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白飛びしたタイトル
私が紡ぐ言葉たちをあなたは綺麗だと言った あなたの唇は綺麗に動くのに
私の唇は仕事を忘れたかのようだった
小説家という職業は、世の中から尊敬されるような職業なのだろうか。世間が思う小説家とは、優雅にコーヒーを飲みながら原稿用紙に休むことなく筆を走らせる、こんなものだろうか。実際、私も小説家というものをそんなふうに妄想していた時期があった。けれども現実は、締め切りに追われ、パソコン相手に睨み合い、自分が立てたプロットに辟易しながら空想を繰り返すのである。
締切を守らない作家というのは少なくないらしい。私は、自分がいかに難解なテーマで創作していたとて、担当編集者さんだって多くの仕事があるのだからと、何とか締切を過ぎたことはない。そして、締切を過ぎても平気な顔をしている作家や、催促の電話に怒鳴り散らすような作家になるものかと、この業界に住み着いて5年、この信念だけはいまだに自分の心に持ち続けている。
大学生活の合間に、大量の課題からの現実逃避にと、小説を書いていた。そして、もしかしたら賞を受賞し、賞金が貰えるかも、という安易な考えで、大手出版社が開催した短編小説コンクールに応募した。もし、これが手垢がついたようなありきたりな展開のライトノベル小説だったのなら、私はこのコンクールで最優秀賞を受賞し、大型新人小説家として世間にその名を轟かせているところだろう。しかし実際は、3回目に応募した、大手でもない、世間に名を知らしめている有名作家を抱えているわけでもない出版社が主催するコンクールで佳作を受賞し、見事、その出版社で作家デビューすることになったのである。
必ず必要とされるものではないにしても、あった方が他人の人生が豊かになる、そんな仕事をしたいと幼い頃から思っていた私にとって、作家という仕事は天職のようなものなのだと思う。
読者が目を見開いて驚くようなトリックのあるミステリー小説や、近年流行っている、実際に実在するのではないかと読者を錯覚させるほどリアリティのあるモキュメンタリーホラーなど、物語というのは年々、奇抜な、斬新なものになっていく。特に起伏のない、どこかの誰かの何気ない、当たり前に送られるような日常を切り取って物語にする、そんな面白みのかけらもない、何万人もいる作家の端くれが書いた小説でも手にとって、温かい言葉を作者である私に送ってくれる人がいることに日々救われながら、私は作家という仕事を続けている。
担当編集者さんから、自作が刊行されたという知らせを受け、近所の書店に足を運んだ。近所では一番規模が大きく、新刊もすぐに並ぶ。店内には、読書の邪魔をしない、華美ではないけれど、洒落ていないわけでもない、そんなBGMがかかっている。白と緑を基調とした本棚が並ぶ、店内の奥、文庫本が所狭しと収められている本棚の前に立つ。新刊として刊行されたと言っても、出版社がたいして大きいわけでもなく、有名な作家が手がけたわけでもない小説は入り口の、多くの人の目に留まる場所に陳列されることなく、すぐに奥の本棚に収められることを、いったいどれほどの人間が知っているのだろう。いろいろな作家の本が指を入れる隙間もないほど詰め込まれている本棚の端の方に、私の本は、まるで何年も前からそこにいたかのように、静かに収められていた。確かに、作家を生業としている者なら一度は、どういう人が自分の書いた本を手に取るのだろうと考えると思う。けれども、書店には何千という本があって、その中の一つ、自分の本を手に取る人がいる、なんて、何千分の一の奇跡なのだろうと考えながら自作を手に取る。自分が書いたものなのだから話の展開も、着地点もすでに知っている。もちろん、自分の手がけた物語には誇りを持って世間に送り出しているし、自分の書いた物語だとしても、その中の登場人物たち一人一人に愛をもっている。けれども、実際に刊行された自作をわざわざお金を出して買おうとは思わない。それなら、有名な作家の新刊を読みたい、という思いがどうしても勝ってしまう。それでも、毎回のように自作を見にきてしまうのは、私の本はこの何千と陳列されている本の中でどれほどの印象を残すのか、見てみたいと思ってしまうからだ。そして、考えるまでもなく私の本が何千とある本の中で一際輝いているなんて現実は訪れないのである。
自作を手に取り、表紙を眺める。今風の、線が細く、どこか寂しさを匂わせる絵柄は自分が好きなものだ。けれども、それは他人の目から見ると輝きを放つことはないのだろう。私は、自分の子供に語りかけるように、もっと頑張れよ、美味しいご飯が食べられなくなるぞ、なんて本を相手に思いながら、天井の照明を受け、白飛びしているタイトルをなぞりながら書棚の前に立っていた。
書店にいると自身の時間感覚が狂ってくることを思い出す。たった30分本棚を眺めていたつもりでも2時間は軽く過ぎている。私は自作を抜き取ってできた黒く細長くて長方形の穴と、手元の自作を交互に見やり、次はどんな話を書こうか、なんて頭の隅で考えながら本を戻そうとした。
すると、がっしりとした、男性らしさを感じさせる手が私の手元まで伸びてきて、意外にも、丁寧に私から本を奪い取った。本を今戻すところだったんだから少し待てばいいのに、なんて、怒りを覚えるほどでもないが、少し不満に思った私はその手の主に一瞥をくれることもなく立ち去ろうとした。すると、
「綺麗だと思いませんか?この方が使う言葉は。」
と、男性が言った。声が聞こえた瞬間に、反射的に男性の顔を見ようとする。けれど私の目は、彼の目を見ることはなく、ただ、詰まることもなく、一切の無駄をなく音が発せられる、その唇に釘付けになった。
彼は、私が何も言葉を言うこともなくただじっと自分を見つめていることに、私が戸惑っているのだと感じ取り、丁寧な謝罪と、自分がこの作家のファンであること、私のこともこの作家のファンだと思い、ただ話がしたかっただけだったことを明かした。彼が話しかけている間も、私はその、口の動きに感動さえ覚えていた。なぜ、自分が見ず知らずの他人に対して、好意を抱くような行動をされたわけでもなく、 彼の瞳などでもなく、ただの唇の動きにこんなに感動しているのかよくわからなかった。彼が弁明の言葉を言い終わった後、ようやく閉じた口にやっと私は自我を取り戻した。そして、あろうことか、私がこの本の作者であることを見ず知らずの彼に、明かしていた。彼が疑うのも無理はない。作家名は本名ではないし、作者紹介の欄に顔写真が載っているわけでもない。それでも、彼の唇が次に動いた時、発せられたのは疑いの言葉ではなく、唐突に連絡先を私に問うたのだ。なぜそんなことを聞くのだろうと疑問に思っていると、彼は、私に下心があったと、それもまた唐突に明かした。本を真剣に見つめる私に好意を持ったと、恥ずかしげもなくそんなことを言った。なぜ、そんなことを言うのかと不思議に思った。唐突に意味不明な告白をしたのは私だが、それを彼が真似る必要はない。けれど、そんな彼も、やはり唇の動きだって、とても綺麗なものだと思った。
結局、彼の唇に心を奪われた私は、彼に連絡先を手渡してしまった。その後、恋に浮かされた作家は、思いのままに筆を走らせ、世間からの脚光を浴びるようになった。
なんてことはなく、やはり本棚の隅に収められるような本ばかりを刊行している私だが、彼との出会いというものが私の生活を確かに彩っていることを感じている。