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白と黒のグリンプス 5
「あくたがわ……?」
「左様。芥川だ」
恐怖と寒さの中で捉えた其の人物は、ぶっきらぼうな返事を返した。
けれど、今は其の“普段通り”が何よりも嬉しかった。
例えば、彼に掛けられた言葉の幾つかのように。
過去と言葉は違うと、言ってくれた時。
相棒だと言葉にしてくれた時。
其の他の沢山の言葉のように、其の存在は、与えられた細く差し込んだ光だった。
「! さ、|先刻《さっき》は……」
「気にすることは無い。……まあ、確かに愚行ではあったが」
「うぐっ……」
フォローしきれていないフォローに言葉を詰まらせる。
けれど、其の会話の中で、安堵が確りと僕を包んだのも事実だった。
(嗚呼、矢っ張り)
好きだな。
口にすることは無いけれど。
幻像を見て、痛い程に知った。
矢張り、僕は弱いのだと。
誰か一人の、“特別”を望んではいけないのだと。
でも、特別じゃなくても良い。
貴方は、矢張り僕を繋ぎ止めてくれた。
其の目に映ったと言う事実が有るだけで、僕は。
(だから、言わない)
僕は裾を払うと立ち上がった。
「で、どうするんだ?」
先ずはこの白い空間から出なくてはならない。
突然立ち上がった僕に芥川は驚きを隠せないでいたものの、直ぐに返事をした。
「そうだな。先ずは鏡を探し出すか、若しくは首謀者を──」
「探す必要はないよ」
「「!?」」
突然聞こえた声に、僕たちは動揺した。
周りを見回しても誰一人いない。幻像さえも存在していなかった。
「嗚呼、このままじゃ見えないんだったけ。──っと、これなら見えるかい?」
其の声と共に、ぱっと人影が現れた。被せられた布を取り払ったように、無から忽然と。
その人物は、不思議な人物だった。
女性的な顔立ちに、中性的かつフォーマルな服装。肩あたりで切り揃えられた髪が、余計に女性的に見させる。だが、声の低さは明らかに男性だった。
その人物は、僕と目が合うとニコリと笑った。
「貴方は……!」
芥川は何かに気がついたのか、目を見開いてその人物を見つめている。
謎の人物は芥川に向かってシー、と指を唇に当てると話し出した。
「君たちは実に不思議だね。これ以上ないほどに似通っていて、そして正反対だ」
「貴方は……?」
僕が口に出した問いにはその人物は答えなかった。
「君たちには、わかるかい? 感情の恐ろしさが。鏡の恐ろしさが」
「……」
先程、知った。
自分の醜さを。
弱さを。
芥川の顔が見えないが、反応を示さないところを見ると同じようなものを見たのかも知れない。
「萎れぬ花は無い。花の美しさは大地に委ねられる。全てを委ねた花には、別の地で育った花の美しさを知る術はない。人もまた、同じ──」
その人物は悲しげに目を伏せた。
その瞼には、何が映っているのか。
「人は解らない。共にいても不幸にするだけかもしれぬ。人はその怯えを抱える」
「ッ先程から何なのだ。何を言いたい」
芥川が声を上げた。
彼の目には困惑と、その先を聞くことへの怯えが僅かな浮かんでいる。
その人物は其れが聞こえなかったかのように目を瞑る。
そして此方に目を合わせた。
映るのは、哀れみと、恐れと、期待と──何だろうか。
「君たちからは懐かしい空気がする。恐怖と思いやりと贖罪──」
そう言うと、何かを思い出すように目を逸らした。
僕たちに戻した視線は、此方を見ているようで、何処か遠くを捉えていた。
ゆっくりとした瞬きをすると、彼は懐から何かを取り出した。
「! 其れは……」
「鏡だよ」
そう言って此方に伸ばした手には、僕が触れたのと同じ、鈍色の手鏡が握られていた。
鏡が彼を、僕を、芥川を曇りなく映す。
「壊せ。そうすれば、出られる」
そう言った其の目は、水鏡のように澄んでいた。
抵抗のない其の姿に、警戒を露わにしてしまう。
そんな僕たちに、その人物はくすりと笑った。
其の目は、水晶のように澄み切っていた。
「私に君たちを捕らえる利点はないよ──私も其れを望んでいる。心から。抑も、私は」
「承った」
彼の言葉を遮るようにして発せられたのは、芥川の了承の言葉だった。
彼も予想していなかったのだろう。
少し目を見張る。
「割れば良いのであろう。至極簡単なことだ」
「! ……有り難う。もう、これ以上無駄な被害は起こしたくない」
「待って」
悲しげに微笑んだ彼を見て、僕は制止の声を上げる。
察した。
彼は、鏡を壊せば、共に消えてしまうのだろうと。
だからこんなにも、感謝を示し、そして悲しげなのだと。
根拠も何も無い話だが、僕はそう感じた。
そして其れは正解なのだろう。
答えは、彼の表情が物語っていた。
「ううん。良いんだ。言っただろう? 私は、望んでいないと」
「けど……」
「私は美が、強さが欲しかった。けれど──幻のような、永遠の美しさを欲するほど、穢れてはいない積りだ」
其の目の強さは、其れが嘘偽りなき答えだと言っていた。
罠も、何も無い。
おそらく、壊して僕たちが出られなくなるような事は、無いのだろう。
其れは、芥川が一切の疑問も口に出さずに信じたことからも分かっていた。
「……分かった」
僕の口から発した了承に、彼は嬉しげな笑みを浮かべた。
「有り難う、本当に。君たちは、強いね」
其の人物は、全てを見透かしたような目で此方を見た。
そしてそのまま、手に持った手鏡を、芥川へと渡した。
芥川は、其の手鏡を黒布で巻き取ると、此方に体を向けた。
僕も破壊の手伝いをすることを許されたと言うことだろう。
芥川は、最後に彼に目を向けた。
「ごめんね、こんな目に遭わせて。けれど、確かに君たちは──」
パリン。
儚く、繊細な音と共に、彼は、空間は、消えた。
---
「終わった……?」
「……其のよう、だな」
僕たちの周りの景色は、白い空間の前の、寂れた路地に戻っていた。
足元には、手鏡の映る部分が粉々になって消えた枠が残っている。
「彼の人は……」
「彼の人は、もう大丈夫だろう」
大丈夫かな、そう言おうとした言葉は芥川によって打ち消された。
何故、と目で訴える。
其れに気づくと、芥川は少し目を逸らして言った。
「貴様は分かり易すぎる。考えなど顔に書いてあるも同然だ」
「な……」
「彼の人は」
僕が反論を言いかけた時、芥川はぽつりと言った。
「元マフィア準幹部だ」
其の言葉に僕は目を丸くする。
「其れって……」
「否、違う。太宰さんのように離反したわけでは無い。……殉職者だ」
殉職。つまりは、故人。
どう言うことだ、と困惑する。
澁澤やガブのように、異能が具現化した存在だったのだろうか。
僕の戸惑いには気づかず、芥川は続けた。
「此の任務の際、首領は書庫を使っても良いと仰った……可能性を見越していたのだろうな」
「……」
其の目には微かな同情と敬意が滲んでいた。
夜の世界に生きるものにしか分からない、敬いなのだろう。
其の横顔をぼんやりと見つめていると、芥川は此方に視線を移した。
不意にあった視線にどきりとする。
「彼の人の異能は、何だと思う」
「急に何を……」
「『対象にとって最も忌まわしい記憶と愛情を見せる異能』だ」
「!」
愛情というものが、何を指すかは対象の深層心理によって変わるらしいが、と芥川は続けた。
「断じて、明かしたくて言うわけではないが。僕は、妹と、太宰さんの記憶を見た」
予想していたことだ。
此奴が妹さんを大切に思っていることも、太宰さんを深く、深く敬愛していることもよく知っている。
けれど、矢張り其処に僕は含まれる事はないのだな。
然う瞬間的に思ってしまった自分が恥ずかしかった。
芥川は続ける。
「そして──、ッ……も見た」
「、 ?」
真逆、聞き間違いだろう。
小さい故の聞き取りミスだ。
そんな事、ある訳が──
「貴様を、見た」
其の言葉に、息が止まった。
「え……」
僕が漏らした声に、芥川は罰の悪さげな顔をする。
其の顔に、僕はつい反射的に謝罪の言葉を口にしていた。
「ぁ、ご、ごめん」
「止めろ」
「!」
芥川は然う言うと、つかつかと此方に歩んで来た。
僕の目の前で止まると、ぴたりと視線を合わせる。
「其の目を、止めろ」
「此処に無いような、浮世でないような。そんな風に曇らせるな」
嗚呼、もう。
如何してそんなに真っ直ぐに此方を見つめるのだろう。
汚れて醜い僕を、如何して。
何故。
「僕は、其の目には光が差している方が好ましく思う」
如何して、何度も何度も、僕を救い上げてくれるのだろう。
「愚かな程に真っ直ぐに、百面相をしている方が貴様らしい」
なんで……こんなに嬉しいのだろう。
「……おい」
芥川は突然訝しげな声を上げた。
否、訝しげなだけではない。少し、焦っているような。
「何故、そう悲しげなのだ?」
困惑と焦りが見て取れる声色に、僕は笑みを溢した。
『だって、嬉しいんだもの』
得られるはずが無いものが、例え、気まぐれでも今、与えられていることが。
でも、言葉にはできなかった。
口にすれば、不器用な癖に何処か優しいお前は、気を遣ってしまうだろうから。
それならば、いっそ。
「なあ、芥川」
「僕、お前のことが好きだ」
自分から、壊してしまおう。
相手が自分を好きになる事は、どうせ無いのだから。
罵倒して、蔑んでくれ。
此処で口にして、もう相棒ごと壊して仕舞えば良い。
嗚呼でも、然うすると探偵社に迷惑が──。
そう考えていた時。
目の前の相手が口にした言葉は、予想とは真逆のものだった。
「其れは……真か」
「へ」
如何してそんなに、何処か嬉しそうにするのだろう。
どうして、そんなに純粋な喜びと羞恥を表情に浮かべるのだろう。
ねえ、其れは──
「其れは、僕と同じように思ってくれていると、認識しても良いのか……?」
そう言った、相手の顔は、僅かに羞恥と困惑に染まっていて。
純粋すぎる其れに、いつしか僕は暖かさを感じていた。
「其れ、は、如何言う──」
「じん──否、敦」
呼ばれたことのない名前に、びくりと肩が揺れる。
嗚呼、もしかして。
「好きだ」
なあ、いつから、こんなに世界は優しくなったのかな。
探偵社に僕が入ったときには、そうだったのかもしれない。
たぶん、この日に腕が感じた暖かさと、相手の驚きと、微かに感じ取れた喜びは、忘れる事は無いと思う。
---
「敦ー」
「はーい、一寸待ってください」
鏡の依頼が終結してから暫く経った。
僕は変わりのない日々を探偵社で過ごしている。
(否──変わったこともあったか)
例えば、もっと仲間を、自分を信じれるようになったこと。
僕は、もっと強くなりたい。
物理的に、という意味ではなく、精神的に。
しなやかで、何度でも立ち上がれる強さが、僕は欲しい。
僕を支えてくれた人たちのように、人に安堵を与えられるような人間に成りたい。
其れを支えてくれる人たちが、僕には居るから。
もう一つ変わった事と云えば──
机の上に置いてあった携帯電話が微かにバイブした。
必要事項の|電子手紙《メール》だろうか、と思い確認する。
通知の正体を知った僕は、僅かに破顔した。
今日は早めに退社しようか、と考える。
好きな人からの|逢瀬《デート》のお誘いを断る者が何処に居ようか。
不器用ながら、僕には勿体無いくらいに優しい彼奴。
外に出て会う事は彼方の職業柄出来ないけれど、会うだけでもこんなに嬉しい。
「敦ー?」
「あ、すみません! すぐ行きます!」
僕としたことが。
思考を飛ばしてしまっていた。今は仕事中なのだから。頑張らなくては。
そう心の中で思いながら、呼ばれた方へと急足で向かう。
真っ直ぐに奮闘する、健気な白。
其れを支える、不器用ない黒。
其の二つをそっと見守る者がいることに気がつくのは、もう少し先かもしれない。
了
・
どうも! 眠り姫です!
あとで番外編を入れますが、一先ず本編は終了です!
前回よりも急足だったな……
そしていつもの眠り姫産ジブリ感満載展開……w
なんか中也さんの時もこんな感じだった気がするんだが……?
否、あんときよりも素直か。二人が。
ごめん。マンネリになったらすまん。
では、此処まで読んでくれたあなたに心からのありがとうを!
そして、もう少しだけ続くグリンプスを、どうか最後まで!
よろしくお願いします!