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消えないしみと
言葉の暴力とかいじめとかが含まれてるけど、そういう行為を推奨している訳では無いので、そこだけ勘違いしないでね、という注意書き。
2025/08/26
うちのクラスでいじめが始まったのは、5月からだ。私は主犯格でもなんでもない、いうならば村人的存在だった。いじめを止めるようなヒーローにはなれない。いじめが良いことだなんて思っていないけれど、どうしようもできなかった。
今日も学校があって、いじめがある。そう考えると胃がムカムカした。真っ赤なランドセルを背負い、家を出た。朝の空気は冷たく、私の頬を容赦なく叩いてくる。10月の中旬、つい先日まで暑かったのに、秋を挟むことなく冬になってしまっているみたい。そんなことを思いながら、学校に向かう。
教室のドアを開けた。ガラガラ。大きな音が鳴るも、それに耳を傾ける生徒はいない。クラスメイトたちはみんな、友人と楽しげに談笑しているからだ。私は教室の真ん中に位置する自身の席に座った。ランドセルから教科書やノートを取り出す。私の周りからは音が溢れ出ていたが、私の空間は、ここにだけなんらかのバリアがあると錯覚してしまうほど静かだった。
私には友人がいない。けれどいじめられているわけではない。私はいじめるに値するほどの人間ではないと思われているのかも知れなかった。まるで空気だ。それは寂しくもあるけれど、なんとなく居心地が良くもあった。
10分ほどすると、チャイムが鳴り響いた。担任が教室に入ってくる。だが、誰1人として席に座ろうとせず、会話を続けていた。担任が「みんな、席についてください。」と言っても、聞こえていないみたいに。この光景に、手足が重くなった。いじめが始まる。今日も。みんなの悪意に満ちた顔と、担任の疲れ果てた声。「座って、みんな。」担任が再度言う。「はー、なんで?」クラスの中心的な生徒である咲口美波が反抗して、他の生徒もヤジをとばした。「偉そうに言うなよ。」だとか、攻撃的な言葉が担任に投げつけられた。「…じゃあ、このまま話します。聞かないで困るのは君たちだからね。」担任は茶色っぽい長い髪の毛を揺らし、教室の中を見回した。私と目が合うと、口を固くつぐんで数秒黙った。その後、自身の手元に視線を落とし、話を始めた。
「まず____。」クラスメイトたちの声に遮られ、よく聞こえなかった。
8時50分から、授業が行われる。
「今日は割り算の勉強をします。」
「そんなん知らねえよ。」「興味ないし、だまれ。」担任は口元を歪めた。それを見て、咲口美波が高い声を出して笑う。
「傷ついてんの?メンタル弱すぎ。きもちわるい。」
担任は泣きそうな顔になった。でも、泣かなかった。黒板の方に体を向けて、チョークを走らせていた。カッカッという荒っぽい音はなんだか私を不安にさせた。「聞かないで困るのは君たちだからね。」担任はさっきと同じことを言った。さっきよりも小さな声だった。
給食の時間になった。この時ばかりはみんなきちんと席に座る。
給食当番がお皿に料理を入れて、クラスメイトの持っているおぼんに置く。咲口美波が、味噌汁をお椀に入れながら取り巻きたちと話していること以外、他のクラスと全く同じだ。
担任がおぼんを持って列の最後に並んだ。普通はクラスメイトの誰かが担任の分の給食を持っていくのだが、みんなそれをやろうとしないので、担任自身がやっているようだった。普段は担任に反抗するクラスメイトたちも、給食の時は無害だった。あえて担任の分のおかずを残さなかったりとか、嫌がらせをしようと思えばいくらでもできるのだが、そんなことをしたら自分たちが食べる時間が減るかも知れない、とか色々と考えているんだろう。平穏になる。
担任がメインのおかずと白米、牛乳をとって、最後に咲口美波から味噌汁を受け取ろうとした時だった。咲口美波が、「あー!」と叫びながら、担任に味噌汁をぶちまけた。咲口美波以外の全員が息を飲み、固まった。熱い味噌汁が全身にかかった担任は、訳のわからない悲鳴をあげながら走って教室を出ていった。
「み…なみ、今のはちょっとやりすぎじゃない…。」取り巻きの1人が言った。咲口美咲は可愛らしい笑顔を浮かべながら答えた。「そうかな?まあ運が良ければ顔に火傷を負ってるかも知れないね。そしたらもう調子乗れないね。うふ。さあ、ご飯食べよう。」咲口美波が給食着を脱ぎかけた時、教室に男の先生が入ってきた。
「どうした!?叫び声が…。」途端に、咲口美波は泣き出しそうな表情を作った。
「私が、先生にお味噌汁かけちゃって…手が滑って。」俯き、鼻を啜る音が教室に響く。「本当にごめんなさい…。」男の先生は少し慌てながら、「あ、いや、そうか、それで、先生はどこに?」と言った。咲口美波は首を横に振った。わかりませんという意味だろう。先生は私たちに、給食を食べていなさいと指示をして教室を出て行った。給食台の手前の、味噌汁の水溜まりはそのままにされていた。
咲口美波は何事もなかったかのように給食着を脱ぎ、自分の席に座って給食を食べ始めた。私たちはしばらくぽかんとしていたが、時間があと25分ほどしかないことに気づくと、急いでお箸に手を伸ばした。
そういえば、咲口美波が担任に反抗するようになった理由はなんだろう。不安で心臓が早鐘を打って、吐き気がした。それでも給食を飲み込みながら、考えた。先ほどの発言から考えると、担任が、自分よりも美しかったから?熱い味噌汁を口に含んだ。
翌日から担任は来なくなって、別の先生が担任になった。咲口美波は実に満足そうだったが、それ以外のクラスメイトたちは浮かない顔をしていた。しかしそれも数週間ほど経つと元に戻ってきた。元担任が今どうしているのか、誰も知らない。知るべきではないのかも知れない。
けど、忘れてはならない。私たちはもれなく全員、罪を犯したんだ。
教室の床には、一箇所だけ、大きなしみがある。今もある。