公開中
あの子の願い事
織姫と彦星♩
※本作には、いじめや事故に関する描写が含まれています(PG12相当)。
**1. 傲慢な日常**
「今年の七夕飾り、うちのクラスの担当だから。
各自、今日の放課後までに短冊に願い事書いて、後ろの竹に結んどいてね。
あ、ふざけた内容とか、下品なのはナシだからな」
担任の、いかにも仕事が増えて迷惑だと言わんばかりの気だるげな声が、
ジメジメとした午後のホームルームに響き渡った。
ガラガラと音を立てて教員用の上履きが廊下へ去っていった瞬間、
教室を緊張させていた薄い膜が破れ、一気に騒がしい熱気が湧き上がった。
七月の教室は、エアコンの効きが悪く、高校生たちの汗と油の匂いが混ざり合って澱んでいる。
教室の後方には、天井の蛍光灯に届きそうなほど立派な、青々とした笹の竹が一本、
無機質なコンクリートの壁に寄り添うように固定されていた。
教卓の上には、赤、青、黄色、ピンク、緑といった鮮やかな短冊が、
まるで引き裂かれた花びらのように雑然と散らばっている。
「ねえ、〇〇は何て書く? やっぱり『イケメンの彼氏が欲しい』とか、そういうやつ?」
椅子の背もたれに逆向きに座り、長すぎる前髪を指先で弄びながら、取り巻きの女子
――サキが話しかけてくる。
その隣では、もう一人の取り巻きであるミホが、手鏡で自分のリップを直しながら
「〇〇なら『次のテストでクラス首位』とかじゃない?」
と、おべっかを使って笑った。
私――〇〇は、手元にあった鮮やかなピンクの短冊を爪先でチキチキと弾きながら、
フンと鼻で笑って見せた。
「そんなの、わざわざ短冊に書かなくたって、そのうち手に入るし。つまんないじゃん、みんなが書くような普通の願い事なんて。
神様だって、そんな退屈な願い事、いちいち読んでる暇ないでしょ」
私はそう言いながら、視線を教室の最果てへと移動させた。
窓際の、一番後ろの席。結露したガラス窓のすぐ横に、
クラスの「底辺」に君臨する少年――✖︎✖︎が、周囲の喧騒から完全に遮断された世界に生きているかのように、
小さくなって座っていた。
✖︎✖︎は、とにかく私の癪に触る存在だった。いつも袖口が擦り切れた制服を着て、
机の上にはボロボロになるまで読み込まれた、得体の知れない小難しい参考書を広げている。
話しかけてもまともに目も合わせられず、「あ、う、うん……」と喉を詰まらせて吃るだけ。
そのくせ、たまに私たちが声をかけると、ひどく怯えた、それでいてどこか私たちを見下しているような、
拒絶の光を瞳の奥に宿すのだ。
暗くて、どんくさくて、生きているだけで教室の空気を淀ませている、クラスの不純物。
だから、私たちが少しだけ「教育」を施してあげていた。
教科書の見開きいっぱいにマジックで誹謗中傷を書き殴る。
上履きを泥まみれにして女子トイレのゴミ箱に捨てる。
すれ違いざまにわざと激しく肩をぶつけ、床に落ちた鞄を蹴り飛ばす。
どれも、退屈で息が詰まりそうな学校生活を乗り切るための、ちょっとした娯楽。
私たちのグループを結束させるための、不可欠なスパイス。
あいつが怯えて涙目を浮かべ、小さく震えるたび、私は自分がこの教室の支配者であるという、
歪んだ全能感に満たされるのだった。
「あ、そうだ。いいこと思いついちゃった」
私は不敵な笑みを浮かべると、
机の上に転がっていた黒い太字の油性マジックをひったくるように掴んだ。
カチリ、とキャップを外す音が、妙に鋭く響く。
「ちょっと、〇〇、それ本気……?」
サキが私の手元を覗き込み、わざとらしい、けれど興奮を隠しきれない短い悲鳴を上げた。
私はピンクの短冊の真ん中に、定規で引いたように冷酷な、
一文字ずつ力のこもった太い文字を書き殴っていった。
**『✖︎✖︎くんが死にますように』**
「キャハハ! ちょっと〇〇、サイテーすぎるって! マジでウケるんだけど!」
「でもさ、あいつ本当に消えてくれたら、クラスの空気もスッキリするよねー。
視界に入るだけでテンテンション下がるし」
ミホとサキの品性のない笑い声が、私の背中を心地よく押す。
私はその声を極上の賛辞として受け止めながら、我が物顔で教室の後ろへと歩み寄った。
笹の竹の前に立つと、他のクラスメイトたちが書いた「部活でレギュラーになれますように」とか
「家族が健康でいられますように」なんていう、反吐が出るほど生ぬるい短冊が視界に入る。
私はそれらを細い指先で乱暴にかき分け、一番目立つ、誰もが目を留めるであろう目の高さの枝に、自分の書いたピンクの短冊をしっかりと結びつけた。結び終えて、満足感に浸りながら振り返った、その瞬間だった。
ちょうど、窓際の席から✖︎✖︎がこちらをじっと見つめていた。
いつもならすぐに目を逸らすはずのあいつが、その時だけは、信じられないものを見るような、深く暗い瞳で私のピンクの短冊を見つめていた。そして、私と目が合うと、全身を激しく震わせてガタガタと歯の根が合わない音を立てた。私はあいつの怯えきった表情がたまらなく愛おしく、そして滑稽に思えた。私はあいつに向かってゆっくりと歩み寄り、机に両手を突いて、顔を近づけた。
「何見てんのよ、ゴミ。早くあなたも書きなよ。
『いじめられなくなりますように』ってさ。あ、でも、私の願い事の方が先に叶っちゃうかもね?」
私がクスリと笑うと、✖︎✖︎は弾かれたように下を向き、爪が白くなるほど机の端を握りしめた。
そして、そのまま鞄を乱暴に掴むと、教室のドアを激しく開けて飛び出していった。
バタン、と閉まる衝撃の音が教室に響き渡る。その無様な背中を見送りながら、
私は胸の奥がすっと軽くなるような、最高の快感を覚えていた。ただの冗談だ。
ちょっとした嫌がらせの延長線だ。神様だか、織姫だか、彦星だか知らないが、
こんな子供の悪口みたいな願い事を本当に叶えるわけがない。
明日になれば、またあいつはいつものように陰気な顔で登校してきて、私たちはいつも通りの退屈しのぎを始める。その時の私は、本気でそうタカをくくっていた。
自分の放った言葉が、どれほど冷酷な刃となってあいつを追い詰めているかなど、微塵も考えずに。