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灰雪の檻
肌に纏わりつく銀世界の中、山奥にある古びた旅館にたどり着いた旅人は、憔悴しきっていた。
旅人がこの旅館を目指していたのは、奇妙なことにこの旅館へ来訪する人が帰ってこないとこいうことに不審がったからだった。
旅人を迎えてくれたのは、無表情な顔がなんとも不気味な案内人の女性だった。
広間に通されると、囲炉裏には湯気が立ち上る大きな鍋が用意され、案内人は静かに口を開いた。
「長旅でお疲れでしょう、温かい鍋をどうぞ」
旅人は感謝し、疲労と空腹に苛まれていたこともあって、勢いよく鍋に箸を伸ばした。具材は見たこともないような珍しい山の幸ばかりが煮られ、不思議な香りがした。特に不快なものではなかった。
一口食べると、体の芯から温まるような、深い味わいがした。夢中で鍋を平らげると、旅人は急に強い眠気に襲われた。
旅人の意識が遠のく中、案内人の顔がひどく歪んでいるのが不思議でならなかった。
目が覚めると、旅人は見慣れない部屋にいた。体を起こそうとするが、まるで手足が自分の物ではないかのように動かない。
視線を動かすと、部屋の隅に一体の人形が置かれているのが見えた。その人形の顔は、驚くほど自分に似ている。
戸惑っていると、部屋の扉が開き、案内人が入ってきた。
入って直後、案内人は宥めるように言葉を投げた。
「ようこそ、お客様」
案内人はかつてのような無表情ではなく、穏やかな笑みを浮かべていた。
「これからは、ずっとここで私たちと一緒です」
旅人は声を出そうとしたが、喉から音は出なかった。
案内人はゆっくりと旅人に近づき、優しくその体に触れた。すると、旅人の体は硬く、冷たくなっていくのを感じた。
「あなたはもう、旅をする必要はありません」
案内人は人形を撫でながら愛おしげに言った。
「この屋敷の、大切なお客様です」
窓の外では、依然として雪が降り続いていた。
旅人は、自分の体が次第に人形のように動かなくなっていくのを感じながら、永遠にこの屋敷に留め置かれることを悟った。
今夜も、新しい客人をもてなすための鍋が用意されるのだろう。そして、また一人、この屋敷に永遠の客が増えるのだろう。
人形になりつつある身体の中で、初めて旅人は涙を零した。
その涙が地面の底で雪の結晶のような形をつくって、ゆっくりと消えていった。