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3-3 刹那の攻防
結界の解除に取り掛かる。
半端な防御は容赦なく蹂躙。
堅い防御はある程度の手順を踏んで解除していく。
やはり力だ。力があれば、精密な手順を踏まなくても良い。
完璧な解析と解除は必要ない。八割力技で、残りは理論で埋める。
結界の解除に必要な時間が大幅に短縮されそうだ。今日中には出られるだろう。出る頃には疲労困憊だろうが。
「許可申請……省略。限定顕現。後で怒られるなぁ」
この声は――殺し切ったと思ったのに。
なぜ、どうして、どうやって。
待て――限定顕現? 何を召喚した?
「『|守れ《ラファエル》』」
困惑する俺の思考をよそに、ルーカスの声は淡々と畳みかけてくる。
「今度こそ、一撃で削り切る。殺しはしないさ。聞かなきゃならないことがあるからね」
ルーカスが力を高める。
まずい。まずいまずいまずい。俺の力の残りは半分。『権限』ではエネルギーに干渉することができない。本気でやって対抗できるか――せめて逃げられるほどではありたい。
急いで結界の解除を! 早く、距離を取らなければ!
「くそ、なんでこんなに堅いんだ。力技は受け付けないって? 勘弁してくれよ」
俺が泣き言を言っている間にも、攻撃の瞬間は着々と近づいている。
結界の内側からの解除条件は時間経過のみ。外側に至っては観測すらできない。
時間経過を感知するセンサーは数が多く、その全てをごまかし切るのは厳しい。
全てのセンサーが感じる時間経過が寸分違わず同じでないと解除されないようになっている。
猶予は数秒。十秒もないかもしれない。
今から時間センサーの全てを騙すのは困難だ。
結界を一から解体していくことの方がもっと困難だが。
時間経過を一日後に設定――反応なし。
二日後。駄目か。
三日後。反応あり。
三日後――つまり、七十二時間後。
さすがに大雑把すぎる。結界は健在。
四三二〇分後。反応なし。
あ、待て。四三二一分後は違う。四三一九分後も違う。
合わせるのも難しくなってきた。それでも、これができなければ詰む。今死ななくても、全てを洗いざらい喋らされたら終わりだ。
二五九二〇〇秒後。違う、二六〇〇〇〇秒後じゃない。ああ、減らしすぎた。二五八四〇〇秒後でもない。
攻撃の到達まで、後七秒。
増やす……減らす……もっと細かく微調整して――全てがかちりと噛み合った感覚。
今は違うが、間違いなくさっきの一瞬は全てが二五九二〇〇秒後を指し示していた。
それでもなお、結界は解けない。
求められるのは、小数点以下の精密さ。
集中のギアを一段階上げる。俺ならできる。
攻撃の到達まで、後六秒。
小数点以下の領域で、数字が上下を繰り返す。許容範囲に入って、外れて。それを幾度も繰り返し、徐々に整えられていく。
近づく。あともう少し。許容範囲に踏み込んだ。これで後一つ。ああくそ、今ので気が緩んだ。後三つ。やり直しだ。
自分が何を考えているのか理解する前に答えをはじき出す。先へ進む。
攻撃の到達まで、後五秒。
集中を保ちながら、感情をゼロに寄せる。
後一つ――全てが合った。駄目か。結界は応えない。
攻撃の到達まで、後四秒。
駄目なら、その先を試すだけだ。
さらに精密に、数値を合わせろ。
俺の手の中で、数字が暴れ狂う。少し動かそうと思っただけなのに、大きく動いてしまうこともしばしば。
大きく? 一秒の領域では何も変わっていない。感覚がずれてきた。
攻撃の到達まで、後三秒。
集中。手の震えすら許されない、極限の精密作業。息を止めて熱中する。
その甲斐あってか、段々と俺の理想とする値に近づいてきた。
指先一つで数値が大きく変わる。近づいて、遠ざかって。多すぎる。足りない。
平均を取れば、目的とする値が取れるのだろうか。
しかし、俺が求めているのは平均ではない。全てが横並びで、俺が求める数値と寸分違わず同じ数値。
平均を取れば同じだが、その中身は大きく違う。
ああ、無駄な思考が増えてきたな。
攻撃の到達まで、後二秒。
体感時間が引き延ばされる。
もう無理か? どれだけ細かくして合わせようとしても、センサーはそれを許してくれない。
諦めて、身を守る準備を固めた方が良いのでは? 今からでも、本気でやれば間に合う。大ダメージを負うことは避けられないが、死ぬことはないだろう。相手にその気がないわけだし。
おい、「本気でやれば」? これも本気だろう。本気でやれば間に合うのなら、こっちをやりきれ。
駄目だ、本当に間に合わなくなる。
力は半分残っている。半分もあればほとんどなんでもできる。
結界の仕組みを真似る。持続時間が極端に短く燃費が悪い代わりに、強度は最高。誰にも解除できない。
結界の解除はできなかったが、仕組みはある程度理解できた。他の機能を犠牲にして一点特化型にすれば、十分使えるはず。
攻撃の到達まで、後一秒。
思考を形成する間もなく、無意識が結界を組み上げる。
展開速度――一秒。
結界強度――最硬。
干渉防止――最低限。
持続時間――三秒。
エネルギー効率――最悪。
それは、俺たちを取り囲む結界の劣化コピー。一瞬だけしか使えずエネルギー効率も悪い代わりに、その硬さだけは保証されている。
攻撃の到達まで、後――。
静寂が俺の耳を|穿《うが》つ。
解放感。俺たちを外の世界から隔てていた結界が、綺麗さっぱり消え去っていた。
一体誰が。どうやって。
「二人とも、待て、止まれ」
「なぜここに」
俺の口から、ほとんど反射的に漏れ出た疑問だった。
「……兄さん」
ルーカスが小さく呟く。
「まあ待てって。俺から話せることは全部話す。だからルークも経緯を全部説明しろ。良いか?」
ルーカスは肯定の返事こそ返さなかったが、否定もせず、ただフィンレーを見つめていた。
「んじゃまず、止めさせてもらうぜ」
フィンレーが上を指差す。その先を目で追うと、青い光を纏った太陽が頭上で輝いていた。
俺の直感が囁いている。アレは、俺の月と同じだと。
それなら、ルーカスの力が跳ね上がったのにも説明がつく。
「あー、どっから話すべきかな。とりあえず、俺はノルのことになんとなく気づいていた。確信は持ってなかったがな」
それは知っている。そうでもなければ、あんな言葉をかけるはずがない。
ルーカスの目は「なぜ?」と問いかけていた。
なぜ言わなかったのか。なぜ排除しなかったのか。
もしかしたら、俺の力が何なのかも問うているのかもしれない。
「ノルは俺たちの理念に賛成してくれた。だから――」
「だから、何もしなかったと?」
フィンレーの言葉を遮り、ルーカスが聞く。
「そうだ。現状、俺たちに敵対する気配はねぇ」
「兄さんはノルの力をちゃんと見てないからそう言えるんだ」
フィンレーが目で続きを促す。
「あれは僕たちとは真逆の力。あの時の空に浮かんでいたのは、話に聞く地獄と同じ月だった」
「それがなんだってんだよ。別に良いじゃねぇか。ノルは何もしてない」
「僕たちに隠れて魔界に行っていた」
「魔界に行くぐらい良いだろ。俺たちだって行ってる」
フィンレーとルーカスの口論が加熱していく。
もしこの口論の結末が、ルーカスの主張を通すものだったら? 俺の立場は相当危うくなる。
仮にフィンレーが勝ったとしても、組織内での俺は不安定な立場になるだろう。
どちらに転んでも、俺は不利になる。今のうちにそっと逃げ出そう。
「何をしているかが問題なんだ。僕たちはそれをちゃんと知らない。だから知る必要がある」
「そんなこと言ってたら俺だって話してねぇことがあるじゃねぇか」
「……なら話してくれるのか?」
「駄目だ」
ルーカスはため息をついた。
「結局そうなる。でも、兄さんは良いんだ。僕らのために行動してくれていると分かるから。ノルは違う。まだ一緒にいた時間が短い。どんな力を持っているかも、どんな目的を持っているかも知らない」
「直接聞けば良いだろ? わざわざ不意打ちみてぇな真似する必要はねぇよ」
「確実な状況で聞きたかった」
俺を擁護するフィンレーと、追い詰めるルーカス。分かりやすい構図だが、最悪なことにどちらが勝っても俺は不利になる。
フィンレーとルーカスは互いに集中している。俺への警戒は多少外れたか? いや、そう見せかけているだけかもしれない。迂闊に動くのは危険だ。
逃走経路の確認だけはしておこう。いつでも逃げられるように。
転移――無事に空間は繋げそうだ。どこに行くのかは未定。
離れる――辺りに遮るものはない。そのまま逃げたところですぐ捕捉されて終わりだ。
空――いずれ力尽きて落ちる。逃げる手段としては不適。
こんなところか。現状、最も逃げられる可能性が高いのは転移。後はどこに繋ぐか。
人間界。行って、どこに逃げるんだ? 地の利は相手にある。やめておくべきだ。
魔界。悪くない。アシュトンに遭遇する確率が上がる。戦力が整っていれば、積極的に戦いに行きたい。
「ノル。教えてくれねぇか? どんな力を持っているのか、何が目的なのか」
フィンレーが優しい声音で聞いてくる。
くそ。せっかく俺への意識が逸れたと思ったのに、また集まってしまった。
「大体ルーカスと同じだ。ちょっと制限がついてるけどな。目的……は変わらねぇよ。|魔神《アイツ》の対処法を見つける、あと魔獣を消滅させる」
嘘はついていない。大分はぐらかしたが、まあ察してくれるだろう。
「なんで、あんな禍々しい力を」
ルーカスの質問に俺は、
「答えられない」
なるべく敵意を感じさせないよう、穏やかな声で言った。
「そうか。僕はそれが知りたかったんだけどな。答えられないなら――」
ルーカスが世界と一体になる。情報を読んで、操って、俺を殺さない程度に痛めつける準備を整えていく。
俺も戦闘態勢を整える。今は世界に干渉できないから、腰を低く落として肉弾戦の構え。
緊張感が高まる。
お互いの一挙手一投足を見逃さないように、相手に集中。自分の唾を飲み込む音さえ、大きな雑音になった。
一触即発の俺たちに対してフィンレーは、
「ちょ、待て待て待て! さっき俺が何のために止めたと思ってんだ! やめろやめろ! 仲間内で争ってどうすんだ」
慌てた様子だった。フィンレーの言い分にまあそうかと納得し、緊張が緩和される。
「ルークも一旦止まれ」
フィンレーに言われ、ルーカスはしぶしぶ攻撃の準備をやめた。
「僕は許容できない。身内に得体の知れない力を持つ者を入れることが」
「俺は別に良いと思うけどな。敵対さえしなけりゃそれで良い。でも、俺たちだけでノルの処遇を決めるのも違うだろ? 本人に聞かねぇと」
「そうだな」
会話の流れが俺に巡ってきたのを感じた。
これは、またとない千載一遇のチャンス。俺の思う通りにできる最初で最後の機会。
フィンレーたちと一緒にいれば、主神に近づくチャンスがあるかもしれない。
アシュトンの仲間のふりをして、隙を見てモンスターを殺していくのも良い。
邪神との約束か、俺の目的か。邪神との約束を優先すべきなのは分かるが、今回の騒動で主神と接触する機会は絶たれたに等しい。
かと言って、組織を去るのも即断しづらい。なんだかんだ言って、フィンレーやルーカスは強いし、あそこも良いところだった。
「その話、私も混ぜてもらえるかしら?」
おぼろげな記憶の中の、聞き覚えのある声が耳を撫でた。
俺も、フィンレーも、ルーカスも動きを止める。その時だけは、世界の全てが停止しているようだった。
「……ティナ」
彼女の名を呼ぶ。
「久しぶり……と言うには、少し短いかな」
「詳しく話を聞こうか」
再起動を果たしたフィンレーが口を開いた。その目は身内に向けるものではなく、他人に向けるものだった。
「ノルを連れてくるようにアシュトンから頼まれたの。団長も、構わないでしょう?」
「俺の立場から、許すわけにはいかねぇな」
フィンレーは静かに敵意を高めていく。
「どうする? 戦うか?」
横で、ルーカスが剣に手をかけた。
「やめておくわ。勝ち目がないもの」
ティナが手を挙げて降参の意を示す。そのポーズのまま、俺の近くまで歩いてきた。ちょうど背中合わせになる位置だ。
ティナの周りに魔力が集中した。
フィンレーが攻撃の準備を整える。発動に要する時間はコンマ数秒。
「ごめんなさい。まだ私、魔力をうまく扱えないの」
だから、他の人の力を借りて転移する必要があって――と、ティナは申し訳なさそうに言った。
「それじゃあ、また会う日があれば」
ティナは手を振りながら、空間の穴に消えていった。
「……ありゃ駄目だな。完全にアシュトンの仲間になっちまってる」
「出会い次第捕縛、事情聴取へ対応方針を変えようか」
「ああルーク、それで頼む」
「了解した」
フィンレーとルーカスは状況を瞬時に受け止め、対処していく。俺は組織に残るか組織を離れるかで悩み、突っ立ったままだった。
「さて、ノル。どうするか決めたか?」
この世界は主神に有利になるようにできている。アシュトンたちとフィンレーたちで比べれば、フィンレーたちの方が有利。
フィンレーやルーカスと敵対するのと、アシュトンと敵対するのを比べれば、前者の方が避けたい。
だから、ひとまずは、
「このままここにいるよ」
「そうか。これからもよろしくな」
そう言って、フィンレーはニカッと笑った。
次回予告。
ルーカスとの対立があっても、世界はいつもどおりに回っていく。
今回の出来事をきっかけに、ノルは自分がやりたいことについて考え直していた。
そんな中で、怪しい呼び出しを受ける。
「私たちの目的はただ一つ。魔神を倒すこと。魔神はご存知ですか?」
次回、3-4 改編