公開中
1.鏡の中の他人
すず
「おはよう。……あなたは、だれ?」
記憶をなくした人が、鏡の中で出会った「知らない私」の物語です。
「おはよう。よく眠れた?」
視界が開くと同時に、聞き覚えのない、でも透き通るように優しい声が降ってきた。
視界が開くと、そこは豪邸のような広い部屋だった。
声の方に視線を向けると、ベッドの脇に一人の女性が座っていた。
上品なワンピースを着て、慈愛に満ちた表情で私を見つめている。
「私のことは『お母さん』と呼んでね。」
「……お母、さん……?」
掠れた声で呟くと、彼女は満足そうに微笑み、私の頬に手を添えた。
その指先は、ゾッとするほど冷たかった。まるで、体温という概念を知らない氷の彫刻のように。
私は彼女の手を振り払うようにして、ふらつく足取りでベッドを抜け出した。
足の裏に触れる絨緞の感触が、あまりにも現実離れしている。
部屋の隅、金縁の大きな姿見(かがみ)の前に立ち、私は息を呑んだ。
「……だれ、これ」
そこに映っていたのは、私の知っている「私」ではなかった。
燃えるような鮮やかな赤髪。
深い海の底のような、透き通った青い瞳。
陶器のように白く、毛穴一つない完璧な肌。
鏡の中の美少女が、私と全く同じタイミングで、絶望に満ちた唇を震わせた。
私の記憶は、この瞬間に0%になった。