故こんな刑が生まれたのか,僕には分からなかった
幸いにも、これが最後の八つ裂きの刑となった
だが僕達は有一人の役に立てる事もあった
それは医学だ
父から受け継いだこの家業は幅広くの人を治療する事が出来た
庶民には無償にする,それは僕のモットーだった
いくら貴族のような暮らしをしていたとは言え
その時代はあまり余裕が無かったが、人々が喜ぶ姿だけでも嬉しかった
中には僕達の医療を呪術だ、と言う人もいた
僕の職業柄、その不気味なイメージによるものからだろう
しかし少なからず治療を受けた方々には、信頼を得る事が出来たようだった
一人の国民として国王を敬愛する
それは当然のこと
彼らは僕を軽蔑し嫌わなかった
だから僕は彼らに「より人道的な処刑方法」を考案した
そして出来たのが人道的を最大限に突き詰めたアレだった
だが時代は僕に平穏というものを許してはくれなかった
アレのお陰で僕が多くの人々を処刑するという事になったのだ
そこから舞い降りたのは恐怖政治
少なくとも僕にとっては最悪な日々だった
1793年1月21日,国王を処刑した日
何故貴方が死なねばいけなかったのでしょうか
何故あなたが考えたこの道具で殺さねばいけないのでしょうか
何故僕が処刑を行わないといけないのですか
貴方は僕達のためを想ってくれていたというのに……‼
冷たい世間だった
好きに怯え,容易く殺せと言う
簡単に死ねと言える世が恐ろしかった
僕には人権が無かったのだろうか
ミサを挙げるだけでは何かが物足りない日々を過ごした
恐怖政治は僕にとってストレスでしか無かった
目眩,幻覚,耳鳴り,手の震え
全て僕の身に起きた仕事へのストレスによるものだった
辛くても逃げ出せない
それを地獄と呼ばずして何と呼ぶだろうか
そんな中,次に僕が担当したのは一人の女性
元恋人だった
だが彼女は国王たちとは違う行動を起こした
泣き叫び,命乞いをしたのだ
その様子には見物しに来た国民達でさえ心を動かした
当然僕も動かされた
そうか,そうだったんだ
皆こうしていればこんな事にはならなかったのだ
きっと早く終わっていた…今更遅いじゃないか
僕は耐えきれずに息子に仕事を押し付け処刑台から逃げた
僕は何をするのが正解だったのだろうか
今までのように処刑を行う事だろうか
今の僕にできる事,それは________
1795年,息子に職を譲り僕は処刑台から降りた
今の僕に出来る事はきっと一つだった
僕の子孫に同じ思いをさせない事
絶対にそれは許されない
子孫には普通の国民として生きてほしかった
そして僕が解放される、有一の手段でもあった
『死刑廃止』
それが今の僕の,最後の願い
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1806年7月4日
『死神』はおよそ2700数名を処刑した,という記録を残し息を引き取った
死刑廃止は彼の死から175年後のことだった
人を愛し,悪を憎む,優しき心を持つ彼の悲しき生涯
いかがだっただろうか
彼は決して歴史の表舞台には登場しない
そんな実際に存在した彼を,少しでも知ってくれれば光栄に存じる
なんかもう…厨二病がこじれてる感じが半端じゃないね(