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ガラスのような貴方 第8話
決意した翌日、早速福田先生に話しかけようとした……が、距離感に気をつけると言ったのは自分なのに話しかけるのはどうなんだと思い、話しかけることが出来なかった。それからは、成績をつけたり通知表をまとめたり学期末あるあるの仕事に忙殺され、気づいたら終業式の日を迎えていた。わざわざ再登校してから部活があるため絶望した顔で帰る生徒や、通知表が良くてウキウキな生徒たちを見送り、とりあえず技術教師としての1学期は終わった。そう、「技術教師としては」。今月末には担当する剣道部の女子団体の県大会があるためその指導もあるし、県大会当日の動きを確認してプリントにまとめて生徒に配布しなければならない。夏休みに入ろうが、少なくとも7月中は休めない。それからも普段より頻度は減らしたが部活は普通にあるし、予定表を作った俺が言うのもなんだがめっちゃ休みたい。あとは、毎年の夏休み恒例、三者面談。
「終わりましたね、1学期」
「結構あっという間でしたね」
教室の戸締まりを終えてから職員室に戻ると、先生たちが談笑しながら各々で弁当を食べていた。ただでさえ早起きなのに弁当を作るとなるともっと早起きになるため、学期末はこういうところが面倒くさい。
「本間先生、律儀に毎日お弁当作っててすごいですね」
ひとりで黙々と食べていると、美術の三井先生に声をかけられた。
「一回コンビニ飯とかにしたらずっとそんな感じになっちゃいそうだし。ていうか、三井先生は旦那さんが作ってくれてるでしょ」
「まあね」
そう言って結婚指輪のはめられた左手を振る三井先生の顔には、幸せそうな笑みが浮かんでいる。俺もいつか、こんな笑顔で好きな人と一緒にいられるようになるんだろうか。弁当を食べる手が止まり、ふと考え込む。
「どうしました?」
「何でもないです。お幸せに」
「ありがとうございまーす」
そこで会話が終わり、俺は弁当を食べることに集中する。今はまだ11時半。1時になったら生徒たちがまた投稿してくるから3時半か4時ぐらいまで部活…だけど暑いから休憩多めに。大会の手続き系はほとんど済んだし、もう夏休みに入るから残業してやるような仕事もないから5時には退勤。うん、退勤したら福田先生に声かけよう。そう考えながら弁当を食べ終わり片付けていると、ズボンのポケットに突っ込んでいたスマホが震える。メッセージの通知が来たらしい。取り出して確認すると、
「……えっ」
送り主を見て、思わず声が漏れる。慌てて口元を抑えてトーク画面を開き、内容を確認する。
『今日、よければ夜飲みに行きませんか』
嘘だろ、とまた口が動きそうになり、一旦深呼吸して落ち着く。
『俺、5時に退勤する予定なんですが先生は何時頃退勤する予定ですか?』
と打ち込み、送信する。すぐに既読がつき、返信が来た。
『5時半頃です』
『わかりました。俺、一回家帰って車置いてから行きます。店、どこがいいとかありますか?』
飲みに行く=酒を飲むということなので、車では行けない。そう思いつつ返すと、どこかの居酒屋のホームページが送られてくる。
『ここでお願いします』
『了解です。そこの最寄り駅に6時頃集合で大丈夫ですか?』
『大丈夫です。ではまた』
その返信にグッドの絵文字のリアクションをして、スマホを閉じる。よし、これであっちい剣道場の中での練習も耐えられそうだ。
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「あ、先生」
「すみません、遅れてしまって。この駅いつも使わないので」
「いえいえ。わざわざありがとうございます」
夕方。一度家に帰ってシャワーを浴び、乗り換えで少し迷いつつ電車に乗って福田先生から指定された居酒屋の最寄り駅まで来た。改札を出ると、先生がこっちに向かって手を振ってくれた。
「行きましょうか」
「はい」
一応普通に話せてはいるが、やっぱりどこかぎこちない。気がする。福田先生に着いて行き5分ほど経つと、おしゃれな提灯がかかった木目調の看板の居酒屋に到着した。
「ここ、全室個室なんですよ。雰囲気も落ち着いててお店の中も割と静かなので、好きなんですよね」
「そうなんですね」
緊張のせいか、声が硬くなってしまう。店に入ると、暖色系の照明がついていて柔らかい光で店内が満たされていて、どの個室の入り口も少しずつデザインが違って、まあなんというか、とりあえずおしゃれだった。
「何名様ですか?」
「二人です」
「承知致しました。こちらのお席にどうぞ」
品のいい感じの若い女性の店員さんに案内され、個室に入る。椅子も座り心地が良い。
「おしぼりとお冷になります。お品書きはこちらに、注文はテーブルの上のタブレットからお願いします。お箸などはここが引き出しになっていますので、そちらから取り出してください。ごゆっくりどうぞ」
店員さんが説明を終えて行ってしまうと、俺たちの間には沈黙が流れた。
「とりあえず、なんか頼みましょうか」
「ですね」
微妙に気まずい空気の中メニューを開き、目を通す。
「俺はとりあえず、レモンサワーかな」
「私はハイボールにします。注文、やりますよ」
「ありがとうございます」
何を食べるかも一旦福田先生に任せ、注文をしてもらう。頼んだものが来るまでの間、また何を話したらいいのかわからなくなる。が、勇気を出して俺から口を開いた。
「あの」
「なんでしょう」
「どうして、今日誘ってくれたんですか?」
俺はまず、一番気になっていたことを聞いた。福田先生の目線が少し下に下がり、静かなトーンで話し出す。
「しっかり、話をしたいなと思いまして。先日はすみません、突き放すような言い方をしてしまって。傷つけて、しまいましたよね」
突然そう頭を下げられ、俺は面食らう。
「いや、別に。ていうかこちらこそすみません。ちゃんと先生の話も聞かずに出て行って、俺が子供でした」
「いえ、私が悪いんです。人の目を気にして、結局あれから今日まで話しかけることもできなくて」
「でも先生は悪くな——」
「お待たせしました。レモンサワー、ハイボール、冷やしトマトとピリ辛きゅうりです」
堂々巡り、というところで店員さんがお酒や食べ物を運んできてくれた。ひとまず乾杯し、深呼吸して落ち着く。
「こういうのは、言い始めたらキリがありません。お互い謝って、それでもうこの話は終わりにしましょう。ごめんなさい」
「ごめんなさい」
落ち着いたところで、俺から謝り合いを終わらせた。
「実は、謝りたかったっていうのもあるんですけど、もう一つ本間先生に話しておきたかったことがあって」
「あ、はい。なんですか?」
「私の昔の話と、私自身について」
レモンサワーを飲もうとジョッキを持った手が、止まった。