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❉第1話 夢見の子
山深く霧のかかる地に、ひとつの里があった。
名を|夢森《ゆめもり》という。
都から遠く、旅人も迷い込まぬほどに隔絶されたその地には、古より"夢"と"妖"にまつわる伝承が生きていた。
"夢は魂の入り口。
眠りは命を預けること――
故に、夢に踏み入る者には、禍もまた入り込む"
そう語り継がれてきたこの村で、少女・|千歳《ちとせ》は生まれ育った。
十五の歳。
人より幾分背は低く、顔立ちは整いすぎているほどに清らかで、黒髪は月のように艶を持ち、何より目元に、紫がかった光が揺れていた。
その瞳こそが、千歳の"異能"の証であった。
千歳は、生まれつき他人の夢に入り込む力を持っていた。
ただし、それは意識して操れるものではなく、眠ればいつの間にか他人の夢へと迷い込み、朝になれば戻ってくる。
夢の中での記憶も、鮮明に残る。
笑い声、涙、願い、恐れ――そういった感情に触れたまま、彼女は目を覚ますのだ。
かつてその力を、村人たちは神の贈り物と称した。
"夢見の子"と呼ばれ、祝福された存在とされたこともあった。
けれど、それは幼い頃の話。
千歳が十を超えたあたりから、次第に村の人々は距離を置くようになった。
「夢の中で声を聞いた……あれはお前だろう」
「私の秘密を知っているのは、あの子だけだ」
「呪いじゃないか?祟りじゃないか?」
最初はささやきだった。
それがやがて、確信となり、恐れとなり、忌避となった。
それでも千歳は、夢の中で人々の"願い"や"悩み"を見てしまう。
どうしても無視できず、声をかけてしまう。
結果――「なぜ私の夢を知っているのか」と責められる。
そうして彼女は、"夢に巣くう禍"と見なされるようになっていった。
そして、それが決定的となったのは、ある夜のこと。
村の少年が突然倒れ、昏睡状態に陥った。
その夜、千歳は彼の夢に入り込んでいた。
黒い霧の中、少年が泣きながら何かを叫ぶ夢だった。
彼を呼び、手を伸ばした――その直後に目が覚めた。
朝になり、千歳がその夢の話を巫女頭に告げると、事態は一気に動いた。
「……|禍ツ神《まがつかみ》の影がある」
「夢見の子が"扉"を開いてしまったのだ」
「このままでは、村全体が壊れる」
そう巫女頭は告げ、神事を行うと宣言した。
それはすなわち――生け贄として、千歳を"山の神"へと差し出すということだった。
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その夜、千歳は泣かなかった。
茅葺きの小屋にひとり閉じ込められ、縄で手を縛られながらも、ただ静かに目を閉じていた。
(私が……悪いのだろうか)
誰かを傷つけたつもりはなかった。
夢に入りたくて入っているわけでもなかった。
けれど、その力は知らぬ間に誰かの秘密を暴き、恐れさせ、命を脅かす存在になっていた。
(それなら、せめて……)
「……せめて、ちゃんと、終わらせてほしい」
ぽつりと呟いた時だった。
ふと、空気が変わった。
外に誰かの気配がした。
ひらり、鳥が羽ばたくような音とともに、戸が音もなく開いた。
「おや。こんな夜に、ずいぶんと冷えておるのう」
低く、どこか楽しげな声。
千歳が目を開けると、そこにいたのは、赤い衣に金の面を被った――狐の妖だった。
三本の尾がゆらりと揺れ、目元からは氷のように冷たい銀の光が覗く。
「初めまして、"夢見"の子」
その妖は、優雅に頭を下げた。
「拙者の名は|銀燈《ぎんとう》。百鬼の一柱にして、夢渡りの案内人じゃ」
「……妖?」
「うむ。妖よ。して、これより山の神に差し出される哀れな娘とお見受けしたが、違うかの?」
千歳は、かすかに首を振った。
「違わない……けど、なぜ、あなたがここに?」
「退屈しのぎじゃよ。いや――いやいや、冗談。わしがこうして来たのは、お前に"|契《ちぎ》り"を求めるためじゃ」
「契り……?」
「うむ。簡単に言えば、お主とわしが"共に歩む"ということ。わしの力でお主を連れ出す代わりに、共に旅をしてもらう。――悪い話ではなかろう?」
銀燈は面の奥で笑ったように見えた。
「夢見の力、それは"門"を開く鍵となる。お主のような存在が、このまま潰されるのはもったいない」
千歳は、しばし迷った。
この狐を信じていいのか。
そのまま死を受け入れるべきなのか。
けれど、その時彼女の耳に届いたのは、遠くから響く祭囃子の音。
――迎えが来る。
もう、時間はない。
「……わかりました。契ります。私の命を、あなたに預けます」
「よろしい」
銀燈は袖を翻し、彼女の縄をするりと解いた。
「では、契りの印として、名を問おう。名を答えよ、夢見の子よ」
「千歳……千歳です」
「ふむ。良い名じゃ。ならば、行くぞ、千歳」
狐の妖が指を鳴らすと、世界がぐるりと反転した。
霧が渦巻き、茅葺きの小屋が消えていく。
気づけば、千歳の足元には石畳の道が伸びていた。
月明かりが、狐と少女の影を並べて照らしている。
「これよりお主は、夢を渡る旅人となる」
銀燈が囁くように言った。
「――禍を祓い、夢を紡ぎ、己の道を見つけるがよい」
千歳は、そっと目を閉じて深く息を吸った。
恐れはあった。
けれど、それ以上に、自分の力の意味を知りたいという願いが芽生えていた。
そして、今。
それを共に歩む者が、ひとりだけいた。
たとえそれが、妖だったとしても――。
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その夜。
夢森の村では、神事の間、巫女たちが"供物の不在"に気づくことはなかった。
ただ、神殿の奥、石畳の上に、一枚の白い紙が残されていた。
そこには、こう記されていた。
『夢見の子は旅に出た。
鍵は目覚め、門は開く。
綴れ、この夜を。百鬼とともに。』
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます❤︎
初投稿で至らない部分が多いと思いますので、ファンレターでアドバイスや感想を頂けたらとっても嬉しいです ꒰⸝⸝•。•⸝⸝꒱
これからもよろしくお願いします♫