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夢を見る
亡くなった人について考える描写があります
手が握られている。ユオはふと気づく。
大人の手だ。大きくて冷たい、アイスクリームの匂いがする手。
ピンク色のカーディガンから伸びた白い手の、その先を覗こうとする。よく見えない。
低く鋭く咳く音、シッ、シッ、と息が歯の隙間から擦れて漏れる音。誰かが話している。靴音がする。わずかに響いて壁に吸い込まれる。複雑なようで単純な模様がどこまでも続く。目で辿っていくとくらくら目眩がした。
ショッピングモールだ。小さなユオは安心する。そして甘やかな気持ちになる。
日曜日、ぴかぴかの車、ショッピングモール、エレベーター、服、香水の匂い、本屋、フードコート、アイス、ゲーム、お人形。子供の幸せが小さな脳を蕩けさせていく。
それなのに、消失点まで伸びる両脇の店舗群には、全てに白いシートがかけられている。小さく貼られた広告のその隣に『改装中』とゴシック文字。
かえろうよ。ここつまんないよ。
ユオは言った。言ったつもりだったのに、声は掠れてシッ、シッ、と息が漏れた。
ユオは怖くなる。繋いだ手の冷たさに吸い込まれそうになる。いつの間にか自分を引き摺るようになった大きい手を、思いきり振り払った。
目が覚めた。
薄闇に染まった天井が視界を満たした。
ユオはかすかに身じろぎし、びっしょりと全身に噴き出している冷や汗の不快さに身を起こした。身体は熱く、つうと伝う冷たい汗は鳥肌が立つほど気持ちが悪かった。
夢を見ていた、と遅れた認識がやってくる。隣のベッドを窺うと、こちらに背を向ける形で規則正しい呼吸を繰り返すスゼルがいる。眠っている。
「スゼル…」
頭の回転が早く頼りになる友の名を囁きかけ、この歳になってそれはないだろうと思い直す。
コロニーに来てから、ユオはよく夢を見るようになった。今日は悪夢だった。悪夢でない日もあった。アイスクリームの匂いのする手に導かれるということだけが、全ての夢に共通していた。
夢の中ではユオは小さな子供だった。掌も脚も小さくて頼りなかった。ユオは元々未熟児として生まれた。ずっと小さいままだった。それが16の秋、父親が事故で亡くなったのをきっかけにぐんぐん伸びた。背が低いことを馬鹿にしてくる同級生が一人もいなくなった。
思い出したくない、でも忘れたくない、とユオは顔を歪める。夢の中の手は父というより母に思えたけれど、父であってほしいと思っていた。
葬儀を終えて一年が経ち、父の声を忘れた。
それも完全に忘れたのではなく、自分の記憶に確証が持てなくなった。
『ユオ』と自分を呼ぶ声、宥め諌める声、笑い声、記憶に残ってはいたのに、本当の父の声は記憶の中のこれであるのか、分からなくなった。何度も頭の中で繰り返しているうち、自分で勝手に脚色しているのではないかと思って身体の底が冷えた。
二年が経ち、父の手の感触を忘れた。
触れられていた記憶はある。それなのに、肌に伝わる感触だけが抜け落ちていた。間にスポンジを挟んだように、思い出せないもどかしさだけがフラッシュバックした。
三年が経ち、記憶の中の父の顔に霧がかかるようになった。
写真を見れば思い出せる。でもユオは見なかった。お父さんと口にしただけで、重いかたまりが喉を滑り落ちていくような悲しみに襲われたのに、写真を見られるはずがないと考えていた。
ユオが覚えているのは、父の笑った口元だけ、あたたかな皺が寄って、自分と比べて随分潤いを失った皮膚をやわらかく抓るのが、不器用な幼いユオの愛情表現だった。
「父さん…」
掠れた声が喉からこぼれてシーツに落ちた。同時に熱い涙も落ちた。ユオは静かに泣いていた。