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1-5 白銀の光
「間に合ったみたいだ」
金髪の男が俺とダイナの間に割り込み、ダイナに剣の切っ先を向けていた。
鎧も何も身に着けず、普段着のまま。だというのに、俺やダイナを圧倒するほどの威圧感。
「ルーカス副団長⁉」
俺の後ろでずっと息を殺していたティナが、驚きのあまり声を上げた。
なるほど、副団長ね。ティナの関係者っぽいから、主神の勢力の人間だろう。
「今日は休日だったが、奴らの気配を感じ馳せ参じた」
ルーカスが一歩踏み込む。ただの人間が動いたものとは思えないほどの轟音と共に、兵士の首が宙を舞った。
何が起きたか分かっていない呆けた顔を、遅れて噴き出した血が塗りつぶす。どさりと音を立てて、頭を失った胴体が地面に倒れ伏した。
兵士の間に恐怖が広がる。目の前の脅威から逃れようと、我先にと駆け出した。
ルーカスは、その隙を見逃さない。
追加で、十の頭が宙を舞った。
一瞬で研究所が処刑場に変わる。|正義の味方《ルーカス》による、|悪の手先《魔法使い》の断罪。
ルーカスが五回剣を振るった後には、もうこの場に残る魔法使いはダイナだけになっていた。
「アンタがどんなに強くても関係ない。私には切り札があるんだから」
はったりだ。そんな切り札があるなら、初めから俺に使っていたはず。
今頃、ダイナは必死に考えているだろう。どうやってこの場を切り抜けるか。どうやって逃げ切り、再び活動するか。
「そうか」
ルーカスは淡白に返した。
剣の刃が翻る。
「本来なら貴方も始末しなければならない決まりだが、どうやら被害者のようだ」
ルーカスは瞬間移動じみた速さで移動し、俺の首元に剣を当てた。
「どうだろうか。僕と一緒に騎士団に来るというのは。騎士団では、その忌々しい力を消し去るための研究もしているし、貴方の手助けができると考えているが」
はいかイエス以外の答えがない問い。もしノーと答えれば、その瞬間に俺の頭と胴体は泣き別れになるだろう。
俺はルーカスの目を見て小さくうなずいた。ルーカスは俺の首元から剣を離し、虚空に向かって振り上げる。
――そんなルーカスに、横から黒い影が突っ込んだ。咄嗟のことで、ルーカスは対応し切れない。そのまま、ルーカスは吹き飛び、壁にぶつかって止まった。
砂の粒が舞い散る。僅かに視界が悪くなったが、ルーカスと彼に突っ込んできた存在は問題なく視認できた。
ルーカスに突っ込んできたのはモンスターだ。短く太い胴に、これまた短い足が付いている。口には、体の半分ほどの長さの牙が生えていた。
モンスターが雄叫びを上げる。
それにつられるように、他のモンスターがわらわらと出てきた。
ルーカスが立ち上がり、剣を構える。
モンスターは一斉にルーカスに襲いかかり、肉の細切れに変わった。
ルーカスは涼しい顔で残心する。
「敵がまだ残っているみたいだ。危ないから、下がっていて」
通路の奥からモンスターが現れる。ルーカスはぎりぎりまで引き付けてから、剣を振るった。
初めてモンスターを見た時より、魔力についての理解が深まったから分かる。モンスターは魔力でできた生物だ。モンスターが死ぬと魔力は辺りにぶちまけられ、使わない限り消えることはない。
「それと、そこの君! 魔力を減らしてくれないかい?」
魔力を減らせ――散らばった魔力を消費しろということか。確かに、空気中の魔力を用いて魔法を発動させられそうだ。
施設内に他の魔法使いが残っているかもしれない。そうした場合に備えて、敵の攻撃手段を奪うことは有効だ。
使う魔法は、状況にさほど変化を与えないものが良いだろう。下手に攻撃性のある魔法を使えば、ルーカスに当たるかもしれない。ルーカスに与えるダメージは小さいだろうが、戦闘に与える影響は小さいに越したことはない。
水を適当にいじるのが無難か。
魔法式を構築。空気中に薄く広がった魔力を集めて、式にエネルギーを供給する。
辺りに薄く霧が広がり、すぐに煌めく氷の粒に変わって、また水蒸気に戻る。そんな変化は、空気中の魔力が薄くなるまで続いた。
ルーカスがモンスターを殺す度に使える魔力が増えるから、ルーカスが戦い終わるまでずっと。
「ありがとう。この先の戦いが楽になりそうだ」
ルーカスが口を閉じた瞬間、一人の魔法使いが現れた。
「やはり、貴方もいたのか。――アシュトン」
「模擬魔獣の……ダイナのように言えば、モドキのサンプルデータ回収を頼まれましてね」
モドキのサンプルデータ。モドキ――モンスターを生み出したのは、アシュトンやダイナら魔法使いだったのだ。
「しかし、私は幸運ですね。あなたがいる。データ収集に付き合っていただきますよ」
アシュトンのその言葉と共に、モンスターが姿を見せた。一目では正確な数を把握できない。一体どこに隠れていたのか。
だが、
「無駄だ」
ルーカスが全て蹴散らす。モンスターの肉片や体液が宙を舞う中でも、アシュトンは表情を変えない。
ルーカスが俺を見る。空気中の魔力を減らせ、ということだろう。俺は小さくうなずき、魔法を行使した。
ただし、水の状態操作ではない。戦闘中に、何の役にも立たない魔法を使っているわけにはいかないからだ。
アシュトンが俺を物珍しそうに見た。アシュトンからすれば、俺はただの人間。魔法を使えることが不思議なのだろう。
その隙に、ルーカスがアシュトンに切りかかった。アシュトンは余裕をもって回避する。
アシュトンが蹴りを放ち、ルーカスは身を低くして躱した。アシュトンは、水を固めて作った氷を剣の形にする。
ルーカスとアシュトンが鍔迫り合った。
アシュトンの氷の剣が砕けるが、それと同時に再生成することでこの状態を無理やり保つ。
ルーカスは動けない。アシュトンも動けない。この状況で動けるのは、俺と、リアムと、ティナと……モンスターだ。
「一人で、三人を。私を相手に。守り切れるつもりですか?」
「僕だけじゃないさ。彼らだって戦える」
アシュトンは返事の代わりに、小さく魔力を動かしてモンスターを呼んだ。
モンスターは、ルーカスの後ろに立つ俺たちを目掛けてやってくる。が、一定のところまで近づくと、突如体から血を噴き出して倒れた。
先ほど使った魔法の効果だ。
「なるほど、これは……」
アシュトンが口の中で言葉を転がす。
俺は、倒れたモンスターをじっと見た。
やはり、魔力は自然には浄化されない。
環境を汚す害獣を作り出し、魔力を消費する手段を持たない人間界に解き放つ。これは、世界の運営を滞らせる行為ではないだろうか。
俺は、邪神から力と共に役割も奪った。世界の運営を行う役割を。
決めた。これからの行動の指針を。ルーカスの陣営に付こう。主神の味方をするのは癪だが、|害獣《モンスター》を生み出すやつらは滅ぼさなければならない。最低でも、モンスターを使うことはやめさせるべきだ。
モンスターから解放された魔力を掌握する。空気の形を定め、近寄ってこない残りのモンスターに空気の刃を向けた。
接近戦でちまちま倒すより、こっちの方が効率が良い。
モンスターが三枚におろされるのを見て、ルーカスとアシュトンはどちらも笑みを浮かべる。
「奴らはあっちに任せて大丈夫みたいだ」
「良いデータが取れそうですね」
全く異なる思考。だが、結論は同じだった。
鍔迫り合っていた二人は後ろに下がり、体勢を立て直す。
アシュトンは氷の剣を手元から消し、両手を空けた。
――魔力が動いている。
ルーカスに気づかれないよう、ゆっくり慎重に。
ルーカスの周辺の水蒸気を凝華させ、動きを阻害しにかかれば、裏で動いている魔力に気づく余裕などなくなる。
「魔法主体に変えたのかい? 前はそんな戦い方じゃなかっただろう」
ルーカスが一息で距離を詰め、アシュトンに切りかかる。
――その足が、魔力を忍ばせたところを踏んだ。
「なるほど、っ!」
ルーカスは踏み込みの勢いのまま跳び、アシュトンの頭上を追い越した。剣は空を切る。
魔力は消えた。消費され、世界に還ったのだ。だが、何も起きてはいない。
「|反現象《アンチスペル》か」
アシュトンが静かに呟く。
「そんな大層な名前を付けられるほどのものでもないけれどね」
「今の一瞬で組み上げるとは、また腕を上げましたね」
「それほどでもないよ。君こそ、戦術の幅がまた広がった」
戦いの中で、互いを褒め合う二人。口ぶりからして、今まで何度も戦ったことがあるようだ。
褒め合いながらも、互いに視線を相手から外さない。アシュトンが小さく魔力を発し、モンスターに命令を出した。
モンスターは統率された動きで、リアムやティナに飛びかかる。俺の方には一体も来なかった。
「ティナ!」
リアムが叫ぶ。ティナは手を組んで跪いた。
リアムの動きが目に見えて良くなり、代わりにモンスターの動きが鈍くなる。
俺もこっそり手助けしよう。モンスターを対象に、体にかかる重力を大きくする。
リアムへの補正はなしだ。補正すると、急に動きが変わり、戦闘のテンポが乱れてしまう。
「なかなかやりますね。特にあそこの彼。ぜひ仲間に加えたい。名前を教えていただいても?」
「それは無理な相談だ。彼は僕が正しく導く」
剣と魔法がぶつかり合う中、ルーカスとアシュトンは何でもないように話していた。
「それと、僕は彼の名前を知らない」
「そうですか、残念です」
祈りのために動けないティナを、リアムが縦横無尽に動き回って守る。その代わり、ティナはリアムのサポートを行っていた。
デメリットを打ち消し合う、良い連携だ。
「だいぶデータも集まりましたし、私はこのあたりでお暇しようかと」
「僕が逃がすとでも?」
ルーカスが強く踏み込み、アシュトンの首を狙って剣を振るう。
「彼らがいては、無理な話ですね」
ルーカスはそれを素手で掴み取った。よく見れば、剣身をつまんでいる。
「あなたは本気の一割も出していない。そんなので、私に傷を与えられるわけがありません」
アシュトンがルーカスに顔を寄せる。
「今度お会いする時は、一対一で。本気で戦いましょう」
アシュトンが後ろに引き、魔法式を組み上げる。部屋全体にわたる大きな式だ。
アシュトンの姿が消えた。
俺が一瞬で解読できず、しかも残滓も残っていない。アシュトンが、魔法において相当な高みにある証だ。
アシュトンが去ってから数秒後、ようやくルーカスが構えを解いた。
「大丈夫かい?」
振り返って、俺やリアム、ティナに尋ねる。
「大丈夫だ」
俺はほとんど何もやっていないからな。ルーカスに手の内を見せたくなかった。
「ティナと、茶髪の彼は――⁉」
ルーカスの声が乱れる。ルーカスに応える声はなかった。
「アシュトンに連れて行かれたか! 今から追跡――いや、痕跡はほとんど残っていない、無理か。それより彼を送り届ける方が――」
ルーカスが整えられた金髪を崩し、一人でぶつぶつ呟いている。
ルーカスとしては俺を置いたままにする選択肢はないだろうし、選択肢は一つな気がするが。
「とりあえず、君を本部に送り届けよう。僕につかまって」
俺は、ルーカスが差し出した手を取った。
「離さないで」
主神由来の力が高まる。本能的に嫌な感じがする力だが、我慢できないほどではない。
そっと世界を注視する。ルーカスがどんな術を使おうとしているか、知りたかった。
なるほど。力の質こそ正反対だが、使い方は邪気と全く同じだ。今使おうとしているのは、邪術で言うと『|転移《バティン》』に当たるもの。
そんなことを考えている間に、転移は完了したようだ。俺は再び人間界に降り立っていた。
太陽は姿を隠し、人間はみな寝静まる時間帯。
俺は空を見上げ、感嘆のため息をつく。
「綺麗だ」
白銀の光。地獄では決して見られないものだ。
「だろう?」
ルーカスがうなずく。悔しいが、彼と同じ感想だ。
「今日はもう遅い。本部の一室を貸すから、そこで寝てくれ」
「分かった」
寝床を探す手間が省けるから、素直に嬉しい。
「こっちだ」
ルーカスは広い建物の中を、一切迷う素振りも見せずに進む。
やがて目的の部屋に辿り着き、扉を開けてくれた。
「今日は大変だったね。ゆっくり体を休めてくれ。おやすみ」
「ああ。おやすみ」
ルーカスが扉を閉めるのを見届けて、俺はベッドに寝転がった。
天井を眺める。特に何かあるわけでもないが、思考を整理するにはこれが一番だ。目を閉じると、寝てしまうこともあるからな。
今日一日、色々なことがあった。
人間の街に侵入し、賑やかな雰囲気を楽しもうとしたら、魔界のやつらに連れ去られた。
リアムとティナに、俺の力について知られた。
主神側の人間であるルーカスに助けられ、リアムとティナはアシュトンの元へ。
そうだ、アシュトン……あいつと、あいつの仲間は許さない。
世界の運営を滞らせる害獣を作り、各地にばらまいた。邪神がいたら、きっと罰していただろう。邪神はもういない。その役目は、俺が負わなければならないものだ。
「俺が必ず排除する」
腕を天井に向かって伸ばし、手を握る。
俺は目を閉じ、腕を下ろした。
眠気が俺を夢に引きずり込もうと、意識の底から存在を主張する。
俺は、いつの間にか眠りに落ちていた。