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龍と結婚式
「え~、本日は、このような素晴らしいお式にご招待いただきまして、誠にありがとうございます……」
花嫁姿の女性はマイクに向かって語りかけている。
結婚式場の大広間。新郎新婦と親族、仲人や上司などが集まり、談笑をしている。その表情はみな一様に晴れやかで、なかった。
「レジェンドライブ・ミュージックちゃがま速報が復活したよう…で…す…ごふっ!」
血だるまの男が飛び込んできた。全身がズタボロで生傷が絶えない。そして彼は色情の隅に転がると息も絶え絶えに言った。「沖縄ズタボロ鍾乳洞の奥に魔王が降臨しました。お供のドラゴンが…」
言い終えぬうちに男は死んだ。完
――俺はいったいどこへ行こうとしているのだろう? 夜の海は静寂に包まれている。水平線の彼方で夜空との境界線が曖昧になっていた。波打ち際から少し離れたところで、青年は佇んでいた。白いシャツとジーンズを身につけた、どこにでもいそうな風貌だ。
だが彼がただの人間でないことは明白だった。なぜなら彼の周りに漂うオーラは禍々しくどす黒く、明らかに常人のそれではなかったからだ。普通の人間はあんなふうに光ったりしない。
青年の名前は竹屋タケヒトという。竹を屋と書く。「ここか」
彼はつぶやくと、目の前に広がる真っ暗な海に目を向けた。そこには月がぽっかりと浮かび上がっている。
「魔王が封印されている場所とは」
彼はポケットに手を入れ、携帯電話を取り出した。液晶画面のバックライトが煌々と周囲を照らし、暗闇を切り裂く。メールの文面が表示されていた。『今すぐ竹屋町三丁目の海岸に来い』。
送信者の名前は、魔王だ。
「なぜ俺がこんなところに」
ため息をついたそのとき、背後で物音がした。慌てて振り返るが、何も見えない。気のせいか。いや、違う。確かに何かいる。彼は確信した。「そこか」
「ぎゃあ」という悲鳴が上がった。闇の中に二つの赤い点が見えたかと思うと、それはこちらへ向かって突進してきた。「な、なんだこいつら」現れたのは魔物たちだった。緑色の肌をして醜悪な容姿をしており、手には大きな石槍を持っている。身長はおよそ二メートル前後で、頭頂部が尖ったいわゆる魚顔。額には一本角があり、口は裂けるように大きい。手脚はなく胴体だけで這いずり回っていた。「ひい」タケヒトの口から小さな叫び声が上がる。
敵が一気に押し寄せた。「こ、こっちに来るな」逃げようとしたが足がもつれてしまい転倒する。「ぐわあ」魔物たちが襲いかかってきた。「やめろ、くるな」必死に抵抗するが無駄だった。一匹が肩に噛みつきもう一匹は腕に絡みついてくる。さらに別の奴が顔面に体当たりをしてくる。鋭い牙が頬にくい込み肉を裂き骨にまで達しようとしていた。痛い。「あがあ」激痛が走る。だがすぐに別の痛みに変わる。背中にも強烈な衝撃があった。「うわああ」息ができない。肺の中の空気がすべて押し出された。苦しい。呼吸をしようとして喘いでいると、喉の奥から鉄の味が広がる。大量の出血をしていた。視界の端から赤黒い液体が入り込んでくる。血か。血なのか。血。血。血液だ。「やめろ、放せ」手足を動かそうとするが、全く言うことを聞いてくれない。体が痙攣している。「や、やめて、助けてくれ」涙で前が霞む中、かろうじて見えたものは――。
「うおおおっ」
ベッドから飛び起きた。全身汗だくだ。「はぁ、はぁ」大きく息をつくと、自分の荒い呼吸音が耳に入ってきた。どうやら夢を見ていたらしい。
「はぁ」再び大きな溜息が出た。悪夢だ。思い出しただけでも鳥肌が立つ。まさか自分が殺される夢を見るなんて、一体どういうことだろうか。それにあの魔物たちはなんだったんだろう。
タケヒトは額の汗を拭いながら、辺りを見渡した。
「……あれ?」
違和感を覚えて首を傾げる。
いつもの部屋じゃないぞ? どうなっているんだ。
記憶を辿る。確か昨日は飲みに行ったあとタクシーに乗って帰ってきたはずなのだが……。「ここは……どこだよ」
部屋は見慣れないものだった。
「おい、誰かいねえのか」呼びかけたが返事はない。不安になり始めたその時、扉の向こうから微かに話し声のようなものが聞こえてきた。「誰か来たのか」助かったと思い安堵した直後、部屋の扉が開かれた。「おっす」「おー、やっと目覚めたのかね」
「え、誰ですかあなたたち」タケヒトは困惑した。そこに立っていたのは男女二人だったのだが、どちらも知らない人物だったのだ。男は細身で長髪、眼鏡をかけており、スーツを着ていた。女は中年くらいで小太り、
「えっと……」「あんた誰だ」
二人は同じ反応をした。
「え、ちょっと待ってくださいよ」
「何言ってんだよ、俺たちのこと忘れたのか」男は眉間にしわを寄せた。
「えっと……」そう言われてもわからないものはしょうがないじゃないか。
「おいおい冗談じゃねーぜ、一緒に飲んでたじゃねーか」
「飲んでいた」
「ああ」男は胸を張った。
「俺と」
「お前さんと」
「一緒に酒を」
「飲んでいただろ」
ああ、なるほど。ようやく合点がいった――……ん? いや待ておかしいだろ。そもそもなんで初対面の男と飲まなきゃいけないんだ? そんなことをするのは知り合い以上恋人未満の相手だけだろ?……ということはつまりそういう関係だったということに…………。……ああああ、頭が混乱してよくわからん! タケヒトが悶々と考えていると、男は怪しげな視線を向けてくるようになった。その様子は明らかに不機嫌そうに見える。どうしたものかと思案していると、今度は女のほうから質問された。「あなたはゴーストカイザー菌に感染しているとわかってて奇行を続けているの?」――……は? 意味がわからなかった。
彼女は続けて言った。
この症状は世界でもまだ数例しか報告されていないもので、感染すれば幻覚や幻聴に襲われるようになるというものだ。この病気の特徴は、その感染者は発症後まもなく発狂し自ら命を絶ってしまうということ。そして治療法は見つかっていないということだ。
しかし心配はいらない。私なら治せるかもしれない。なぜなら私は――……医者だからだ。
彼女の名前はサトミ。年齢は三十歳だそうだ。
男のほうはユイといい、タケヒトと同い年の二十五歳だった。そして彼らが所属しているのは――病院だ。
タケヒトは改めて、病室の中を見た。
清潔感のある白い壁に囲まれていて、天井からはモニターが設置されている。テレビも置いてあり、外の風景を映し出していた。タケヒトがいるのは個室で、他には誰もいない。サトミの話によると、タケヒトは自宅マンションの前で倒れていたところを発見され、救急車でこの病院に運ばれたのだという。タケヒトは意識不明の状態で、ここ数日の間ずっと眠り続けていたというのだ。
話を聞き終えたタケヒトが最初に思ったことは、どうして自分は生きているんだろう? という疑問だった。タケヒトは昨夜、海で魔物に襲われた。そのことは覚えている。
魔物の群れに襲われ絶体絶命のピンチに陥ったそのとき、突然、巨大な黒い影が現れた。その生き物が放った閃光によって魔物たちは一瞬にして灰になってしまった。その光景を目の当たりにしたタケヒトも、やがて意識を失ったのだった。
もしかしたら、あの生物が自分を助けてくれたのではないだろうか。
それともあの怪物が――魔王が自分をここに運んだのだろうか。
いずれにせよ、あれは現実に起こった出来事だったのだと、彼は認識した。
タケヒトは、自分が体験したことを彼らに話した。もちろん、魔王の存在については伏せておいたが。
二人が嘘をついているようには見えなかった。
――魔王。その存在は昔から語り継がれている。その昔、魔物を従え人類の脅威となっていた魔王だったが、ある日を境に忽然と姿を消したという。それからおよそ百年の間、魔王の存在は人々の間で伝説上のものとされていた。
だが魔王は実在した。それも今から二十年前、突如として復活したというのだ。
復活した魔王が次にしたことは、世界中の人間を殺すことだった。
魔物を率いて都市を襲い、人々を惨殺していった。
抵抗する者もいたが、圧倒的な力の前に為す術もなく殺されていった。
たった半年で世界の人口の約六割が死んだと言われている。
生き残った人々は恐怖に怯えながら日々を過ごしていた。
タケヒトは魔王に殺されたはずだった。だがなぜかこうして生きている。魔王が俺を助けたのか? 魔王とは何者なんだ? なぜ人間を殺したんだ? タケヒトは、魔王を倒すために立ち上がった勇者だという二人の話をぼんやりと聞いていた。
彼らは魔王に復讐するために、仲間を集めて旅をしているのだと話す。
タケヒトは彼らの目的に賛同し、協力することを約束した。
そして二人は、タケヒトの体調が良くなったら旅に出ると告げた。
退院した翌日、タケヒトは早速、魔王討伐の旅に出ようとしていた。だが――。
ユイが引き止めた。なぜだかはよくわからないが、とにかく危険だと言って聞かない。
結局、三日ほど滞在することになった。その間に準備を整えることにする。まずは装備の調達からだ。
サトミと相談した結果、竹屋家は防具を買うことにした。理由は、動きやすく丈夫で軽いものが欲しいからとのことだ。タケヒトにはいまいち理解できなかったが、素人の彼にはプロに任せるのが一番だろうと思った。ちなみに武器はどうしようかという話になったが、タケヒトの腰に差したナイフが唯一の攻撃手段なので、それを活用しようということになった。ただタケヒトの体力を考えると、あまり遠くまで出かけるのは厳しいとのことだった。
次の日、タケヒトとサトミは町へ繰り出した。そこで中古品の店を回ることにする。