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第1話:十センチの境界線
イーストン魔法学校。選ばれしエリートが集うこの学び舎において、アドラ寮の一室は、今まさに「嵐」に見舞われようとしていた。
「よっしゃあああああ! 今日からここが俺様の城だわな! 薔薇色の学園生活、モテ期到来、カモン女子ィ!!」
扉を蹴破らんばかりの勢いで現れたのは、燃えるような赤髪を逆立てた少年、ドット・バレット。
しかし、彼の絶叫は、部屋の先客と目が合った瞬間に霧散した。
「……うるさい。万死に値するわよ、脳内ガキ」
部屋の中央。冷え切った冬の月のような瞳が、ドットを射抜く。
黒を基調とした制服を隙なく着こなし、右目の下にはアネモネの花を模した、独特な形状のアザ。
少女――アネモネ・ロストは、不快そうに眉を寄せ、手元の魔導書をパタンと閉じた。
「……は? え、待て、女子!? しかもめちゃくちゃクールで可愛いじゃねえか! 神様サンキュー! ついに俺の時代が――」
「……別に、あんたのためにここにいるわけじゃない。手違いか定員の関係か知らないけれど、今日から同室。……それと」
アネモネはツカツカとドットに歩み寄ると、ぐい、と顎を上げて彼を見上げた。……正確には、見下ろそうと背伸びをした。
「私の身長は169センチ。あんたより高いんだから、生意気な口は叩かないことね」
実際には、ドットの視界にある彼女の頭頂部は、彼の鼻先あたりに位置している。
誰が見ても明らかな、あまりにも拙く、そして健気な嘘。
アネモネ・ロスト。その「毒」の魔法ゆえに、実の親からも「不吉」と見捨てられ、独りで生きるために作り上げた、精一杯の虚勢の|城壁《プライド》だった。
普通なら鼻で笑われるか、即座に論破される場面。
けれど、ドット・バレットという男は、普通ではなかった。
「……へぇ! 169センチか! すげえな、モデル並みじゃねえか! さすが俺のルームメイトだわな、最高にクールだぜ!」
ドットは疑うどころか、太陽のような笑顔で親指を立てた。
アネモネは絶句する。これほどまでの「全肯定」を、彼女は16年の人生で一度も受けたことがなかった。
「……脳内ガキどころか、脳内お花畑ね、あんた。……死ねばいいのに」
慌てて顔を背ける。
頬が熱い。毒系魔法使いの彼女が、生まれて初めて「中和できない熱」に当てられた瞬間だった。
「ひでえ! 出会って三秒で死刑宣告!? ……お、そうだ、俺はドット・バレット! お前の名前は?」
「……アネモネ。アネモネ・ロストよ」
彼女が名乗った瞬間、部屋の空気が微かに震えた。
彼女の指先から、無意識に「毒の茨」の先端が顔を覗かせる。近づく者を拒絶する、彼女の防衛本能。
しかし、ドットはその棘を恐れる様子もなく、ずい、と距離を詰めた。
「アネモネか! いい名前じゃねえか! よろしくな、相棒!」
「……っ、近寄らないで。私の魔法、何だか知ってるの? 触れたらただじゃ――」
「知るかよそんなん! お前が俺のダチで、最高にクールな169センチだってこと以外、知る必要ねえだろ!」
ドットの屈託のない笑顔。その「悪意」の欠片もない輝きに、アネモネの魔法はピクリとも反応しない。
毒を吐くことすら許されない、圧倒的な光。
(……なんなのよ、この生き物。調子狂うわ……)
アネモネは、心臓の鼓動がいつもより少しだけ速いことに気づかない振りをしながら、再び椅子に座り直した。
窓の外では、夕陽がアドラ寮を赤く染めている。
「太陽」のような少年と、「月」のように静かな少女。
正反対の二人が綴る、物語。
その幕は、たった十センチの嘘と、それを包み込む全肯定の光によって、今、静かに上がったのだった。
「あ、そうだアネモネ。腹減ってねえか? 隣の部屋のマッシュって奴が、シュークリーム余ってるってよ」
「……別に。万死に値するわよ」
「わはは! 素直じゃねえな! 行くぞ!」
ドットに腕を引かれ、アネモネは初めて「居場所」という名の光の中へ、一歩を踏み出した。
🔚