公開中
3-6 魔法の「初心者」
「小屋?」
俺たちが転移したのは、年季の入った小屋だった。少なくとも、拠点という感じはしない。
「ええ。とても拠点だとは思えないでしょう? だからですよ。他者の目を欺ける」
小屋の中には、小さな机と椅子があった。
「座ってください」
「ああ」
アシュトンが勧める通りに椅子に座った。小さく、木がきしむ音がする。
「まずは魔法を使えるようになっていただきたい。以前の……あなたは、人より早く魔法を使えるようになっていました。きっと、今回もすぐに使えるようになるはずです」
アシュトンが魔法を実演して見せる。
アシュトンの手の中で、水が気体から液体へ、液体から固体へ状態変化した。
魔法を使うにはそのためのエネルギーがいる。今ので、それがどんなものなのか大体分かった。魔界に満ちているものと同じだ。その辺にある力をうまく使えば、たぶん魔法が使える。
「こんなもんか?」
水蒸気を一気に凍らせ、きらきらとした氷の粉を降らせた。
魔法を使うための力――名付けて魔力か。
後は魔力を自分で作れるようになれば完璧だ。
たぶん、前の俺はそこまでやっていた。でもなければ、邪術が使えない状態で積極的に戦おうとしない。
俺は地獄の月との接続を切った。なぜかは分からないが、邪気の量がかなり減っている。魔法という戦うための手段も手に入れたし、邪気は温存しておきたい。
「――素晴らしい。魔法の発動はスムーズで、魔力の流れも淀みなく、威力も十分。これなら今からでも実戦で使える。まあ、俺の研究に付き合ってもらうが」
そう言って現れた男は、俺にずんずん近づいてきた。
俺がさっと距離を取ると、アシュトンが俺と男の間に入った。
「待ちなさい、ヒューゴ。まだ説明や顔合わせが済んでいませんよ」
「全員が同時に揃う日がいつある? 年に一度程度だろう。顔合わせで時間を無駄にするのは、俺が許さん」
ヒューゴと呼ばれた男は、冷たい声で反論した。
「説明が、」
「俺がする」
アシュトンの言葉を遮って、ヒューゴは自分の考えを言いきった。
アシュトンはため息をついて、重たい口を開く。
「……分かりました。ただし、条件があります」
ヒューゴは無言で続きを促した。時間が一秒、また一秒と過ぎる度に、その目つきが鋭くなっていく。
「彼の魔法技能を伸ばすこと。それがじょ――」
「分かった。行くぞ」
「ぇ」
アシュトンが言い切るのすら待たずに、ヒューゴは俺を巻き込んで転移した。
「っとと」
足元にある紙を踏まないように足を上げると、バランスを崩しかけた。
「足元は気にするな。全て単なる落書き、本当に重要なのは机の上にあるものだけだ」
ヒューゴが慣れた様子で歩き、机の上の資料に手を伸ばす。
それに伴って俺の視線が上に上がると、今いる場所の全容が見て取れた。先ほどと同じように、特別なところは何もない普通の小屋。中にあるのは寝床、机と椅子、床や机の上に紙。
「先ほどの魔法を見たところ、魔法を使うのに不慣れなようだな。あれだけのものを使えるのに奇妙なものだ」
口を動かしながら、ヒューゴはそれ以上に素早く机の上の資料を漁る。目的のものを見つけたのか、彼はお喋りをやめた。
「初心者用だ。魔法の使い方を簡潔にまとめている」
ヒューゴが俺に渡したのは、薄い紙の束だった。左上が軽く留められている。
パラパラとめくってみると、なるほど、確かに初心者用と言うだけあって図が多く、分かりやすそうだ。
「日が昇るまでに頭に入れろ。今日やるのはその先だ」
「分かった」
返事をするや否や、俺は資料に集中した。意識の一部を周囲に向け、それ以外を資料に向ける。
「ふむ。魔法とは、世界の一部を書き換える力……噛み砕くと、変えられるところを自由にいじれる力ってところか」
専門用語はほとんど使われておらず、読み進めるのは難しくなかった。ただ、それと理解できるのとは話が別で。
「魔力さえあれば世界が見える。世界の移り変わりによって刻々と変わっていく値、それを書き換えるのが魔法……俺、魔力とか分かんねぇ」
俺は周囲の魔力を取り込んで魔法を使う。故に、周囲に魔力がほとんどない場所に行けば、俺は魔法を使えない。
ここで魔法を発動させようと思っても、全く発動する気配はなかった。ここは魔力がない場所――人間界であるらしい。
端的に言えば、俺は魔力を持たない。だから、魔力が何かを分かっている相手にする説明をされても、理解できない。
基礎の基礎が抜け落ちている状態だ。
ヒューゴがここへ転移してきたので、良質な手本は見られたが。でも、一度だけでは心もとない。
資料を隅から隅まで眺めてみても、魔力の生み出し方に関する記述は出てこなかった。
魔力があることは前提だ。魔力がなければ魔法は使えないし、魔力を持たない者が外の魔力に干渉できることはない。俺という例外がある以上、基本はと付くが。
魔力も邪気も、世界を書き換えるという点では同じ力だ。違うのはその強度、持続力。
ならば、邪気から魔力を精製できるのではないか?
邪気をひとつまみ取り出す。必要なのは、世界を書き換える力を薄めたものだけ。それ以外は捨ててしまっても構わない。
世界を書き換える力。邪気には、それが高い密度で含まれている。この密度を下げれば、魔力のような力になる――というのが俺の予想だ。
圧縮解除。その瞬間、取りだした力が一気に広がった。見覚えのある力。成功だ。
「環境による魔法の成功率や消費魔力の変化……乾燥した場所で水を取り出す魔法を使っても、失敗しやすいし消費する魔力も多くなる。そして、取り出せる水の量も少ない、か」
まあ、当然のことだな。無から有を生み出すことはできない。俺の邪術で何かを生み出したように見えた時でも、それは一時的なものだ。本当にそれができるのは、神ぐらいだろう。
乾燥したところで湿気の多いところと同じ効果を出そうとすれば、より広い範囲から水を集める必要がある。
「魔力密度による魔法の持続時間の変化……魔力密度が大きかったら持続時間が長くなるってことか」
あれだけの数の資料があるのだ。かなり専門的な研究をしているはず。
初心者に分かりやすいよう、専門用語を避ける配慮をしてくれたのはありがたかった。
「模擬魔獣使役時の魔法行使について。ほう、模擬魔獣が死んだ後は体を構成していた魔力が散るのか。それをうまく利用すれば、人間界でも自分の魔力を消費せずに済む――ちっ、時間が経たないと散らないのか」
俺はアシュトンとの契約で、模擬魔獣を連れないことになっている。だからこの話は関係ない。覚えておく必要はないが、知識はあって困るものでもない。一応覚えておこう。
資料の大半は、魔法のことを何も知らない人間がすぐに魔法を使えるよう、あらかじめ組まれた魔法で埋められていた。この通りに魔力を動かして世界に干渉すれば、よほど下手でない限り魔法が使える。
資料を一読し、取りこぼした知識がないかもう一度読み返して確認する。
なさそうだ。
「終わったぞ」ヒューゴに報告する。
「ふむ。早かったな」
ヒューゴが窓の外を指差すと、ちょうど日が昇るところだった。
空が白み、夜の闇が光によって切り裂かれる。
「見ろ。ちょうど夜明けだ」
視線を下の方へ向ける。どうやら、ここは森や草原のようだ。木が少し生え、背の高い草が辺りを覆っている。
俺が外を見ている間、ヒューゴは机の上の資料を集めていた。
「読め。明後日までに、俺についてこられるところまで引き上げなくてはならない」
そうして渡された資料は、ずしりと重たかった。
「心してかかれ。一つたりとも取りこぼすな」
そんな無理難題が耳の奥に残った。
「魔力変換の法則により、魔力が目的の事象へ全て変換されることはない。変換されなかった魔力はどうなったのか不明……消えたのか、観測できなくなったのか。
また、変換効率を上げることも急務である。今のところ見つかっている方法は、魔力密度を大きくする、魔力を緻密にコントロールする、ね」
乾いた口を閉じ、唾で一旦湿らせた。
資料の内容を読み上げて、頭に叩き込む。途中で新しい情報を受け入れることを拒否し始めた頭に、新しい情報をねじ込むための苦肉の策。
ちらりと横目でヒューゴを見ると、彼は難しい顔をして静かに資料と睨み合っていた。
俺の声は結構うるさいと思うのだが、注意されたことは一度もない。それだけ集中しているのだろう。
魔力密度を大きくするのも、魔力操作の精度を高めるのも、必要な場所の魔力密度を高めるという点では同じだ。このアプローチさえ覚えていれば、新しい方法などいくらでも見つかる。
「やっぱり、観測できなくなった魔力を観測するのも大事だよな」
思考を言葉にして整理する。
邪術を使えば観測できるかもしれない。『|理を知る《バエル》』では少し力の方向性が違うか。『|世界支配《キマリス》』も合わせればいけるだろう。
思考がどんどん深まっていく。
まるで深い海に沈んでいくようだった。どれだけ考えても、底が見えない。それどころか、遠ざかっているような感じすらもある。
「逃げるぞ」
突然のヒューゴの言葉で、時間の感覚がなくなるほどに集中していた俺の意識は浮上した。
今までの集中の対価を払えとでも言うように、なんだか頭がぼんやりする。
ヒューゴは小屋中に散らばった資料を魔法で手元に集めた。その流れのまま、転移を発動する。有無を言わさず、俺も飲み込まれた。
「観測できなくなった魔力を観測する」
この言葉、覚えておいてください。この作品が第二部、第三部と続くことになった時、大切な要素として再登場する――かもしれません。
次回予告。
先走った結果、ノルとの関係を壊すことになった彼だって、何もしないわけじゃない。
ノルを探そうとする動きはある。
実際、彼は、ノルのすぐそばまで迫った。
次回、幕間三 「任せる」